8-15 辺境伯御用達商人アンドレア
冒険者ギルドを出ると、リアルデイルの街は夕暮れを迎えようとしていた。
街角の西から指す陽は、ガス灯の影を長くし始めている。
路上に張り出されたテントは、今日の最後のお務めとばかりに西陽を遮っている。
そんな夕暮れ前の少し早い時間から、こうして風呂屋に足を向けれるのは、心地良いゆとりを感じさせてくれる。
風呂屋の受付脇には、入浴料変更のお知らせが張り出されていた。
それを横目に料金を支払うと、受付のおばさんが張り紙を指差して来た。
「来月から値上げで~す」
そんなおばさんに少し世間話を振ってみる。
「おばさん、タオルも値上げするの?」
「うーん。来月に上げる話は聞いてないけど、夏が終る頃には上がると思うよ」
まあ、あり得る話だな。
脱衣所で服を脱ぎながら、この風呂屋の値上げを、街の人々はどう感じているのかを考える。
風呂屋の値上げは燃料費の高騰が原因と書かれていた。
燃料が上がれば、その燃料を使う人々の負担が増える。
その負担を少しでも減らすために、自身が製造販売する品々の値段を上げて、少しでも収益を増やすことを考えるだろう。
そうした理由での値上げが、タオルにまで及ぶのに、そう時間は掛からないだろう。
こうした循環はどうしても起こってしまうのだ。
このまま冬場も燃料費の高騰が続けば、街の人々の生活を直撃するだろう。
そう考えると、今回の討伐が成功して、少しでも西方からの石炭が安く入ることを願うしか俺には出来ない。
蒸し風呂の扉を開ければ先客は数名だった。
冒険者連中の誰かが居るかもしれないと思ったが、見知った顔は誰も居ない。
やはり討伐の期間中は、自分が無事なことを家族へ知らせるために、寄り道せずに早く帰るのだろう。
それに明日も早朝から討伐や薬草採取の護衛だろうから、それに備えて早目に家へ帰るのだろう。
来月の休みはどうするかな⋯
まずは伝令をどう受け取るかを決めた方が良いかも知れないな。
来週にはポーション作りで使う薬草の件でギルドへ行くから、それまでに考えよう。
店が休みでも伝令を受けるのは良いが、何者からも割り込まれない時間が少し欲しいな。
来月の休みには、久しぶりに川釣りにでも行くか。
イルデパンの西町から出るなという願いも、来月になれば解かれるだろう。
なにも根拠は無いが⋯
それにしても、キャンディスが冒険者ギルドのサブマスターとは、見事なまでの出世だ。
ギルマスは王都の冒険者ギルド本部へ推薦を出したと言っていた。
だとすれば、キャンディスの昇進は以前から予定されていたんだろう。
キャンディスは部下であろう若い女性職員との件で悩んでいたようだが、それも昇進に関わる苦悩の一つなのだろう。
待てよ⋯
〉王都の冒険者ギルド本部から
〉正式な辞令が届いた
王都からの辞令ならば、早馬などで届けられたとは考えられない。
大きめの商隊か何かで届けられた可能性が高いな。
東国(あずまこく)からの使節団のダンジョウが言っていた。
〉ウィリアム伯爵様と
〉我々の王都滞在組が合流し
〉このリアルデイルに向かっている
確かそんなことを言っていた。
ウィリアム叔父さんと東国(あずまこく)からの使節団とやらが一緒なら、きっと大きめの商隊も同行している可能性が高い。
だとすれば、ウィリアム叔父さんは既にリアルデイルへ到着している可能性がかなり高い。
今日の昼にギルマスの元へ辞令が届いたのなら、昨日には王都からの商隊か何かと一緒に、ウィリアム叔父さんは街へ到着している可能性が高い。
きっと、明日か明後日に呼び出しの伝令を青年騎士(アイザック)が持ってくるだろう。
それにしても、あの冒険者ギルドの『裏』2階で、ワイアットが俺の顔見るなり席を立った理由は何だったのだろうか。
ワイアットは俺のことを『主役のお出まし』と言っていた。
ギルマスの口にした『イチノス殿はブレない』の言葉に、教会長とキャンディスはギルマスを頼るような促すような感じだった。
『討伐中に何かがあった話』を、俺はあの場で聞かない姿勢を押し通した。
その後だからゴブリンの殲滅に関わることなのだろうとは察しが付く。
そして、その『何か』に俺が関わるのが望ましいと、キャンディスや教会長は考えたのだろう。
だが俺は、厄介そうな事柄に自分から足を踏み入れる気はない。
領主であるウィリアム叔父さんからの命令であること、そして魔導師の仕事の範囲であること。
この二つが依頼を受けるか否かの、俺の判断基準だ。
例え興味深い『何か』であっても俺は自分からは足を踏み入れない。
この姿勢は貫こう。
俺が先走って首を突っ込む話じゃない。
