一之六 慶長3
紅葉は振り返る。はるは上だけが剥がされており、犯された形跡はない。彼女は怯えた瞳で見ていた。男に、しかも化け物に犯されそうになった。恐怖しかないと紅葉も考えてわかる。巫女装束の着物を脱ぎ、彼女に羽織らせて抱き締めた。
「ごめんね。怖い思いをさせてしまって。──満開・枝垂れ篭」
優しく背中を撫でながら結界を張る。背後を見せ、隙ありと思ったのだろう。殴ろうとした玃猿の拳は結界によって弾かれた。
紅葉は息を吐く。自身の失態で彼女が怖い目に遭った。静かな怒りだけが彼の中で満たされ、深い溜め息が出る。彼女から離れようとすると、はるの近くに見覚えのある扇があった。桜の絵が描かれており、紐がついている。腕の良い職人が作り上げた扇。持っていたとは思わなかった。彼はそれを手にする。
「はるちゃん。この扇借りるね」
「は、はい」
「そこにしばらくいてね。これから怖いことをするから耳を塞いで目を閉じて。僕、ちょっと目の前の奴を片付けるよ」
彼は立ち上がり、扇を握り締めて相手の前に立つ。扇を手にした紅葉に玃猿は指を指して悪態をつく。
[はっ、はっはっ、そんなお飾りで戦うのかっ!?]
現実逃避の言葉だが、玃猿は能無しではない。指先が震えている。先程の殺気の持ち主が紅葉と分かっていた。彼は桜のように優しく笑う。
「君達は玃猿と言う妖怪なのだろう。どういう妖怪か知っているけど、今すぐあの村から去ってほしいな。そうすれば、僕は無駄な命を散らさずにすむ」
優しい言葉かけは、残った優しさの欠片と怒りへの抑制だ。玃猿は瞬きをし、目を閉じる。
[……わかった。大人しく去ってやる]
はるは驚いたとき、紅葉は息を吐く。大猿の口角は上がり、口は歪む。
[なぁんて聞くかよっ!]
拳が素早く紅葉に向く。間合いも近く避ける隙もない。玃猿は彼の瞳を見る。優しい花びらの奥にあるのは、鋭い刃先であった。
すぱっ。呆気ない音。拳は届かず、地に落ちる。紅葉の持つ扇が紅く鋭く光っていた。髪も茶髪から黒髪へ変化している。
「五分咲・彼岸。卑怯な手に移ると思ったよ。対話の余地はないね」
拳で攻撃する前に手首を切断された。ただの扇で切れるわけない。扇に宿っている力が玃猿の手を切り落とした。力の差を見せつけられて相手は戦く。
[お前……っ! その力。何処の妖怪だ!?]
「残念ながら、僕は妖怪じゃないよ。七分咲・彼岸の焔」
更に朱みが増して彼は扇を使い、大猿の体を縦に凪ぎ払う。体が真っ二つとなる。玃猿は自分がどうなっているのかわからない。紅葉は扇を元に戻して近づける。
「桜の花は命の如く儚い。さあ、花びらと共に、あの世へと舞い上がれ。──満開・千本桜」
彼の周囲に桜の花びらが現れて、大猿を飲み込む。無数の花びらに切り刻まれいく。紅葉は扇を勢いよく閉じると、玃猿は桜の花びらとなって木々の中へと消えていった。
玃猿はもういない。紅葉は安心させようと振り返る。はるが瞬きせずに見てきた。力を見られてしまい、紅葉は肝が冷える。
「……見ていたかい?」
はるは静かに頷く。言うことを聞くと思っていたが、考えが甘かったようだ。彼は彼女に近づこうとするが、足を一歩踏み出して止まる。
力を見せて妖怪を殺した。怖い部分を見せてしまった。怖がられてしまう。良くない汗が出てきて、紅葉は動けなくなった。はるが立ち上がる。
紅葉は目をつぶって、嫌悪をぶつけられる覚悟をした。足音が近付いてくる。恐怖で震えが出始めた瞬間、頬に触れられた。驚いて目を開け、心配そうなはるの顔を目に映す。
「……法泉さん。大丈夫ですか?」
傷付かないように頬を触られる。酷くされるわけでもなく、優しく撫でられた。紅葉は目をまん丸くする。髪の色が元に戻ると彼は腰の力が抜けた。はるは慌ててしゃがむ。
