☆推しに一目惚れされたアラサーおじさんの場合 60%
「落としましたよ」
困惑した。
ハンカチを落とした僕の背中に、聞き慣れた鈴の音みたいな声がかかる。
内心大慌てで、あくまでも平静を装って振り向き、お礼を言おうとした瞬間。
「初めまして、好きです」
自分より10は離れているだろう彼女の声は、僕の思考を止めるのに十分すぎた。
***
ビールを開けてつまみの菓子を並べてパソコンの前で待機する。
最近話題のVTuber結坂きりな、彼女の配信がある日の僕のルーティンだ。彼女の声は仕事で草臥れた心を癒やしてくれる。
『こんばんはー! みんな元気してるかな? 私はいつも通り元気だよ!』
コメント:こんー
コメント:こんきりー
コメント:こんばんわー
『今日も雑談ときどきゲーム枠だからよろしくね』
コメント:きたあああ
コメント:待ってました!!!
いつも通りの光景に安堵と困惑を覚える。
やはり昼間の出来事は夢か幻か……そもそも自分の勘違いだったのかもしれない。なんにせよ大変な事態に違いないのだが。いつもより弾んだ彼女の話し声をBGMに、人生初めての出来事に対する考え事をする。
『今日ね、すっごくいいことあったの!』
コメント:なになに
コメント:何があったん?
コメント:結婚した?
コメント:おめ
『あはは、違うよ。でも惜しいかもー!聞いて聞いて!』
コメント:ざわざわ
コメント:きいてるよー
コメント:落ち着けw
『好きな人ができました!』
『あのね!一目惚れなの。ハンカチ落としましたよって声かけたら好みドンピシャでね!好きですって言って連絡先も交換してもらっちゃった!』
コメント:えらい
コメント:行動力マッハじゃん
コメント:式場予約した?
コメント:展開が早すぎるw
コメント:マジかぁ……
コメント:その人は平面?
コメント:混乱なう
コメント:とりあえず応援するぞ
コメント:がんばれ
一瞬固まったコメ欄が爆速で動き出す。
凹んでいる者もちらほらいるが一気に応援ムードになる。きりなさんのファンは本当にあったかいなぁ。きっと彼女の纏う穏やかな空気がそうさせるのだろう。
『ありがとう!頑張るよ!じゃあそろそろゲームでも始める?』
コメント:そうしましょう
コメント:賛成
コメント:きりちゃんの恋路を邪魔する者は許さぬ
コメント:お前らw
コメント:おk
コメント:やるか
コメント:今日は何やるんだろう
……、待て待て待て待て!?
僕のことじゃないか!やっぱり夢でも何でもなかったんだ!僕の耳が間違ってたわけでもなかった!それはそうと、君たちこんな爆弾発言あっさり流していいのか!?
気が動転して呑気過ぎる視聴者達の心配までしてしまった。
画面の向こうでは既にゲームの用意をしている彼女。大人気ゲームらしく、コメ欄は大いに盛り上がっていた。
しかし、僕はもう配信を見るどころではなかった。今日連絡アプリに強引に入れられた、彼女と少し似た名前を呆然と眺めて「どうすれば」と独り呟いた。
***
俺の同僚はすごくモテる。しかし、今は仕事一筋で頑張りたいからと告白の類いは全て断っている。
そんな男が、メッセージアプリと長時間にらめっこしているのだから気にならないわけがない。
「……もしかして女か?」
直球で疑問を口にする。するとそいつはなんとも歯切れの悪い曖昧な返事をする。眉間にシワまで寄せている。そんなに渋い顔をするぐらいなら、いつもみたいにさっさと振ってしまえばいいのに。
「いや!そんな……傷つけてしまうかもしれない」
軽い口調で言った言葉に大げさなリアクション付きで返される。
(そりゃもう恋だろ。)
男のコイバナなんぞに興味はないので適当に話題を変える。
「そういや昨日のきりちゃんの配信見た?」
「え!?あ、あぁ見たよ」
マズッたか?昨日の爆弾発言はコイツにとってショックなことだったのかもしれない。沼に引き込んだのは俺だが、まさかそんなにハマるとは。責任取って今度飯でもおごってやるか。
(全然話変わってない……)
まさか内心そう思われていたとは知らず、俺はその後も雑談を続けた。
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