1-13 再びの大衆食堂


 風呂屋を後にし、ガス灯の明かりが照らす道を大衆食堂へ向けて歩んで行く。


 晩春の夜風が風呂屋で仕上がった体に心地好い。

 空を見上げれば、雲間に見える月は満月にほど近い。


 通りの角、ガス灯の下に簡易装備の人影が見えてきた。

 目を凝らして見れば、治安維持の街兵士(まちへいし)が二人だ。


「兄さん、夜道に一人は危険だぞ」


 二人の側に寄ると、若い方の街兵士が声をかけてきた。


「ああ、そうだな。夜警、ごくろう」

「⋯⋯」

(ククク)


 俺の横柄な返事に臆したのか、声を掛けてきた若い街兵士が黙ってしまう。

 そんな若い街兵士の隣では、見知った老年の街兵士が笑いを堪えていた。


「イチノス殿、お久しぶりです(笑」

「イルデパンさんもお疲れ様です(笑」


 見知った老年の街兵士の名はイルデパン。

 俺とは王都での魔法研究所勤めの頃からの顔見知りで、驚いたことに母(フェリス)の執事のコンラッドとも知り合いだ。


 このリアルデイルの街では、店を開く際には街兵士の事前調査がある。

 治安防災上、新しく開く店の店主の素行や、消火設備の状況を確認するため開店前に街兵士が調査に訪れるのだ。

 特に魔道師の店は扱う商品(『魔法円』や『魔石』)に発火の可能性が有るため、街兵士による事前調査は必須になっている。


 イルデパンとは、その事前調査で再会して互いに驚いたのだ。


「い、イチノスって⋯」

(ククク)


 若い街兵士が驚いたように俺の名を口にし、イルデパンは再び笑いを堪える。


「新人さん?」

「騎士学校を卒業したばかりの新人さんだ(笑」

「あの⋯ イチノスって⋯ 改革者の?」


「そういえば、コンラッドのところにも新人さんが来てましたね(笑」

「ハハハ、あいつんとこもか?(笑」

「⋯⋯」


 ガス灯の明かりの下で、イルデパンと俺が会話を重ねると、若い街兵士さんは黙ってしまった。


「じゃあ、お先に」

「お気をつけて」


 イルデパンとの会話を切り上げ、再び大衆食堂へ向けて進むと、後ろから若い街兵士の声が聞こえる。


(あの人が『魔法円の改革者』と呼ばれるイチノスさんですか?)

(『さん』じゃなくて『殿』をつけとけ)


 呼び方は気にならないが、随分と恥ずかしい二つ名を出さないで欲しい。



「婆さん、席は空いたかな?」

「誰が婆さんだっ!」


 大衆食堂に入って、いつもの入り口に立っている女性に後ろから声を掛けると叱られてしまった。


 婆さんだと思って声を掛けた女性が振り返り、その顔を見て俺は驚いた。

 何とそこには立っていたのは、弟子のサノスだったのだ。


「あれ? サノス?」

「シ⋯師匠!誰が婆さんですか!」


「いや、その⋯ 何でお前が居るんだ?」


 『婆さん』と声をかけてしまった言い訳が直ぐに思い付かず、思わずサノスがここに居る理由を聞いてしまう。

 そんな俺にサノスは例の目を細めた顔を向けて聞いてくる。


「ゴシショウサマ、どなたが『婆さん』ですか?(ニッコリ」

「す、すいません⋯」


「よろしい。今後はもっと相手を確かめて話しかけるように」

「はい、すいません⋯ どうしてお前がいるんだ?」


「お母さんが厨房で働いてて、私はときどき給仕でお手伝いです」

「お母さん? オリビアさんか!」


 思い出した。

 サノスを店で雇う時に、未成年ということで母親とも面接した。

 その際にサノスの母親のオリビアさんは、大衆食堂で働いていると言っていた。


「お客さん1名ごあんな~い」


 サノスが腰に手を当てて、店内に声を掛ける。

 何列もある長テーブルに向かって座っていた連中が、一斉に新しい客が誰かを確かめるように俺を見てくる。


 俺を見て、直ぐに顔を背ける者もいれば、軽く会釈する者、そして手を上げて挨拶する者と様々だ。


 俺も軽く皆に手を上げて挨拶すると、座ったままだがひときわ体格が良く、手紙のような物を頭上で振っている茶髪の中年に目が向いた。


 その手紙を振る彼がサノスの父親で、俺が伝令依頼の宛先にした冒険者のワイアットだ。


 俺は迷うこと無くワイアットの座る長テーブルに近寄り声をかける。


「ワイアット、ここに居たのか」

「おう。伝令、受け取ったぜ。まあ座れよ」


 ワイアットがそう言って、向かい側の席を指差す。

 彼の指差す先に今まで座っていた男が気を利かせて席を空けてくれたので、俺は遠慮せずに座る。


「俺を探してたんだって?(笑」

「まてまて、エールが先だ。サノス~」


 ワイアットを制して手を上げ、弟子のサノスを呼ぶと小走りにやってくる。


「エールを頼む」

「はい! エールですね。銅貨1枚です」


 サノスの言葉に応じて財布から銅貨を取り出す。

 その銅貨をサノスに渡すと、数字の『1』が刻まれた木札を渡された。


「サノス、俺もエールだ!」

「「俺もだ!」」

「「こっちも頼むぜ」」


 同じ長テーブルに着いている男達が、ここぞとばかりにサノスに注文を伝える。

 それを聞いたサノスは、手際く銅貨1枚を受け取りエプロンポケットに納めては、次々と木札を渡して行く。


 そんな忙しそうなサノスに、隣の長テーブルに着いている男が無謀な声をかけた。


「姉ちゃん、俺には東酒(あずまさけ)と串肉をくれ」


 その男の声を無視し、サノスはエールを注文した男達から銅貨を受け取り木札を渡して行く。

 一通り木札を渡し終えたサノスに、再び無謀な男が大きめの声をかける。


「姉ちゃん、俺には東酒(あずまさけ)と串肉をくれ!」


 するとサノスは腰に手を当てて仁王立ちになり、その男に例の目を細めた顔を向けて言い放った。


「お客さん、あたしバカだから難しい注文は覚えれないの。皆がエールだからエールなら直ぐに出せるわよ」

「⋯⋯」


「エールなら直ぐに出せるわよ(ニッコリ」

「え、エールで⋯」


「はい、銅貨1枚です」


 そう言ってサノスは無謀な男に木札を差し出した。


 ギャハハ カカカ ギャハハ

 ククク ギャハハ ケケケ


 その様子を見ていた周囲の男達の全員が大きな声で笑いだし、店内は一段と騒がしくなった。

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