「法泉さん!? 何処か、悪い場所は」
「……えっ、いや。ないよ、本当にないよ」
首を横に振り、彼女を安心させる。はるは紅葉の体をじっと見ながら羽織っている着物を引っ張り、体を覆い隠す。彼女はほっとすると、彼は優しく聞いた。
「……君はあの猿になにもされなかったかい?」
「着物を脱がされた以外は何も。法泉さんが助けに来てくれましたから助かりました」
「……ごめんね。怖かっただろうに」
手を伸ばそうとして、彼は動きを止めて手を引っ込める。唇の端を噛み、紅葉は何をやっているのだと自分を責めた。自身よりはるが怖い目に遭っている。だが、忌避される恐怖に何もできない。はるは引っ込めた彼の手を両手で優しく包む。柔らかに掴まれて紅葉は彼女を見た。
「はる、ちゃん?」
はるは真っ直ぐと見つめる。
「……法泉さん。大丈夫ですから、そんな泣きそうな顔をしないでください」
彼の視界が歪んでいく。瞬きをして頬に流れたもので気付いた。涙が出ている。慌てて涙を拭うがまだ出てきた。はるを労いたい気持ちと悲しみが板挟みになり、紅葉はどうすればいいのかわからなかった。戸惑いながらも彼女は慰め、恐怖が残っている震えた手で握ってくれていた。
はるの優しさに熱いものがこみ上げ、彼は包まれた手を勢いよく引く。はるを引き寄せて両手で抱き締めた。
目を丸くしている彼女を自身の肩に埋めさせる。
「ごめんね。君の方が怖かっただろうに。泣いて……いいんだよ」
掠れた声で紅葉は慰める。情けなくても彼女の恐怖を和らげさせたかった。はるの目の縁にだんだんと水が溜まっていく。紅葉の背中にはるもゆっくりと手を回す。
「うっ……ひっ……怖かった……怖かったよっ。法泉さん……とっても怖かったっ!」
嗚咽を噛み締めながら、はるは彼にすがり付く。彼女を力強く抱き締めながら、紅葉は「ごめんね」と何度も謝り背中をさすってあげた。
互いに泣き続けたのち、日は頭の上にあった。紅葉は泣き止んだあと、扇を返した。互いに着物を着直させた後、紅葉は彼女を抱き抱えて歩く。はるが安心して腰が抜けたようで、彼が抱えて村に足を向けた。森の中をゆっくりと歩いていく。はるを抱えながら、紅葉は話をする。
「僕の半分は人間じゃない。半分は神様の血を引いている。だから、僕はあの妖怪を簡単に倒せた」
「半分、神様……」
驚きながらも呟く。目の前で力を見ては信じるしかない。
「戯言と思って聞いて。僕は桜花と言う組織に属していてね。妖怪と人間、魂の循環を守る組織。多くは半妖が属しているのだけど、僕は特例で生まれた存在。本当は半分神様の子が生まれるなんてあり得ない」
「法泉さんはどんな神様の……?」
「タカミムスビ、カミムスビ、もしくはりょうほ……って、あまり聞かないかもね。たくさんの命とたくさんの物を司る神様の子」
教えるとはるは何気なく返事をした。実際はとんでもない神様なのである。彼女は穏やかに笑った。
「法泉さんらしい優しい神様ですね」
「……えっ、そうかな?」
「はい」
自信満々に頷かれる。紅葉はむず痒さを感じた。自分の力は疎んでいるのに、好きな人に誉められるのは嬉しかった。単純な自分に呆れつつも浮かれる。
「……ありがとう。僕を怖がらないでくれて」
「法泉さんは怖くありません。すごく強くて驚きましたが、素敵な方です」
はるのように受け入れる人物もいるのは聞いていた。廉太郎とわかもも受け入れてくれるだろうか。不安になるが、二人には説明責任がある。恐々としながらはるをつれて村に帰った。
