第15話 水子

 翌日。

 佐々木さんからまた相談を受けた。

 この前生き霊を祓ってあげた他校生・倉持さんが未だに幽霊被害に悩まされているらしいのだ。


 とりあえずまた明日倉持さんを連れてきてくれるそうなので、佐々木さんが帰ったあとに佐那とハルカ、そして新たに生徒会役員となったリナと雑談する。


「また生き霊が寄ってきたのかしらね?」


「あれだけボコられたんやから、違うんやないか?」


「あれだけボコっていましたからねぇ」


 そこまでボコってないわよ。殴って踵落とししただけなんだから。


「基準が狂っとるなぁ」


「一体どんな修羅の国で育ったんですかねぇ」


 修羅って。友達に向ける言葉じゃないわよね。……私たち、友達よね?


 私が友情について哲学的に考えているとリナが少し震えながら右手を挙げた。


「あの、杏奈? 生き霊とかボコったとかって……何の話?」


「そういえばあのときリナはいなかったわね。さっきの佐々木さんの友達が生き霊に取り憑かれていたからボコってやったのよ」


「? うん? なに? どういうこと? なんで取り憑かれた人をボコるの?」


「杏奈、杏奈、それ説明になっとらんから」


「リナさん。深く考えてはいけません。どうせ詳しく説明されても理解できませんし、杏奈ちゃんと付き合っていれば嫌でも理解できてしまいますから」


 なんだか貶されている気がするのは気のせいかしらね?


 混乱に拍車を掛けるリナを哀れに思ったのか(前言を撤回して)佐那が追加で説明してくれる。


「いいですかリナさん。杏奈ちゃんは霊感があります。それはもう非常識なほど。素手で幽霊に触れるほどに」


「? うん?」


「その特殊な能力を活かして杏奈ちゃんはよく幽霊退治をしているのです。主に物理攻撃で」


「? はい?」


「そして先日も倉持さんという方を助けたのですが、どういうわけかまだ幽霊に悩まされているみたいですね。杏奈ちゃんが獲物を取り逃がしたことはないのでたぶん別件ですね」


「? ごめんなさい、よく分からないわ……」


 佐那の言うとおりになってしまうリナであった。改めて説明されると私って非常識に見えるわね。


「見える、やなくて非常識そのものやからな?」


「杏奈ちゃんの常識はこの世界の非常識。もはや世界の真理ですね」


 どういうことやねーん。


 やはり説明するよりは直接見てもらった方がいいでしょう。

 というわけで明日の私に丸投げした今日の私であった。







 まったく大変なことを丸投げしてくれたものである昨日の私。


 生徒会室にやって来た佐々木さんと倉持さん。その二人の姿を見てハルカは『うわぁ……』と心底嫌そうな声を上げ、佐那は『最悪です……』と絶望の声を上げた。


 ちなみに霊感のないリナは『なんだか急に寒くなったような?』と首をかしげていた。


 それはつまり、霊感ゼロの人間すら感じ取れてしまうレベルの“もの”が部屋に入ってきたわけであり。


 生き霊に取り憑かれていたときよりも体調が悪そうな倉持さん。彼女の腰に“それ”はいた。


 おかっぱ頭の女の子。年齢は五歳くらいだろうか? 一見するとただの和服の子供でしかない。


 ……ゴメン嘘ついた。どこからどう見ても『ただの』子供には見えなかった。彼女から発せられている禍々しい邪気とでも言うべきものは濃度が濃すぎて周りの空間が歪んで見えるし、その邪気は絡め取るように倉持さんの腰に巻き付いている。


 水子。

 初めて見るけれど水子だと直感で分かった。昨日佐那が憂鬱そうに厄介だとつぶやいていた幽霊。なるほど読経などの除霊手段に効果があると思えないし、邪気を無視すれば見た目は少女――いや幼女なのでぶん殴るのも気が引ける。


 あ~なるほど倉持さんが言っていた幽霊被害で『腰にしがみつかれた』とか『乳首を噛まれた』ってのはこの水子ちゃんの仕業だったらしい。母親を求めて腰に抱きつき、おっぱいを吸おうとして噛んじゃったと。


 ということはあの中年男は――と私が考えているとハルカと佐那が小声で相談していた。


「……佐那。なんかうちでも分かるくらいにヤバそうやけど、どないするん?」


「……私じゃどうしようもないですね。何をやったのか知りませんけど、たぶん“水子”という概念そのものと繋がってしまっています。“母親”からの愛を受けるまで満足しないでしょうし、ここまで強力だと本庁の力を総動員してもお祓いできるかどうか……」


