第5話 葛葉ちゃんは褒められたい

 今日も今日とて成瀬が社畜しに行った後、家に残された葛葉ちゃんはのんびりと過ごしていた。

 成瀬が買ってきた絵本を読んだり、成瀬から貰ったキツネのぬいぐるみを抱きしめて昼寝したり、ぬいぐるみと一緒におままごとしたり。

 そうして数時間ほど経った頃、葛葉ちゃんは窓の外を眺めながらぽつりと呟いた。


「なるせお姉ちゃん、いつかえってくるんだろ……」


 ソファーの上にこてんと転がり、天井をぼーっと眺める。


「……さみしくないもん。葛葉いい子だから、なるせお姉ちゃんがかえってくるまでまってられるもん」


 そう言った葛葉ちゃんの目元に涙が溜まっていく。

 泣きそうになるのを必死にこらえていた葛葉ちゃんだが、ふと何かをひらめいたようで元気よく起き上がった。


「葛葉がおしごとして、なるせお姉ちゃんがかえってきたときにうれしい~ってなったら、ほめてもらえるかも! むふふ、葛葉あたまいい。……けど」


 葛葉ちゃんは部屋の中をキョロキョロと見回す。


「すること……なにかあるかな?」


 葛葉ちゃんが部屋中に散らかっていたゴミを片付けてからは、成瀬もこまめに掃除するようにしている。

 昨日も掃除したばかりなので、部屋は掃除する必要がないくらいにきれいな状態だった。


「むむむむ……」


 腕を組んでしばらく考え込む葛葉ちゃん。

 数十秒ほど経過したところで、葛葉ちゃんはパッと目を見開いた。


「はっ! そうだ!」


 葛葉ちゃんはベッドから降りると、洗面所にとたとた走っていく。

 洗面所に着いた葛葉ちゃんは、カゴの中に乱雑に詰められた衣類を見てにやりと笑った。


「なるせお姉ちゃんの服を葛葉がおせんたくしたら、きっとよろこんでもらえるはず……!」


 葛葉ちゃんの脳裏に、喜んでいる成瀬の姿が浮かぶ。


『葛葉、ひとりでおせんたくしたんだよ』


『すごーい! 葛葉ちゃん大好き!』


 という脳内会話を思い浮かべながら、葛葉はにやにや笑う。


「ほめられること、まちがいなし! よーし、頑張るぞー!」


 葛葉は元気よく腕を上げると、すぐに行動を開始した。


「まずはせんたっきさんに服をいれてー……とどかない。……そうだ」


 身長の関係で洗濯機に届かないことに気づいた葛葉は、リビングのほうから台を持ってくる。


「んしょ……んしょ……。ふぅ、これで葛葉でもとどく!」


 葛葉ちゃんは額をぬぐったところで、ふと気になったのか台に乗って洗濯機の中を覗きこむ。


「せんたっきさんの中どうなってるんだろう……? って、わわわ! みゃー!?」


 もっとしっかり見ようと身を乗り出したのが原因か。

 葛葉ちゃんはバランスを崩して洗濯機の中に落ちてしまった。


「わぁぁぁぁあああ!?」


 それから数分後。

 葛葉ちゃんはなんとか脱出することができた。


「せんたっきさん、きけん……!」


 洗濯機に警戒心を抱くも、成瀬に褒められたいという思いは変わらないようで、葛葉ちゃんは恐る恐るといった感じで洗濯機の中に服を入れていく。

 今度は洗濯機の中に落ちることなく、服を放り込むことができた。


「えーと、つぎはたしか……」


 成瀬が洗濯機を使っていた時のことを思い出そうとする。


「……おもいだした! なにか入れてた! たしかここらへんに……あった! 」


 葛葉ちゃんは洗面台下の収納スペースを開き、洗剤たちを見つけて驚いた。


「はっ!? かずがおおすぎ!?」


 そこには、洗濯用洗剤や柔軟剤をはじめ他にもたくさんの液体が置かれていた。

 どれがどれだかわからず、葛葉は頭が混乱してしまう。


「えーっと……えーっと……たしか、なるせお姉ちゃんが使ってたのは…………これとこれのはず!」


 持ち前の記憶力の良さで、葛葉ちゃんは奇跡的に正解を引くことができた。

 これで問題は解決したかと思いきや、すぐに新たな問題が現れる。


「……これ、どうやって入れればいいの……?」


 成瀬が洗濯しているところを見ていた時、葛葉ちゃんは身長の関係で洗濯機の中のほうは見えていない。

 ……つまり、洗濯機の内側に洗剤と柔軟剤の専用ポケットがあることを葛葉ちゃんは知らないのだ。


 案の定、葛葉ちゃんのたどり着いた結論は見当違いのものだった。


「そのまま入れよっと! えいやー!」


 葛葉ちゃんは洗剤を直接洗濯機の中に注いでから、今度は柔軟剤を手に取る。


 容量の少なくなっていた洗剤とは違って、柔軟剤のほうは新品だ。

 中に液体がみっちり詰まっているので、当然重たい。


「ふんぬぬぬ! うおー!」


 それでも葛葉ちゃんは持ち上げる。

 すべては洗濯を成功させるために!


