7-14 育った環境と文化が違う


 洗濯屋を後にして、店へ向かいながら、先程のヘルヤさんの様子を思い出し、少しほくそ笑んでしまう。


 あのヘルヤさんの面白い一面を見た気がする。


〉イチノス殿は店から出てきたよな?

〉すまんが紹介してくれ

〉イチノス殿がお勧めの洗濯屋へ

〉私を紹介して欲しいのだ


 初めて俺の店へ来た時に、あんな素振りをヘルヤさんは見せなかった。


 むしろ初対面の俺の事を品定めするように見て来た。

 兄の形見の『魔鉱石(まこうせき)』に至っては、俺に何かを言わせようとしていた。


 そうした様子から、俺はヘルヤさんがどこか慇懃無礼で、高圧的な態度を取る人だと感じた。


 その後、ヘルヤさんは俺への仲介をギルマスに頼み、真摯に兄の形見への魔素充填を依頼してきた。


 そう言うことか⋯


〉洗濯屋は断わられることがあるのか?!


 洗濯屋でのヘルヤさんの驚きの言葉を思い出す。


 あの様子からすると、最初に俺が依頼を断わったことで、ヘルヤさんに何かを植え付けてしまったのかも知れない。


 ヘルヤさんが住んでいる地元には洗濯屋が無いと言っていた。

 ヘルヤさんはまさに初めての洗濯屋の利用だろう。


 俺などは、王都の研究所時代から洗濯屋を利用するのが当たり前だった。


 あの時は⋯

 研究所の先輩や同僚から、お勧めの洗濯屋を教えられた。


 いわば俺は既に先人が持っていた、洗濯屋を利用すると言う文化に乗っただけだ。


 ヘルヤさんはそうした文化と言うか先人が周囲に居ない環境だ。

 そうした人からすれば、俺にとっては当たり前のことが、ヘルヤさんには初めてで当然なのだ。


 世の中には


 『そんなことも知らないの?』


 そんな感じで相手の持つ文化や育った環境を、平然と見下す言葉を口にする人物が多い。

 時にはその言葉に続けて、人格すら否定する人物もいる。


 相手の育った環境や文化を考えず、そうしたことを口にする方が問題だと気付かない人物がいる。


 魔道具屋の主が捕らえられた際に、ヘルヤさんは熱い姿勢を見せてくれた。

 俺にはあそこまでの熱い姿勢は抱けなかった。


 魔道具屋の主への怒りが沸々と湧いたが、どこか理性を効かせた対応をした気がする。


 やはりヘルヤさんの育った環境や文化と、俺は違う場所に立っている気がする。


 そうしたことを考えながら歩いていると、気がつけば店へ着いていた。


 店へ戻り、店の出入口の扉に下げた『営業中』の看板を直すか迷った。

 ヘルヤさんに『エルフの魔石』を引き渡す際に、突然の客が来ても困るな。

 ヘルヤさんなら気がついてくれそうな気がして、俺は『閉店』の看板を直すのを止めた。


 作業場へ行き、荷物を置き上着を脱いで、まずは作業机の上を空けることにした。

 作業机に置かれた、シスターが届けてくれた初等教育の教本を片付ける。

 本棚を少し整理して、全ての教本を押し込むように棚へ納めた。 


 続けて台所へ行き、両手持ちのトレイに『湯出しの魔法円』を乗せる。

 母(フェリス)を迎える際に出した父(ランドル)から贈られたティーセットと『やぶきた茶』の茶筒を乗せて作業場の机へと運ぶ。


 2階の書斎へ行き、ヘルヤさんの兄の形見を入れた箱を手に作業場に戻ると、店の出入口がノックされた気がした。


 店舗に顔を出すと出入口の扉越しにヘルヤさんの赤髪が見える。


「いらっしゃいませ、ヘルヤさん」

「おぅ、お邪魔します」


 何だろう。

 ヘルヤさんの声や態度に覇気を感じない。


 そんなヘルヤさんが店の出入口に下げた札に目をやる。


「イチノス殿、今日は定休日か何かだったのか?」

「あぁ、気にしないでください。サノスがギルドへ出向いていて、店番が居ないので休みにしたんです」


「じゃあ⋯ イチノス殿と二人だけか?」


 ん? ヘルヤさんは気にするのか?