 専門家の中の専門家でもお祓いは難しいらしい。


 まったく分かってないわねぇ。

 何でもかんでもお祓いしようとするからややこしくなるのよ。


 よく見れば分かるはず。

 水子ちゃんは邪気を外に向けることはなく、“母親”を逃がさないようしがみついているだけ。


 よく耳を澄ませば聞こえるはず。

 水子ちゃんの『お母さん、お母さん……』と母親を求める声が。


 怨霊じゃない。

 ただ、知らない人がいっぱいいて怖がっているだけ。

 ここは安心させるべきでしょう。


「……ほ~ら怖くないわよ水子ちゃん!」


 私が満面の笑顔でそう口にすると。なぜか、なぜか邪気が突風のようにこちらへ向けられた。机の上の書類は一瞬で吹き飛び窓ガラスすら弾け飛ぶ。


「な、な、なにをしているんですか杏奈ちゃん!?」


 あら佐那が取り乱すなんて珍しい。

 水子ちゃんを怖がらせると悪いから、敵意がないと示しているんじゃない。ちなみに今の私は腕をいっぱいに広げているのでいつでも水子ちゃんが飛び込んできてもOKだ。瀬戸内海より広い私の包容力を見せてあげましょう。


「あ、アレを前にしてどうしてそんな発想が出てくるんですか!? 下手をすれば歴史に名が残るレベルの怨霊ですよ!?」


 え? マジで? 三大怨霊級? あんなに可愛い美少女に対して失礼すぎじゃない?


「お、怨霊まで守備範囲なんですか!? この女たらし!」


 ひどい言いぐさである。


 元気にツッコミ(?)してくる佐那だけれども、邪気の奔流に負けたのか床に片膝を突いている。なにやら右手にお札を準備しているので結界的なもので防御しているのかもね。ハルカとリナもそんな佐那の背中に隠れている現状だ。


 とりあえず佐那に任せておけば大丈夫そうなので私は倉持さんと水子ちゃんに向けて一歩踏み出した。

 水子ちゃんは恐れるように倉持さんに抱きついて『お母さん! お母さん!』と必死に声を掛けているものの、倉持さんが気づいている様子はない。むしろ邪気のせいで気を失っているというか、一種のトランス状態になっているのか反応が薄い。


 でも。

 きっと。

 たとえ意識がハッキリしていても、倉持さんが水子ちゃんに答えることがないでしょう。今までがそうだったのだから。水子ちゃんに気づいて、抱きしめてくれていたならここまでややこしくはなっていなかったはずだ。


 どういう経緯かは知らないけれど、抱きしめてもくれない女性を『母親』だと認識している様は……正直、哀れですらある。


 だからこそ私は首を横に振った。


「――見る目がないわね、水子ちゃん」


 私の声を受けて水子ちゃんがビクリと肩をふるわせた。


 気持ちは分かる。

 大きい人って怖いわよね。人間って怖いわよね。――私も同じだから(・・・・・・・)、よく分かるわ。


『こないでっ!』


 邪気が明確な意志を持って私に襲いかかってきた。歩みを止めようと足に纏わり付き、腕にも絡みついてくる。


 視界の端に赤ん坊が映った。血まみれの赤ちゃん。顔のない赤ちゃん。バラバラに切り刻まれた赤ちゃん……。無数の、様々は状態の赤ちゃんが私にしがみついている。


 鈍痛。

 無数の赤ん坊に引っかかれているような。そんな痛みが腕や足に走った。


 激痛。

 たぶん、赤ん坊の一人に指を一本折られた。


 このまま縊り殺されるかもしれない。

 邪気に犯され命を落とすかもしれない。


 けれども私に恐怖はない。

 本当に怖がっているのは――彼女たち(・・・・)なのだから。


 かつての佐那の言葉を思い出す。


「親に捨てられて。親に殺されて。そんな経験をすれば『大人』が怖くなるわよね。分かるわよ。とってもよく分かるわよ」


 だって。

 私もそうだったから。


「……年長者として助言するけれど、抱きしめてもくれない女性を母親だと思うのは止めなさい。どうせ振り返ってはくれないもの。どうせ捨てられてしまうもの」


『…………』


 私の言葉が届いたのかどうかは分からないけれど。私の身体に巻き付いていた邪気がわずかに緩んだ。


 同時に、倉持さんに纏わり付いていた邪気も離れていく。


 あと一押し。


 私はリナじゃないので『抱きついてきなさい!』と待てるほど優しくも気長でもない。抱きしめたいのならば抱きしめるし、相手の反応を待つつもりもない。


 私は足早に水子ちゃんへと近づいて、そっと抱きしめた。

 ちょっと驚かせてしまったのか一瞬邪気が私を締め付けたけれど、まぁ死にはしない程度なので可愛いものだ。


 水子ちゃんの肩に顔を埋めながら、彼女の背中を優しく撫でる。


「どんな事情があるかは知らないわ。でも、泣きそうな顔をして母親を求めているあなたのことは放っておけないわ。――私も、きっとそんな顔をしていたもの」


 だから、


「あなたさえよければ、私をあなたの『お母さん』にしてくれないかしら?」


『…………』


 水子ちゃんは何も言わなかった。

 ただ、私の背中に手を回し、弱々しく抱きしめ返してくれた。


 こうして。

 私は女子高生にして母親になった。らしい。




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