王国歴622年5月21日(土)
9-1 どっちを先に描くんだ?
窓に掛けたカーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。
この明るさは、既に日が昇っている感じがする。
ベッド脇の時計を見ると、昨日と同じ8時だ。
ここ数日、サノスが起こしに来ることに体が慣れてしまったのだろうか。
今日は教会長が来るのは昼過ぎの3時からだ、もう少し寝よう⋯ ん?
階下でガタガタと音がする。
「師匠! 起きてますか~?」
サノスの声だ。
店は臨時休業でも来たんだな⋯
「師匠! 起きてますか~?」
再び階下からサノスの声がする。
朝からサノスがいるということは、オリヴィアかワイアットに諭されたにも関わらず、店に来たと言うことだろう。
仕方なく起き上がり、服を着て階下に降りトイレを済ませて台所に行くと、サノスが『湯沸かしの魔法円』を布巾か何かで拭いていた。
「サノス、おはよう」
「師匠、おはようございます」
朝の挨拶を終えて作業場へ行くと、作業机の中央に『湯出しの魔法円』と見たことの無い長い筒が置かれている。
この筒は何だろうと考えていると、両手持ちのトレーにティーセットを乗せてサノスが作業場へ入ってきた。
「直ぐに御茶を淹れますね」
「おう、ありがとうな」
サノスは両手持ちのトレーを机に置き、その長い筒を棚へと片付けた。
いつもならば、次はティーポットを『湯出しの魔法円』に乗せるのだが、驚いたことに、サノスはトレーに乗せてきた布巾で『湯出しの魔法円』を拭き始めたのだ。
「珍しいな? その魔法円が大切なのか?(笑」
「大切ですよ~ これのお陰でヘルヤさんから予約が貰えたんですよ」
「まぁ、サノスの言うとおりだな(笑」
「これからもお世話になるんです。私は大切にしますよ」
『湯出しの魔法円』を拭き終えたサノスは、そこに乗せるであろうティーポットの底まで拭き始めた。
今までそんなことをしているサノスは見たことがない。
その姿に俺は思わず笑いが出そうになった。
『湯出しの魔法円』が傷付かないように、ティーポットをそっと乗せると茶葉を入れた。
サノスが胸元に手を添え、反対の手を魔素注入口に置くと、ティーポットから湯気が立ち上がった。
「少しだけ待ってください」
そう告げるサノスへ問いかける。
「こうして朝から来ていると言うことは、ワイアットかオリビアさんと話したのか?」
「はい、話しました。父(ワイアット)さんは夜明け前から『討伐調査(とうばつちょうさ)』なので、母(オリビア)さんと話しました」
『討伐調査(とうばつちょうさ)』?
聞きなれない言葉だな。
「何と言われたんだ?」
「まず、店の休みの前日に師匠に都合を聞くように言われました」
サノスがマグカップを並べると、御茶の濃さが均一になるようにティーポットから注いで行く。
「次に、朝から大衆食堂へ寄って、自分と師匠の昼食を持って行くように言われました」
注ぎ終わった御茶を出され口を付ければ、爽やかな味わいが口内に広がる。
「最後に、ヘルヤさんが店にいたら直ぐに帰ってくるように言われました(ニヤリ」
ブハッ!
俺は思わず御茶を吹いてしまった。
「師匠! 汚いです!」
俺の吹き出した御茶を、布巾で慌てて掃除するサノスに念を押す。
ヘルヤさんとはそうした関係ではないと強く念を押す。
俺の話を聞きながらも、サノスは念入りに『湯出しの魔法円』を拭いている。
いや、こいつは本当に俺の話を聞いてるのか?
改めてサノスが御茶を淹れ直したので、それを飲みながら昨日の成果と今日の予定を聞き出すことにした。
「昨日は、どのくらいの量の漬け込みが出来たんだ?」
「鍋で2つ分になりました」
「そうか2つ分か⋯ 『湯沸かしの魔法円』は1つしかないよな?」
「ですので、ロザンナとシスターで相談して1つずつ煮出すことにしました」
「サノスは今日は何時からギルドへ行くんだ?」
「教会長が2時にいらっしゃるので、それに合わせて行きます」
教会長がギルドに2時なら、それまでに煮出す必要があるよな。
「ん? 煮出しは?」
「最初の1つをロザンナが11時から煮出します」
「なるほど。ロザンナと分担したんだ」
「えぇ、ロザンナが1つ目の鍋を担当して、私は2つ目を担当することにしました」
2つ目の鍋を2時から煮出したとしたら4時頃まで掛かるよな?
