★ヤバイおっさん達に好かれた一般人の場合 1%

思い返してみれば、その日は朝起きた時からいつも通りとは言い難かった。

前日の夜にセットしたはずのアラームは鳴らず、全力で走ってギリギリいつもの時間に間に合ったと思ったら電車の方が遅れていて、入社して以来初めての遅刻だったが、平等な上司によって厳しいノルマを課せられた。おかげで昼食は片手で飲み込めるゼリーのみ、残業で頭の回らなくなった私はもうどこも閉店の時間なのに、辛いことがあった日に必ず立ち寄るアクセサリーショップに行き、当たり前にかかってる「CLOSED」の文字にガックリしながらいつもより遠い帰路についた。明日が休日じゃなかったらタクシーを使いたくなる距離だった。今朝からやたらと見る工事中の看板に行ったり来たりしながら、それでもまっすぐに誰も待っていない我が家を目指した。

ここまでならちょっとイヤな一日だったで済んでいたのに、まさか人生最悪の一日に、いや、最悪の人生が始まる日になるだなんて想像もしていなかった。


「危ない!」


ヨロヨロと歩いていた私に衝撃と熱とその言葉が突然飛んできた。遠くで鳴る複数人の走り去る音と近くで鳴る舌を打つ音。脳が処理しきれず夢と錯覚するのも無理はないだろう。

固まっていると近くにあった熱が飛んできたときと同じように急に離れた。


「おい、生きてるか?生きてるよな」


何やら心配そうに尋ねてくるので「いい人」と判断した私は、未だ回らない頭で目の前の男に言葉を投げた。


「あなた、熱、すごい」


「は?」


「傷も、やばい」


「あ?あぁそうだな?」


こちらはカタコトになっているにもかかわらず、真面目に返事を返してくれるので「いい人」の中でも「めちゃいい人」だと思った。それと同時に走り去った足音の人達は「めちゃ悪い人」なんだと思った。だから、次に出た言葉は当然当たり前のことだった。


「警察行きましょう」


「駄目だ、急に流暢に喋ったと思えば……もう大丈夫そうだな。いいか、今見たことは忘れろ。あ、コラ!いま通報しようとしただろ」


悪い人がいたので通報する。とても普通のことをしようとしたのにスマホを奪ってでも止めようとしてくるので混乱する。女相手に手加減しているのか、本気で押さえつけて来ない姿にやっぱり「いい人」だなと思う。


「せめて病院!」


「は!?お前怪我したのか?どこが痛む?」


「いや、私はしてないけど……オジサン傷だらけだから」


「よかった!ダメだ!俺の事はいいからもう黙って帰るんだ」


私の回らない頭のせいで出た初対面の相手には失礼かと思われる言葉を完全にスルーして人の心配までするのだから、これは「とてもいい人」に違いないと思った。警察も病院も嫌がるが、きっと何か深い事情があるのだと思った。


「じゃあ私に手当させてください、さもないと必ず警察に通報します」


人を脅すのは初めてだったのでドキドキした。しかし、すぐによく響く笑い声が聞こえ、しょうがねぇなと了承を得られたのでとてもホッとした。


その後は今までの押し問答が嘘みたいにトントン拍子に進んでいった。

幸か不幸かもうすぐという距離まで近づいていた自分の家に招くことになった。きちんと頭が働いていれば初対面の男を家に上げるなんて絶対にしなかったのに、その日頭が正常に働くことはとうとうなかった。男の方も、少し遠い自分の住処のことを考えながら近いならその方がいいかと、二つ返事で頷いた。

近所のコンビニで包帯やらの道具と弁当を買って、帰宅後すぐに手当をした。濡らしたタオルで背中を拭いているときは大型犬みたいだなと思った。二人で弁当を食べたあと、ふらつく男をベッドに押し込むと寒いと言って腕を引かれたが、風邪を移されると困るので自分の代わりに湯たんぽを差し出した。


***

翌日、頭が回らないまま二人分の朝食を作った。男は何も言わなくても料理をテーブルの上に並べてくれて、やっぱりいい人だなと再確認する。

ベーコンと目玉焼きが乗ったトーストを数口食べたところで、睡眠と食を満たした脳みそは勢い良く働き始めた。


「いやこの状況おかしくない!?」


「急に大声を出すな、びっくりするだろう」


「あ、ごめんなさい」


縮こまりながらもそもそと咀嚼を再開する。が、動き始めた頭の中は大騒ぎだった。

「初対面の」「身元も知れない」「謎の集団に狙われていた」「全身傷だらけなのに」「警察も病院も拒否する」「壮年の男」

こんなに怪しいワードが引っ掛かることはないだろうと感心するほどだ。

だが、おそらく自分を守ってくれて、そのせいで傷を増やした病人であることも事実だった。そうだ病人!そう思って顔を上げると穏やかに細められた目とぶつかった。思わずドキリとしつつ口を開く。