「んしょんしょ」


 葛葉ちゃんは柔軟剤を洗濯機の中に注いでいく。


 どばどばー。どばどばー(供給過多)。


「よし、じゅーぶん!」


 注ぐのを中断しようとしたところで、葛葉ちゃんはやらかした。


「……って、あああああああ!?」


 うっかり手を滑らせてしまい、柔軟剤の容器を洗濯機の中に落としてしまった。


「ああああどうしよう!? どうしよう!?」


 パニックになってあたふたする葛葉ちゃん。

 なんとかサルベージした時には、柔軟剤の容器の中身がほとんどなくなっていた。

 ……落ちた容器がたまたま真っ逆さまになり、中の液体がほとんど流出してしまったのだ!


「たくさん入れすぎたかも……」


 葛葉ちゃんは柔軟剤をジーっと見ていたが、すぐに気持ちを切り替えた。


「たぶん、だいじょうぶ!」


 もちろん大丈夫ではないが、葛葉ちゃんがそれに気づくことはない。

 葛葉ちゃんは最後の仕上げとばかりに、洗濯機のボタンを手当たり次第に押していった。


「これだけピッピッてしとけばだいじょーぶなはず!」


 ゆっくりと洗濯機が動き出す。

 それを見届けた葛葉ちゃんは、満足そうに頷くのだった。


 果たして、どうなることやら……。






◇◇◇◇



「はぁー、定時で帰れるなんていつぶりだろう」


 無事に仕事を終えた私は、軽い足取りで帰路につく。

 残業がないだけで、こんなにも楽になるんだねぇ。

 逆に元気があり余り過ぎているくらいだよ。


 だがしかし、私は知っている。

 家に着いた瞬間、これだけ残っている気力が全て吹き飛んで何もやる気が起きなくなることを。


 ……あれだけ家に帰ったらあれしようこれしようと考えていたのに、いざ家に着くと死んだように無気力になるの社会人あるあるだよね。


 でも、私は違う。

 なんたって葛葉ちゃんがいるからね。

 彼女のためなら、残業上がりだろうと何でもできちゃうわ。


「ただいま~」


 玄関を開けると、葛葉ちゃんが私のもとに走ってくる。

 いつもは元気で「おかえりなさい」って言ってくれるけど、今日の葛葉ちゃんは泣きながら私の足にしがみついてきた。


「わっ!? ……葛葉ちゃん、どうしたの?」


「うぅ……ひっぐ……ごめん、なさぃ……」


 泣きながら謝ってくる葛葉ちゃん。

 話を聞いてみたところ、洗濯に失敗したようだった。


「なるせお姉ちゃんがかえってきたときにおせんたくされてたら、よろこんでもらえるかなって……でも、しっぱいしちゃって…………おこるよね……」


「怒るわけないよ」


 なだめるように頭を優しく撫でると、葛葉ちゃんはようやく落ち着いてくれた。


「……こっち」


 葛葉ちゃんに連れられてリビングに向かうと、そこにはたくさんの衣類が散らばっていた。


 色移り、シワまみれ、毛玉まみれ、サイズが縮んでしまったものなどがいくつもある。

 ついでに、すべての衣類からドギツい臭いが放たれていた。


 ……うん、洗濯の失敗例のバーゲンセールだね。

 ちょっと何がどうしてこうなったのか分からないかな……。


「ごめんなさい……」


「さっきも言ったけど、怒らないから大丈夫だよ。だって、葛葉ちゃんは私のために頑張ってくれたんでしょ?」


「うん。なるせお姉ちゃんによろこんでほしくて……」


 本当に、私にはもったいないくらい健気でいい子だ。


「葛葉ちゃん、ありがとね」


「……どうして?」


「そりゃもちろん、葛葉ちゃんが私のために頑張ってくれたことが嬉しいからだよ」


「……ほんとに?」


「うん、ホント。よく頑張ったね、葛葉ちゃん」


 そう伝えると、葛葉ちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。


「えへへ。やったぁ!」


 この笑顔を見れただけで私は満足だよ。

 葛葉ちゃんてぇてぇ。


 なお、洗濯ものを片付けたところで私のやる気は完全に消失した。

 社会人あるあるの呪縛から逃れることはできなかった。

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