第3話 天使

 双眼鏡がなくても虹色の球体を十分に目視できる距離まで接近したときには、迎撃準備は整っていた。


 対空砲や固定機銃に加え、俺達分隊も二人がかりで持ち運ぶ50口径銃を揃え、弾を込めて射程距離まで待つ。


 雨が遠慮なく身体を濡らす中で、化け物を黙って待ち構えるという恐怖から、俺は新兵たちと同じく吐き気を催していた。


 何度でも言う。一度も地上の前線に出たことはない。

 後方支援に配備された給料目当ての軍人だ。


 俺の略歴はこうだ。

 世紀末から恐怖の大王こと天使と呼ばれる化け物が降ってきた事で徴兵制へと法改正した。

 それで、本格的な『妖怪神国 国軍再軍備令』に従い、国民の義務として満18歳で身体検査を受けたが、俺は兵隊になるのが嫌で大学に進学した。

 しかし、奨学金という名の借金のせいで、実家に金もないし渋々ながら大学3年の21歳で休学し、兵役についた。


 二等兵として半年間訓練した後、平野三平一等兵として最初の配属先で、高卒がコンプレックスの碌でもない万年一等兵の『おすけ』野郎に目をつけられ、星(地位)は一緒だがベテランだからと威張り散らされパワハラとビンタを浴びせられて、まず軍も何もかも嫌になった。


 配置換えを頼むには身分が低く説得力がないので、徴兵されて兵役についた者としては珍しく選抜試験を受けた。

 試験を受けることは、やる気があるということで毎年奨励されているが、兵隊で食ってくつもりもない『普通の』奴なら受けることは少ない。俺は、自分を守るため逆張りしたのだ。


 筆記、体力測定、基本的な実技試験を経て上等兵になった。

 大学行ってたお陰か知らないが、筆記が優秀だったらしい。

 ゆえに、配置換えを希望したらあっさり叶ってトーチカ勤務にまわされ、同じく周囲からインテリ扱いされていた山田太郎一等兵とウマが合って、無能な威張り馬鹿オヤジ兵が大嫌いで新兵と女性に優しいヘラヘラした態度のチャラ男上等兵となった。


 今後は、除隊までの給料と、退役軍人会の優遇支援と年金とをあてに温々と暮らす予定にしている。まる。


 人生と展望を見ても、戦闘のせの字もないことが分かるだろう。

 街を守るとか、ましてやお国の為とか、人間じゃあるまいし。

 戦うのはランボーな映画とファミリーコンピューターの中だけでいい。平和主義だ。


 ちなみに、恋人と駆け落ちした兄貴が家に残したファミコンのドラゴンクエストが大好物だ。

 最新ゲーム機のスーパーファミコンの幽世輸入を胸高く待っていたら、幽世の門が締まりやがった。


 くそっ。



 出来れば、交戦はこれで最初で最後になって欲しい。


 俺は無線での命令を待つ。

 機銃を持つ射手も給弾係も新兵だ。

 ガタガタ震えているのが見えたが、俺もガタガタ震えている。


「対空砲 撃ち方始め」


 無線指令の後、腹に響く発射音が轟いた。

 遠くの丘からだった。


 効いているのか?当たっているのか?よく分からない。

 願わくば、これでくたばってほしい。


 俺の期待を裏切り、程なくして飛翔体は大きさを増しながら近づいてきて、その全貌を現した。

 翼でなく小さな虹を両端に掲げた、虹の他に玉虫色とも言える複雑な色味を持つ最低でも山一つありそうな巨大な球体だ。


 多分必ず絶対に、天使の類だ。


「固定銃座 撃ち方始め」

「撃てっ!」


 今度は対空機銃が火をふく。

 曳光弾と共に飛んでいく銃弾を物ともせず、当たった所に波紋をたてながら天使がやって来る。


 腕の太さはある大口径弾が効かないのに、こんな火器が効くわけない。

「全軍 撃ち方始め」

 やけくその様な無線司令を受けた太郎が俺の肩を叩き、俺は部下に撃てと叫んだ。

 だが、俺が叫ばなくても、そこかしこで一斉射撃されていた。

 陣地の中には恐慌して手持ちの小銃を発砲する奴もいた。


 巨体を震わせながら、俺達の真上まで浮いてきた天使が、今度は地面に降りようとしている。


おいおいおいおい…!


 俺は悲鳴をあげた。

 天使が地面にぐんぐん降りてくる。

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