4時まで教会長を待たせるのか?
「それだと2つ目の鍋を煮終わるのが4時を過ぎないか? それまで教会長を待たせるのか?」
「いえ、教会長が1つ目で、2つ目の仕上げはシスターが担当するそうです」
なるほど。
サノスとロザンナがそれぞれの鍋を担当するように、教会長とシスターも担当を分けたんだな。
それなら、教会長が3時に来る約束も変更は無いなと思っていると、サノスが思わぬ言葉を投げてきた。
「師匠、そろそろ始めて良いですか?」
「ん? 何を始めるんだ?」
「『魔法円』の型紙作りです」
「もう始めるのか?」
サノスは昼までしか時間がないから致し方無いなと思うが、お茶の一杯ぐらいは飲ませて欲しい。
俺は自分のマグカップを前へ出し、サノスにまだ御茶を飲んでる最中だと示したのだが⋯
「はい! ヘルヤさんを待たせないためにも始めたいです」
そう言いながらサノスは俺のマグカップを奪い、作業机の上を片付け始めた。
結局、半分程しか御茶を飲めなかった。
◆
「よし、後は霧吹きです」
現在、作業机の上には、薄紙に包まれた『魔法円』が2枚置かれております。
それを眺めるサノスは仁王立ちで腰に手を当て、何やら偉そうな雰囲気です。
サノスはティーセットを台所へ運び洗い物を済ませると、台所から『湯沸かしの魔法円』を持ってきた。
棚から先ほどの長い筒を取り出し、その中から薄紙を取り出すと、器用な手付きで『湯沸かしの魔法円』を包み、4すみを洗濯バサミで止めていった。
次に先ほど使っていた『湯出しの魔法円』も同じ様に薄紙で包み、同じ様に洗濯バサミでしっかりと止めた。
「確かに霧吹きだな。それより薄紙なんてよく持ってたな?」
俺の投げ掛けに、サノスが腰に手を当てたままで得意気に答える。
「実は、前から考えてたんです。薄紙なら魔法円の写しを取れて、型紙みたいなのを作れるんじゃないかなって」
「まあ、正解だな」
「へへへ、魔道具屋の女将さんに話したら褒められましたよ♪︎」
「けれども、その次で迷ってたんじゃないのか?」
偉そうなサノスには、こうした、ちょっと突っ込んだ言葉が似合うだろう(笑
「はい。どうやって薄紙の型紙から木板や石板に写すかで悩んでましたね」
「そこで魔素転写紙と魔素ペンの出番なんだろ?(笑」
「そうですそうです! 女将さんから教えられた時には『これだ!』って感じでしたね」
こいつは、俺の突っ込みに気が付かないのか?
「けど、本当は、こういうのは女将さんじゃなくって、師匠が私に教えるんじゃないんですか?」
「はぁ?」
「普通の師匠なら、弟子が悩んでる時は教えるもんでしょ?」
「いや、違うな(笑」
「違う? 何が違うんです?」
「今のサノスの話を聞いて思ったよ」
「? 何を思ったんです?」
「サノスなら、こうした方法を思い付いて、聞いてくるだろうってね(笑」
「???」
サノス。
不思議そうな顔をするな(笑
「サノス、一応褒めてるんだぞ(笑」
「それって、喜べば良いんですか?」
「ククク⋯ 好きにしろ(笑」
俺の言葉に応じたサノスは自分のカバンから霧吹きを取り出す。
それを持って台所へ行き、霧吹きに水を入れて戻ってきた。
「さて、後は霧を吹いて、薄紙が乾けばピンと張れば、型紙を書き始めれますね」
そこまで言ったサノスに、俺は素朴な疑問をぶつけてみた。
「サノス、ひとつ聞いて良いか?」
「何ですか?」
「どうして『湯沸かしの魔法円』も包んだんだ?」
「まったく~ 師匠はそんなこともわからないんですか?」
「わからないから教えてくれるか?」
「師匠、今は『湯沸かしの魔法円』が1つしか無いんですよ。今日みたいに鍋が2つだと、1つずつしか煮出しが出来ませんよね。けれども2つあれば同時に煮出せます(エッヘン」
胸を張って偉そうなサノスにトドメの言葉を投げ掛ける。
「なるほど。それでサノスはどっちを先に描くんだ?」
「えっ?」
サノスが頭を抱えて悩み始めた。
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