紅葉は元の姿に戻らないまま、はるをつれて二人の家族のもとに連れて帰る。全て打ち明けて、説明をした。本当は秘密でなくてはならない。記憶を消すことも打ち明けた。どうするかは三人の判断に任せた。
「私は法泉さんといれるだけでいいです。お父さんもお母さんもそう思うよね」
「ああ、はるが安心できるなら大丈夫だな。な、わかも」
「ええっ、娘をよろしくお願いします。法泉さん」
「「「よろしくお願いします」」」
三人同時に頭を下げた。打ち合わせしたかのような会話に紅葉は慌て出す。
「待ってください。あっさりと受け入れすぎですし、さりげなくはるちゃんを僕に嫁がせようとしていませんか!?」
一つ一つに突っ込みをいれて、紅葉は抗議をした。自分は力ある化け物で血に塗れていると説明をしたのだ。廉太郎は頭をあげてキョトンと。
「法泉殿。はるのことが好きなのでしょう? なら、問題ない。私とはるは色恋沙汰には鈍くて。はるは今の言葉で、互いに好いていると気付いたと思いますよ」
さらりと言われて、紅葉は全身を赤くした。はるを見ると同じように顔を赤くしている。こんな微妙な機会に気付くとは、はるの鈍さを紅葉は恨みかける。
「貴方が半分神様で血に濡れている? それがなんですか。私達は娘を幸せにできると思って君に言ったのです。人間が嫌いなら、これから好きになればいい。全てを好きにならなくていい。ただ、はるだけは嫌わないでください」
廉太郎は柔らかに、最後は真剣に告げる。紅葉は口を閉じ、わかもは優しく声をかける。
「法泉さん。私達は貴方を化け物とは思いません。だから、そう卑下をなさらないで」
優しい二人。その優しさをはるが受け継いでいるのだ。はるに目を向けると、彼女は照れながらも幸せそうな笑顔を浮かべていた。その笑顔に紅葉の胸の奥と体が熱くなる。何をいっても優しく包み込まれる気がした。僕の負けだと認めて姿勢を整えて、彼は深々と礼をする。
「……そこまでおっしゃるならこの法泉之紅葉。彼女を貰わせていただきます。我が身をかけて、生涯彼女を幸せにすると誓いましょう」
顔をあげて三人に照れた笑いを送った。
「まず、組織の上に報告をしないといけませんね。僕に奥さんが出来そうだと」
彼女の両親は満えんの笑顔を浮かべる。はるが近くに来て、両手を握った。
「末長くよろしくお願いします。その、紅葉さん」
「……えっ、うん。はるちゃん」
互いに名前を呼び合う。この村に結婚式と呼べるものはない。男が女の元へ通う通い婚が残っているようだ。結婚したと認識されるには、子供を授からなければならない。それよりも、紅葉は初めて名前で呼ばれ、全身を真っ赤にした。
この後、桜花に報告をしに行く。報告をしたら、篁から勝手に妖怪退治をした事を咎められた。しかし、注意だけですまされて祝福をされる。優しい笑顔でおめでとうと言われ、紅葉は喜ばしく感謝した。
春の季節がやって来た。桜の並木道に二人は共に歩く。吹雪く桜の中、はるは楽しそうに桜の花を見ている。彼女の微笑みは見惚れた時と変わらず愛しく、紅葉もつられて笑う。
「あのね、紅葉さん」
彼女は振り返って微笑んだ。
「私は貴方を想っています。永遠でなくても貴方と添い遂げたい」
真っ直ぐと瞳を見つめてくる。彼女の瞳は儚くとも強い輝きが宿っていた。彼女なりの覚悟の告白なのだ。紅葉はそれに応えた。彼女を強く抱き締めて、強い意思で告げる。
「君と一緒に生きる決意をしたんだ。絶対に居続ける」
彼女は嬉しそうに胸に顔を埋めてきた。
「ありがとう。幸せです」
「うん、僕もだ」
愛しくて彼は頭を抱えこむ。この幸せな時間が続けばいいと彼らは考えていた。
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