一之五 慶長2
後日、彼は朝早くに村に来た。はるの家の近くで待つと、戸ががらりと開く。はると両親が現れた。紅葉の存在にはるは驚愕した。
「法泉さん!」
「廉太郎さん、わかもさん。はるちゃん。おはようございます」
紅葉は頭を下げて挨拶をする。彼女に会いたかったのもある。本題は廉太郎の猿の話が気になったからだ。狒狒の言葉通りなれば、玃猿が来ている可能性がある。しばらくこの村の巡視を始めるつもりだ。
はるは嬉しそうに駆け寄り、紅葉の目の前に来る。彼の顔を見て頬を赤くし、首を横に向けた。その仕草を可愛いと紅葉は思いながら、顔がにやけないように穏やかな笑みを保った。つまり、彼の内心は三日三晩の宴の状態が続いており、顔に出さないよう勤めているのである。はるはゆっくりと顔を向けた。
「……どうしてここにいるのですか?」
「ちょうどはるちゃんの家に通りかかったから、挨拶しようかなと思ってね」
嘘をつく。紅葉は心配になって来たのだ。彼女にはそれぞれの時期の花をあげており、お守りとしての力を宿している。家と家族を守る。また香りにも力があり、邪なものを遠ざけていた。
次は人避けでもかけようかと彼は考えると、はるが嬉しそうに笑う。
「そうなのですか。嬉しいです」
「──そっかぁ」
嬉しそうな笑顔に紅葉は頬を赤くして頭を掻く。顔に出ているだろう。娘が嬉しそうなのが、二人の夫婦も嬉しいようだ。紅葉は夫婦にも声をかける。
「廉太郎さん、わかもさん。僕も付いていってもよろしいですか?」
「ええ! 娘が喜ぶわよね。ねっ、お父さん」
「ああ、歓迎するよ」
優しく暖かく迎え入れられる。
暖かな彼らを見て、紅葉は笑みをやめた。詳しい経歴も訪ねず、怪しまずに受け入れてくれる。打ち明けたくないが、このまま打ち明けないのもよくない。彼らの感謝を行動に示した。
「──ありがとうございます」
紅葉は深々と頭を下げて、顔をあげる。
前に廉太郎とわかもが共に歩く。はると共に彼は歩いた。紅葉は彼女の歩幅に合わせて隣を歩く。彼の足取りは軽く、両想いなのが嬉しかった。夢でないかと疑いたくなるが、浮かれている場合ではない。
紅葉は目を動かして周囲の気配を探った。探りに気づき、玃猿は警戒を示すだろう。脳のない妖怪とは違うが、獣であるには違いない。火縄銃では身動きが素早い相手では不利だ。ただの動物ではなく知恵がある。一応小太刀を隠し持っている。
「法泉さん。険しい顔をなさってどうしました?」
「あ、ああ、ごめんね。考え事」
「悩ましいことですか?」
「んー……うん。そうだね」
相槌を打って、彼らを守る方法を考えた。前にいるわかもと廉太郎を見る。腕を組んである姿は仲良く微笑ましい。二人は振り返り、紅葉とはるに笑う。
「二人とも仲良いな。なっ、わかも」
「ふふっ、ええ。法泉さんがそばにいるなら安心できるわ。──はる、法泉さんをつれてこっちへきなさーい!」
「はぁーい」
はると紅葉が前にいた瞬間、二人の夫婦から離れた場所に大猿が現れた。老いた猿のようであり、色が黒い。はるは目を丸くし、紅葉が駆け出し二人の夫婦の間を抜ける。人では目に止まらぬ早さだ。
「一分咲・金剛花」
彼は言霊を使う。彼の全身が仄かに光った。猿は二人に向かって駆け出す。紅葉が猿の腹へ正拳突きを見舞いした。
猿は遠くに吹き飛ばされる。近くを通りかかった村人が目撃し驚き、悲鳴をあげた。
わかもと廉太郎。はるは呆気に取られ、紅葉は三人に声をあげる。
「お三方、早く自身の家へ逃げてください。あの猿は女を狙います。わかもさんとはるちゃんはすぐに家の中へ! 廉太郎さん。僕が時間を稼いでいるうちに早く二人を!」
紅葉は荷を捨てて、小太刀を出した。鞘を抜き捨てると、廉太郎は声をあげた。
「しかし、貴方は!? あの化け物に勝てるのか!?」
「倒して勝ちます。僕が良いと言うまで、外へでないでください」
「お坊様をよんだほうがいい。危ないぞ!」
「いいえ、そんなのより僕の方が強い。廉太郎さん、巻き込まれないうちに早く逃げてください」
淡々と告げる。慢心でいってはない。彼の瞳にあるのは読めぬ翡翠の色だけ。廉太郎は息をのみ、わかもとはるに声をかけて連れていく。
玃猿は臭いで男と女をかぎ分ける。見た目もごまかせる幻術を使用する為に、紅葉は手を出す。
「一分咲・楊貴妃」
花びらがはらはらと彼の周囲を舞う。花びらを一枚つかむと、ふんわりとかぐわしく女のようないい良い臭いを出す。
玃猿は起き上がると紅葉は山の中へ入る。
玃猿の一体は女を逃がしたと誤認して声をあげた。仲間を呼ぶ声だろう。紅葉の臭いを追って玃猿は木々を飛び移る。目の前に玃猿が現れると彼は言霊を吐く。
「五分咲・彼岸」
小太刀の刃が紅くなり、目の前の猿を縦真っ二つに裂く。彼岸の桜の花が舞い、追撃に胴へ横線を入れた。四分割された玃猿は息絶えており、周囲から動揺を感じる。紅葉は気配を追い、地面を力強く蹴る。音もなく木の枝に降り立ち、一体の玃猿が紅葉の姿を確かめて焦る。
[ぬっ、男……!?]