「元気そう、ですね?」


「あぁ、おかげさまでな」


「あんなに熱あったのに、もう大丈夫なんですか?」


「昔から体は丈夫な方でな、看病も手当も、そもそも他人に心配される事自体初めてだ」


本当だとしたら可哀想な人だな、いやだからってひとり暮らしの家に招いていい理由にはならないでしょと明後日の方を見ながら自問自答していた。だから不意打ちの言葉でつい大声を上げたのも仕方ないことなのだ。


「俺と結婚してくれないか」


俺に媚も怯えもしない女は初めてだとか、飯も美味いだとか。昨日の私はそうだったかもしれないけど今は縮み上がってますぅと内心涙目になりながらおもしれー女認定した理由の数々をぶつけられる。

そこへ、ちょうどタイミングを見計らったように玄関のチャイムが鳴る。特に荷物を頼んだ記憶はなかったが、これ幸いと玄関に急ぐ。後ろから、待てだとダメだなどと聞こえるが迷わずドアを開ける。


「ボクと結婚してくださいませんか」


おかしいだろう、スマホ小説ならまだ10行ぐらいだぞ。そんな短い間隔で求婚されてたまるかと勢いよくドアを閉めようとした。しかしそれは私に求婚してきた男その2の美しい革靴によって簡単に阻まれてしまう。


「おやおや、どこのゴリラかと思えば……簡単な任務も遂行できない残念男じゃないですか!ワタシは今一目惚れしたこちらのお嬢さんと話すので忙しいんです、森へおかえりなさい」


「ああ゙?テメェこそ人払いに失敗した間抜け野郎じゃねぇか、嬢ちゃんのおかげですっかり毒も抜けたしもうヘマはしねぇよ!嬢ちゃんは今俺が口説き落としてる真っ最中だからお前は泣きながら帰れ」


頭の上で激しい口論が繰り広げられる。話題の中心であるはずの私はというと、その1に肩を抱かれその2に両手を握られながら、20超えても嬢ちゃんとか言われることあるんだなぁ、と緩やかに思考を放棄していた。


***

男が一目惚れをしたのは本当の事だった。だがそれは今ではなかった。初めての会話で舞い上がってしまい、用意していた言葉も忘れて、ついうっかり求婚してしまうぐらいには長い期間拗らせていた。

初めて見た彼女はセーラー服を着ていたので、さすがになぁと思って一旦は見なかったことにした。でもやっぱり忘れられず卒業を待ち、機会を伺っていた。男は恋愛においてはだいぶ慎重な性質だったから、その時が来るまでの間に彼女は立派な社畜になっていた。


彼女の務めている会社はまあまあ黒くて、内情を探るのは簡単だった。彼女が目覚まし時計代わりに使ってるスマホをイジるのも、保険のために電車を止めるのも、彼にかかれば朝飯前だった。堅物ブラックな上司に怒られる彼女には少し申し訳なさを感じたが、あとでいっぱい慰めてあげようとルンルンしながら思った。彼女が心の支えにしている安っぽいアクセサリーショップに嫉妬しては何度も潰してやろうかと思っていたが、使えそうだったので今日まで残しておいた。いずれもっとずっと良い物で埋め尽くしてやろうと考えている。疲れると頭が回らなくなる所もかわいいなと眺めていたが、工事中の看板通りにラジコンされてしまうのは大丈夫かなと心配になった。

あとはまぁ、流れ弾にでも当たって傷ついたところを優しく介抱してやれば、優しくて馬鹿な彼女はボクにメロメロになってくれるだろう。そんなことを考えていた。


だが、彼女を助けたのはあのゴリラ野郎だった。

こいつなんで動けてんの?と思った。いつもより多めに、普通の人間なら一瞬で命を落とすぐらいの量の毒を盛って、これだけやれば動けなくなるだろうと思っていたのに、ゴリラにも限度があるだろう。

しかもなんだ?馬鹿と馬鹿の相乗効果であっさりとお泊りが決まっていく。知らない男を家に招くな!脳筋野郎はもっとしっかり断れよ!馬鹿すぎてお互いが男女って気づいてないのか?それでもさすがになにか起こるだろうと、それで傷ついた彼女を助ければいいかと見守っていたが極めて穏やかな時間が流れていく。


これまで彼がちょっといいなと思った女性が、往々にして猿とバカにしている男に心奪われてしまうのは、そういう紳士的な所があるからなのだが、それを知る者はここにはいなかった。


朝食を食べてやっと事態のヤバさに気づいたお嬢さん。もっと早くに気づいてほしかったが、まぁいい。そこに例のプロポーズだ。逃げなきゃと思っているだろう。助けを求めているだろう。今このタイミングだ!警察を装って怪しい男を見なかったかと聞けば、もしかしてと奴を差し出すだろう。最良の第一印象で接点さえ作ってしまえばあとはどうにでもなる。

そんな考えで意気揚々と飛び込んでいったのに、あんな不安そうな、かわいい顔を正面から見てしまったら敵わない。脊髄反射で勝手に口が動いていた。


「ボクと結婚してくださいませんか」


あぁ、また別の作戦を考えなくては……。

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