王国歴622年5月16日(月)
4-1 師匠! おはようございます
「師匠! 起きてますかぁ~」
階下からサノスの声が聞こえる。
ベッド脇の置時計を見れば、昨日と同じ8時前だった。
昨日の朝もサノスは同じ時間に来た気がする。
サノスはこの時間に来ることにしたのだろうか?
眠気の少し残る頭で周囲を見渡せば、いつもの自分の部屋で、いつもの朝を迎えていた。
カーテン越しの外光は既に明るく、しっかりと日が昇っている感じがする。
「師匠! おはよございます!」
階下からサノスの声がする。
「師匠! 起きてます~?」
「あ~起きてるぞ~」
着替えを済ませ、返事をしながら階下に降りて行く。
たまった尿意を済ませ作業場に行くと、お茶を淹れようとするサノスの姿が見えた。
「サノス、おはよう」
「師匠、おはようございます。今日も一日、よろしくお願いします」
朝の挨拶を終えて顔を上げたサノスには、ヤル気に満ちた雰囲気が伺える。
「もう、掃除も済ませたのか?」
「はい。いつでも店を開けられます」
「よし、サノスの都合で開けていいぞ」
「はい。師匠、朝のお茶です」
いつもの自分の席に座った俺にサノスが緑茶を出してくれた。
出されたお茶を口に含むと実に爽やかな味わいが広がる。
サノスが出してくれたのは、昨日、雑貨屋で購入してきた『やぶきた茶』だ。
朝の一杯に、このお茶は良いなと考えていると、サノスが小走りに店舗に向かった。
直ぐにサノスは戻って来て、いつもサノスが座る席に着くと、俺に聞いてきた。
「師匠。迷惑じゃなければ、これから毎朝この時間に来ようと思いますが良いですか?」
「ああ、何も問題は無いぞ」
「ありがとうございます。少しでも学ぶ時間が欲しいのでとても嬉しいです」
「そうかそうか。頑張れよ」
「早速ですが『魔法円』を見てもらえますか?」
「描き上げたのか?」
「ええ。昨日、あの後に描き終えました。2回漏れが無いか確認しました。まだ、魔素は流してません」
「よし、よくぞ約束を守った。このお茶を飲み終わったら確認しよう」
俺がそう答えると、サノスの顔が一段と明るくなった。
サノスと向き合って、朝のお茶を飲みながら今日のプランを考えていると、サノスがポツリと聞いてきた。
「昨日のギルドは、無事に済んだんですか?」
「ああ、何事もなく済んだぞ。何か気になるのか?」
「父がギルドの選考会に残ったそうです」
あぁ、ワリサダが言っていた選考会の事だな。
ワイアットはこの街では上位クラスの冒険者と聞く。
それならば『選考会』に残るのもうなずける。
「さすがはワイアットだな」
「その選考会に、東国(あずまこく)から来た人達がいたそうです」
「ん? サノスは何が聞きたいんだ?」
「いえ、何でもないです⋯」
そう言ってサノスはお茶を飲み、少しボーッとした顔を見せてきた。
まさかとは思うが、サノスはワリサダを思い浮かべているのか?
あの坊主頭のワリサダをか?
サノスの『東国(あずまこく)から来た人達』の言葉と、少しボーッとした様子から、ワリサダとの昨夜の大衆食堂を思い出す。
昨夜はワリサダがキャンディスさんを連れてきて、俺の奢りで3人で飲んだ。
だが、それも最初の一杯だけだった。
3人で乾杯し、エールを飲み干して早々にワリサダが言ってきた。
「イチノス、悪いがキャンディスと一緒に飲むんで、ごちそうさま」
「イチノスさん、ごちそうさまでしたぁ~」
まあ、二人で飲みたいんだろと気にしない事にしたのだが、給仕頭の婆さんがいそいそと別のテーブルに二人を案内した時には、俺は呆れて何も言えない気分になった。
婆さんは姪っ子の恋を応援したいのだろうが、まるで俺が邪魔物になった気分だった。
けれども、ギルドの馴染みの女性職員に訪れた春だ。
俺は生温かく見守るべきだろう。
それにしても、ワリサダの行動や言動には引っ掛かるものを感じてしまう。
サノスを口説きながらも、キャンディスさんを口説くなんて、俺の感覚では受け入れられない行為だからだろうか?
待てよ。
ワリサダに『魔鉱石(まこうせき)』の件で話をした時に、店に来るのを渋っていたような⋯
もしかして、それが原因か?
今、目の前にいるサノスに合わせる顔が無いと言うことか?
キャンディスさんと出会って目移りしてしまい、サノスに合わせる顔が無いと言うことか?
(ククク あり得ない話だな ククク)
そこまで考えて、思わず笑いそうになってしまった。
「師匠」
急にサノスが声を掛けてきた。
サノスを見れば、目を細めたあの顔で俺を見ている。
「朝から思い出し笑いは不気味です」
えっ? 笑い声が漏れてたのか?
◆
朝のティータイムを終えサノスが机の上を片付けると、棚から『魔法円』を取り出し作業机の上に置いてきた。
「師匠、見てもらえますか?」
「まだ一度も『魔素』は流してないのか?」
「本格的には流してないです。描いている最中に『魔素』の通り具合を確認するので少し流しましたが、本格的には一度も流してないです」
「その『魔素』の通り具合は、どうやって確認してるんだ?」
「こんな感じです⋯ すぅ~はぁ~」
そう言ったサノスは『魔法円』の外円に両手の指先を置いて、深呼吸を始めた。
それに合わせて俺は自分の『魔石』に触れ『魔素』を取り出しながら、サノスの描いた『魔法円』に集中する。
するとサノスの右手の指先から流れ出た『魔素』が『魔法円』の外円を伝わってサノスの左手の指先に入って行くのが見える。
俺は普段でも『魔素』の流れを見ることは出来るが、こうして集中すると、よりハッキリと『魔素』の流れや動き、それに色合いを見ることが出来る。
胸元の『魔石』から『魔素』を取り出すのは『魔力切れ』を防ぐためだ。
「こんな感じで魔素が通るのを確認してます。どうですか?」
サノスが俺の顔を見てきた。
正直に言って『どうですか?』と聞かれても返事に困る。
「サノスは今のを『魔法円』の全てに試してるのか?」
「ええ、描いた分だけ『魔素』を通して行く感じです」
「全てにか?」
「はい。描いた分、全てに『魔素』を通してます」
俺はそこまでサノスと会話して、サノスの頑張りを褒めたくなった。
丁寧に『魔法円』を模写しては『魔素』を通す作業をコツコツと積み重ねているのだ。
これはかなり大変な作業だ。
そこまで努力したのに反応しない『魔法円』が目の前に置かれたら落胆や悲しみ、時には怒りも感じるだろう。
未成年のサノスが、そうした感情を抱かないはずがない。
だが、悲しいかな、そうした感情を抱いても目の前には動作しない『魔法円』が置かれている。
これは心に来るものがあるだろう。
そんな心配をしながら、俺はサノスに声をかける。
「サノスは頑張ったんだな」
「へっ?」
サノス、そこで驚いた顔をするな。
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