動揺する相手。紅葉はわざと女のように艶やかに微笑む。
「ふふっ、もしかすると男装しているだけなのかもしれませんよ?」
揺さぶりをかけ、相手を混乱させる。臭いで段々と紅葉を女と誤認し始めているだろう。紅葉が使用したのは、相手を狂わせる匂いや精神的に攻撃も可能。そのせいで玃猿は隙を作り出してしまった。目の前に紅葉がおり、彼は躊躇なく刃を突き刺した。
彼の内心は戸惑っている。ここまで冷淡になれてしまうのかと。紅葉は命が消える場面を嫌いで苦手だ。だが、頭にはる達の顔がよぎる度に許せなくなり、小太刀の握る力が強くなる。
すとんと彼は納得がいき、口角を上げる。
──ああ、そうかと。
「大切な人々に手を出そうとした蛮行を許せるわけない」
目を細めて、姿を変える。巫女装束を動きやすくしたものに変え、言霊を使う。
「七分咲・金剛の槍」
彼の周囲に鋭い金属の刃が数本現れる。彼は口に小太刀を咥えて、宙に浮かぶ数本の刃を両手に納めた。木の幹に足を着けて、空高く飛び上がる。木々よりも高く飛ぶ。臭いに狂った数匹の玃猿が現れて紅葉の後を追った。獣を目にして彼は目付きを変える。
殺すと相手にわからせるべく、容赦のなさを見せた。
両手の刃をすべての玃猿に投げつけ、動きを鈍らせる。一体の玃猿の首に深く刺す。動かなくなった体を踏み台に次の玃猿に標的にする。相手は腕を振るい、紅葉を遠くに飛ばした。彼は眉を潜める。隙を作らず、小太刀を振るって玃猿の頭に投げつけた。頭を刺されて、力なく地面に落ちていく。
着地をして、残りの降ってくる玃猿に言霊を吐いた。
「七分咲・桜の細雨」
彼の周囲には桜の竜巻が現れる。玃猿を飲み込み、彼らを無害な桜の花びらへと変えていった。桜がはらはらと舞う。
纏う臭いを消し彼は元に戻らず、急いで村へと向かった。
全ての玃猿を倒したわけではない。一匹、仲間を呼んだものが残っている可能性がある。わざと臭いをまとわせて、引き寄せたがあの一匹の気配がない。全速力で彼ははるの家のもとへ向かった。
彼女の家の前に着き、すぐに戸を開ける。
「廉太郎さん。わかもさん。はるちゃん! 大丈夫ですか!?」
彼が来て目を丸くする。廉太郎が泣いている妻を宥めていた。しかし、はるの姿がない。肝が冷え、彼は唇を噛む。紅葉に廉太郎は気付く。
「法泉殿。……っその格好は!?」
「はるちゃんは何処にいったのですか!?」
紅葉の大声に廉太郎はビクッと震える。今は急を要する為、彼は必要な部分だけを聞く。
「事情は後で話します。教えてください。はるちゃんはどこに」
「あ、あの子は母親を庇って、大猿につれていかれて山へ……」
廉太郎は戸惑いながら打ち明けた。わかもが連れ去られそうになったのだろう。はるが彼女をかばって、代わりに連れ去られていったようだ。
紅葉は一息置いて「ありがとうございます」と感謝をいい、すぐに外を出て山を駆け抜ける。風の如く、いや光の如く木々を渡る。玃猿がはるをさらった真実は彼を焦らせるには十分だ。
「廉太郎さんとわかもさんを悲しませ、はるちゃんを。……ああっ、自分に腹立つなぁ!」
自身に悪態をつけた。分かりやすく彼は殺気を出す。彼が孕んだ殺気は木々の鳥を空へ舞わせ、地にいる動物達を山の麓へと追い出す。
遠くに覆い被さる大猿と泣き叫ぶはるの姿が見えた。
嫌だやめて。誰か助けて。
声を聞き、玃猿にも殺気を飛ばす。相手は殺気に気付いて、はるから離れた。彼女の目の前に紅葉が降りてくる。場の雰囲気が重くなり、鋭くなった。はるは息をのみ、玃猿は怯えている。死を与えにやってきた紅葉に。
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