第2話 三平
西暦2024年8月。
俺は戦友の太郎と共に、地下街の闇市を歩いていた。
闇市は配給券や物々交換が基本の商売だが、中でも大量生産された銃の弾薬と食料との交換が当たり前になり、拝領された銃を早々に売っ払って弾丸に替え、糊口をしのぐ不良兵がいたり、用心棒のつもりか売り場の奥に籠もらずに立っているやくざ者やならず者も見受けられる。
時代錯誤な入れ墨が目に止まっても顔をみないように歩いた。徴兵されたあと給料目当てに軍人やってるだけで暴力に巻き込まれるのは真っ平ごめんだ。
本来ならば、各地下街ごとに設置された市内警察が治安維持すべきなのだが、戦況が悪化し取締を執行する官憲の人数が少なくなった昨今、特にスラムの闇市の場所を巡って暴力団が絡むことが多い。
また、敵は主に空から攻めてくるため、命綱は小銃なんかよりトーチカに設置された機銃を代表とする対空火器や『地上部隊』にあり、また、数が多いだけの俺達河童がいる陸軍よりも飛行機や空を飛べる天狗みたいな妖怪による空軍こそ軍の肝だ。
闇市を悪く言ったが、闇市より違法な脱法所と呼ばれる場所で密かに薬物をやって、何に使うのか分からない拳銃や刀やサーベルがこちらに向くより、弾しか持たない奴の方がマシなのかもしれない。
蝋燭や切れた電球、定期交換が遅れがちで、チラチラと光る市管理の蛍光灯なんかが並ぶ暗い地下の闇市の区画にいると、まるで自分達が黄泉か地獄にいる西洋の悪魔の気分になる。
薄ら寒い妄想を頭から振り払うが如く闇市を抜ける。
地下鉄のトンネルで大規模工事を繰り返し防空壕単位だった穴蔵を無数につなげ、物流と人流をつくった蜘蛛の巣とも呼ばれる線路道を横切り、鉄道脇の階段を登って地上の塹壕へと至った。
そこに、年月を経て着色した白いコンクリート打ちっぱなしの特殊塹壕ことトーチカが草木に隠れている。
トーチカへ上がると俺や太郎の他に新兵たちが先に来ていた。員数を目で確認する。いつものメンバーだ。
「ヒトヨンマルマル、人員交代します。」
形式張った物言いをした俺に、ベテランの上等兵が首を鳴らした。
「やっと交代か。おい、
こういうときは『仕事上がり』とは言わないで、仕事下りと言う。
街も寝蔵も地下にあるからだ。
ぞろぞろと地下を降りる兵士たちに、内心ではもう帰りたいと思いつつ、ふと太郎を見た。
太郎も同じことを考えていたらしい。そんな顔をしていた。
俺は狭いトーチカに自然と出来た腰掛けの角に座ると、窓の外を眺めた。
「雨が降ってきたな。」
間の抜けたことを言う。
肩に下げた小銃が、支給前から使い込まれてニスが剥げた木製部分が湿気を吸って陰鬱に重くなった気がした。
まだ実包訓練以外で一発も撃ったことはない。手入れしないとカビでも生えそうだ。
1950年代後半にGHQから警察予備隊に無償提供されたカービン銃を一丁くすねて、戦争特需で大儲けする前の妖怪一本だたらがコピーを量産したという有り難くもない逸話をもつ年代物の中古銃だった。
最前線でなければ、新兵でさえ新しい銃が行き届くことは少なく、本気で武装するなら闇市へどうぞといった格好だった。
妖怪神国だかの、ふわっとした名前の国がつくった正規の市場や品物は皆高くついた。
恐怖の大王こと天使は、何も残さない。
目的は、分からない。
天使は沢山の眼がある球体で、翼の形の白い羽毛を伴って、空から舞い降りてくる時は全て同じ様な姿をしている。
だが、地面に降り立つと出鱈目に頭が生えた龍になったり、顔が百個はあるかという王冠を被った人面の獣に化けたり、様々な姿になって襲いかかってくる。
そのどれもが巨大で、殺害したとしても、硫黄の匂いのする液体や腐臭を撒き散らす肉の塊になるため、死体処理まで気分を悪くさせた。
最前線では戦いの最中に、飛んでいる間に敵が球体のまま眼から光を放ち、光線を浴びて蒸発死する羽目になった奴もいるらしい。
そして、それはまだマシな死に方らしい。
人面に生きながら踊り食いされる戦友らを前にして、隠れる場所もなくしぶとく敵を討つ奴が生き延びていき、最前線送りから帰ってきた新兵は皆、目の据えた悪魔の顔になっていた。
運良く後方に配属され、対空警戒にまわされた俺は、トーチカから空を眺めて警戒する体を保ちながら、物思いにふけることで時間をつぶす事にした。
平和な80年代90年代初頭という幻想を話すベテラン兵士や上官に混じると、俺のような1990年代末期の生まれや2000年代以降の連中は不幸なのだと言われる。
生まれた時から、こんな戦争に徴兵される運命だった不幸世代なのだ、と。そう言われても、
「おい」
俺達はこの時代が好きで生まれたくて生まれたわけじゃ…
「おい、三平。あれは何だ?」
太郎に呼ばれて我にかえると、指差す方に目を凝らした。
雨雲に混じって、点が見える。
慌てて首に下げた双眼鏡を覗くと、そこには何か球体らしきものが空に浮いていた。
「天使か!?無線無線無線!」
泡をくった俺は、口では無線を連呼した。
双眼鏡の倍率が上がるわけではないが、目玉を双眼鏡に押し付けて集中した。
たしかに、それは球体だった。完璧な球だ。
だが、黒い雨雲に対して虹色で、目玉が無く、翼の形をしたものを伴って浮いていたりしていなかった。
天使にしては奇妙だったが、それでも俺は戦慄した。主戦場のタバルからも遠いここは、退屈で死ぬことはあっても天使に殺されるような所ではない。
太郎は興奮し、トーチカ内で大声を張り上げて無線で、異常ありの旨を告げた。
無線先は淡々とした応答で異常は何か尋ねる。
「天使らしき飛翔体あり!現在確認中!繰り返す!天使らしき飛翔体あり!」
まくしたてる太郎の様子を見る余裕は俺には無かった。
無線は対空砲や対空機銃のある塹壕に伝わり、そして、空襲警報の音が鳴り響いた。
最悪の一日が始まった。
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