さあ、水風呂で一旦体を冷まして広い湯船を楽しんだら、大衆食堂でエールだ。
◆
ゴクゴク
風呂屋で出来上がった体にエールが染み渡って行く。
冷えたエールが渇いた喉から体の奥深くまで染みて行く感じだ。
エールを一気に飲み干したら、机の脇で待ってくれている婆さんにお代わりを頼む。
「プハ~ もう一杯頼む」
「そろそろ串肉も焼けるから一緒で良いかい?」
「あぁ、それで頼む。そうだ今日は夕食はあるのかな?」
「今日はあるよ。安心しな」
「じゃあ、頼むよ」
お代の銅貨渡せば、いつものとおりに木札を渡される。
ジョッキを片手に厨房へ向かう婆さんの後ろ姿から店内へ目を移せば、奥の方の席に3人の商人が集まっているだけだ。
冒険者連中の姿は見当たらない。
今回の討伐依頼が続く限り、こうした景色が続くのだろう。
厨房付近へ目を戻すが、婆さんはお代わりのエールも、焼き上がった串肉も持ってこない。
もう少し時間が掛かるのだろうと思った時に、店の奥に座った商人の一人が立ち上がった。
帰るのだろうかと見ていると、俺の座っている長机へ寄ってきた。
「魔導師のイチノスさんでしょうか?」
「はい、イチノスですが?」
「私、商人のアンドレアと申します」
「商人のアンドレアさん⋯」
「今、少しお話しができますでしょうか?」
「えぇ、良いですけど?」
まさか見知らぬ商人から話し掛けられるとは思わなかった。
アンドレアと名乗った商人の顔を記憶で辿るが、俺はこのアンドレアさんと会った覚えがない。
そんなアンドレアさんは、俺の向かい側に座ってきた。
「イチノスさん、実は⋯」
「すまない。本当に申し訳ないが、以前にお会いしてますでしょうか?」
俺は正直に口にした。
「はい、イチノスさんの言われるとおり、初対面でございます」
よかったぁ~ 初対面の商人さんでした。
「私、主に西方のジェイク領と行き来している商人でして、ジェイク辺境伯様へも品を納めている者です」
あらまぁ、ジェイク叔父さん御用達の商人ですか。
「そうですか、辺境伯のジェイク様ともお付き合いがあるとすれば、良い商いをされているのですね」
「いえいえ、ようやく今月から商いをさせていただいている身分です」
「それで、どういったお話しでしょうか?」
「お待たせ!」
俺とアンドレアさんの話を遮るように、給仕頭の婆さんがお代わりのエールと湯気の立つ串肉を持ってきてくれた。
「おぉ、ありがとう」
「なんだい。商人さんは、こっちの席へ移るのかい?」
「いえいえ、少しイチノスさんとお話しをさせていただこうと」
「そうかい。イチノス、食事がもうすぐ出来るよ」
「あぁ、持ってきてくれ」
俺から木札を受けとると、婆さんは厨房へと戻って行く。
婆さんが離れたのを確認して、アンドレアさんへ用件を尋ねる。
「それで、どういったお話しでしょうか?」
「実は、家の魔法円が水を出さなくなってしまったんです」
「ほぉ~ それはお困りでしょう」
「えぇ、もう家内には何とかしてくれと言われるばかりで困っているのです」
「もしかして、魔法円の修理依頼ですか?」
「ええ、さきほどお店へ伺いましたら臨時休業の張り紙がされておりまして」
それは悪いことをしたな。
けれども今の俺は臨時休業が明けるまで、こうした依頼は受けたくない気分だ。
「なるほど。急がれるのであれば、東町の魔道具屋はいかがですか?」
「東町の? 魔道具屋⋯ ですか?」
アンドレアさんの言葉が濁った気がする。
「もしかして、何かの噂を聞かれたとか?(笑」
「まぁ、家内から聞かされまして(笑」
俺はそれとなくアンドレアさんの容姿を見て行く。
年の頃は50歳ぐらいか。
短めの茶髪は艶があり綺麗に揃えられている。
ふくよかな体型は年齢によるものだろう。
鼻の下の髭が印象的だ。
「それなら心配いりません。今日の昼前に行ってみたんですが『東町街兵士御用達(ひがしまちまちへいしごようたし)』になるほど信用を取り戻されたようですよ」
「東町の魔道具屋が、街兵士の御用達ですか?!」
「えぇ、『東町街兵士御用達(ひがしまちまちへいしごようたし)』だそうです」
「それは良い話を聞けました。ありがとうございます」
礼を述べるが早いか、商人のアンドレアさんは席を立った。
元の席には戻らず、厨房から俺の夕食を運ぶ婆さんへ声をかけると、急ぎ足で店の外へと出ていった。
これで少しは、東町の魔道具屋の御主人や女将さんの信用回復に寄与できただろうか。
いや、むしろ商人のアンドレアさんから、無理難題を持ち込まれることになるのだろうか。
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