「嫌ですか?(笑」

「ワシは構わんが?(笑」


「ククク」「ハハハ」


 互いに笑い声が出たところでヘルヤさんを作業場へ案内し、まずは椅子に座ってもらった。


「お出しできる御茶(やぶきた)は、以前と同じ緑茶しかありません。お口に合えば良いのですが⋯」

「あの薄い緑色の御茶(やぶきた)だな。あれは美味かったな」


「もしかして、ヘルヤさんは初めて口にしたとか?」


 そうした会話を重ねながら、俺は『湯出しの魔法円』にティーカップを乗せる。

 『魔素』注入口に指を添え『熱い湯が欲しい』と心に願えば、スルスルとティーカップにお湯が沸いて行く。


「実を言うと、あの時に初めて緑茶と言うものを飲んだのだ」

「東国(あずまこく)では一般的に飲まれているそうです」


「イチノス殿は、東国(あずまこく)の物を好んでいるのか?」

「趣味嗜好の話ですが、私は紅茶や珈琲よりも緑茶が好きなんです。変な趣味でしょ?(笑」


「まあ、人の好むものは人それぞれだからな」


 俺としては笑いを誘ってみたつもりだが、ヘルヤさんからは有り体な答えしか得られなかった。

 やはりヘルヤさんから覇気が感じられない。

 何か悩みを抱えているようだ。


 ヘルヤさんの様子に気遣いながら、俺はティーポットに適量の茶葉を入れ、ティーカップの少し冷めたであろう湯をポットに移してしばし待つ。

 頃合いをみて、緑茶の濃さが均一になるようにティーカップに注いで行く。


「粗茶ですが」

「うむ。ありがとう」


 ヘルヤさんが俺の淹れた緑茶を口にして、ようやく一息入れてくれた感じがした。


「洗濯屋は無事に済みましたか?」

「イチノス殿のお陰で助かった。実は私はかなりの田舎者なんだ」


「気にすることじゃないと私は思いますよ。誰でも育った環境や経験は違います」

「うん。イチノス殿の言うとおりだ。私の地元では洗濯は女がするのが当たり前なんだ」


「じゃあ、さっきも言ってましたけど洗濯屋のような商売は⋯」

「あるにはあるが、成人前の子供の駄賃稼ぎな感じだよ。あんな風に店を構えているのは、正直に言って驚いたんだ。それに洗濯仕事を使うのは独身の男性が多くてな」


「私のような独身男性向けですね?(笑」

「ハハハ まさにそうだな」


 やはりヘルヤさんから以前のような笑顔が得られない。


 そんなヘルヤさんが、机の上に置いた小箱に目を向けて聞いてくる。


「それで、依頼した件なんだが⋯」

「伝令にも書きましたが出来上がってますので、どうかご安心ください」


 そう告げて机に置いた小箱へ手を添える。


「それで、支払いの方だが⋯」


 ヘルヤさんが小箱を見つめて聞いてくる。

 だが、俺はそれに応えず、ちょっと別の話を切り出す。


「住まいの方はどうですか?」

「住まいの方か⋯ どうも勝手が違って上手く行かんのだ⋯」


「それはかなりお困りでしょう」

「そうなんだ。やはり地元とは勝手が違いすぎる」


 そこまでヘルヤさんが告げて、一口、緑茶を口にして言葉を続けてきた。


「それでフェリス様へ報告を兼ねてお会いすることになったんだ」

「フェリス⋯ 様ですか?」


「フェリス様はイチノス殿の母上であったな⋯ それでだな⋯」


 ヘルヤさんが何かを言いたげだ。


「フェリス様へどんな手土産が良いかで迷っているんだ。フェリス様の好みをイチノス殿はご存じだろうか?」


 母(フェリス)への手土産か⋯

 ヘルヤさんに問われて俺は即答できなかった。


「イチノス殿のお勧めを教えていただければ助かるのだが」

「ちょ、ちょっと待ってください。思い出しますから⋯」


 母(フェリス)の喜びそうな物って⋯ なんだ?

 母(フェリス)の趣味は何だったか⋯

 母(フェリス)に嗜好品はあっただろうか⋯

 母(フェリス)は何かを収集していただろうか⋯


「う~ん⋯」

「⋯⋯」


「⋯⋯」

「⋯⋯」


 無理です。

 母(フェリス)が何を贈られて喜ぶかなんて思い付かない。


「どうだろう? 何か名案はないだろうか? 先程の洗濯屋の女将に、それとなく聞いてみたのだが⋯ 『これ!』と言う返事は得られなかったのだ」

「⋯⋯」


「イチノス殿なら、何か良い案をお持ちではと思ったのだが⋯」


 そうだよな。

 自分で考えて答えがでないなら、誰かに聞くのもありだよな⋯


「そうだ!」


 俺はある人物を思い浮かべ、思わず大きな声を出してしまった。

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