一之四 慶長1
慶長四年──一五九九年。あれから三年。紅葉の身長も伸びて、未来で言えば成人した年齢だ。数え年では0歳が一歳と数えられる。紅葉の体格と身長も伸びて、髪も高く結ばれる。長銃の扱いも一流に近くなった。
はるもいっそう美しくなり、大名や武士にも声を掛けられるほど。婚姻を迫られたこともあるが、彼女は理由を述べて断っていた。諦める相手もいれば、諦めない相手もいる。多くは諦めない相手だ。裏で悉く紅葉が諦めさせ潰していった。今日も迫られて、相談してくるのだろうかと紅葉は息を吐く。
彼は任務中であり、木々の枝を軽く蹴って移動をしている。長銃を背負い、見晴らしのよい場所に降り立つ。紅葉は長銃の準備をして構える。火種を用意して標準を合わせる。
遠くから見えたのは野山をかける狼達が、数匹の大猿を追い詰めている。慌てている大猿の後ろに、大猿の数匹と猿の仮面を被った侍が現れる。追われた猿の一匹が声高に叫ぶ。
[っ! 狒狒と猿神の恥去らしめ……。半妖等と組んだ愚かな同族ども。何故人間を食うただけで追うのだ!]
侍の後ろにいる大猿が口を開く。
[人間を食ったのが問題ではない。人間の魂すらも食ったのが問題だ。人を食うのは狒狒として当たり前であろう。人を食わなくても生きていけたとしても、やってはならぬ線引きもある]
狒狒は大猿の妖怪。人間の女性をさらい、人の心を読む能力がある。また妖怪の猿神とも同一視される。その仲間であった狒狒を同族が追い詰めていたようだ。
追跡された狒狒達は禁忌を犯した。人の魂と悪霊を食い、死の循環を妨げた。味方側の一人の狒狒は呆れを見せる。
[猿神のご子息が日吉総本社にこられ、まさか禁忌をお伝えられるとは思いもよらぬ。日吉の祭神様が嘆いておらしゃる。三峯の神使も協力してくださるほど被害を出していたとは]
後ろにいる狼は三峯神社の眷属であり、彼らに協力している。狼は威嚇すると、敵方の狒狒は殺気を出して猿の仮面の侍に怒りの声をあげた。
[人と人の魂を食って何が悪いのだ。我々はそこの猿が猿神の子息とは認めぬ!]
敵方の狒狒が声高に叫ぶとその相手の首に線がはいる。首がぽてりと落ちて血が重吹く。侍は鞘に刀を納めた。それを合図に紅葉は言霊を使う。
「一分咲・突羽根」
長銃を使用し、敵の狒狒の腕に弾を打ち込む。音と攻撃が遠くから来たお陰で、敵は慌てた。相手が混乱した隙に、狼の群れは敵の狒狒を取り押さえる。味方の狒狒は同族を引き裂く。侍も加勢し容赦なく刀で切り裂いていった。
罪を犯した狒狒の後処理を終えて、紅葉は長銃の手入れに入る。仮面の侍がやって来て、彼は仮面をとって微笑む。
「助太刀、感謝するぞ。紅葉」
太い眉に整った顔立ちをしている男性だ。紅葉よりも三百年は生きている半妖。感謝をされて、紅葉は焦りだした。
「そんな保勝先生。お気になさらず、僕も見過ごせなかっただけですから」
保勝という男性に謙遜をする。彼は紅葉の反応を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、なるほど。狒狒は人間の女性を拐う。今回の敵方は大分女を狙っていた。野放しにしておけば、そなたの大切な人間が拐われそうだと考えたのだな?」
言い当てられて、紅葉は顔を赤くする。はるとは今でも交流がある。はるも相手はおらず、いまだにはるの両親からは縁談が持ちかけられていた。保勝は狒狒の半妖。紅葉の心を読んだのだ。彼はここぞとばかり勧める。
「紅葉、家族はいいぞー? 甘えてきた娘と息子に、あなやと言いたくなるほどの反抗期ぶりを見せた長男。愛しの妻に可愛らしい孫曾孫玄孫来孫昆孫! こんな孫たちも年老いぬ某を気味悪がらずにじぃじとして接してくれている。紅葉、所帯を持つがよい。娘と息子が愛らしいぞ!」
生き生きと語る。保勝は半妖として生きて、家族をもって暮らしている。長男は桜花の半妖として所属。他の娘と息子と最愛の妻は人として等の昔に亡くなっていると言う。保勝のように家族を持つものは少ないが、憧れる者は多い。紅葉も羨ましいと思うと、保勝が頭を撫でてくれた。
「紅葉。そなたはまだ若い。某のようになれとは言わぬ。自身の幸せについて考えてもよいと思うのだ。今は暫し悩むがよい。悩みならいつでも某が聞こう」
撫でられた頭をさわり、紅葉は固くなった表情が柔らかくなり口を少し開ける。保勝は半妖の精神の安らぎを与える役割もある。狒狒の半妖でありながら、長く人に触れあってきた。桜花の中でも普通と言える幸せを手にした人。そんな彼だから紅葉のような悩める者は口を動かす。
「……先生、今話してもいいですか?」
「いいぞ」
「僕は彼女に半分人でないと打ち明けるべきでしょうか」
半妖にとっては重い話題だ。保勝は顎を触って考える。中には打ち明けて拒絶された半妖もいると聞く。受け入れたが諸事情により記憶を消された人間もいる。保勝は紅葉を見て答える。
「その子の優しさと器の大きさ。そなたの気持ち次第だ。某も最初は妻に怖がられた。だが、彼女からも歩み寄ってくれて、某も怖がらせないように勤めた。某の場合は、お互いの気配りと努力故になせたのだ。
しかし、あるものは最初から受け入れ、あるものは妖怪の姿を拒み人の姿のままあり続けた。恐れたものも多い。紅葉。某よりそなたの方がそのおなごに詳しいだろう。そなたを受け入れてくれる希望を感じるのであれば、打ち明けるのもよい。選ぶのはそなた自身だ」
保勝は正しかった。自分の人生の決断を他人に任せてはならない。隠し続けるのは気持ちがいいものではない。自分の気持ちに踏ん切りがついた時に話そうと紅葉は拳を握る。
一体の狒狒が保勝の元に現れる。敵の狒狒と対話した相手だ。
[保勝。申し訳ない。お前の手を煩わせた]
「叔父上。おきになさるな」
叔父上と言っている辺り、この狒狒は日吉の神使に近い存在なのだろう。保勝の叔父は二人に口を動かす。
[お前達には告げなくてはならない。我ら狒狒似て非なるものが大陸から渡ってきた。同郷の妖。
中国の妖怪だ。男しかおらず、女を拐い犯して子孫を残すと言う相手。玃猿の楊一族が子孫と言われている。一部の一族が桜花の協力をして、玃猿の監視をしていると紅葉は聞いていた。話を聞いて保勝は腕を組む。
「楊一族の監視を逃れたか。何故ここに?」
[女を求めに来たのだろう。生存する術が拐う以外思い付かぬケダモノだ。我々山王の者も見逃せぬ。我々は三峯の者には知らせておく。保勝、気を付けろよ]
「……ありがとうございます。叔父上」
頭を下げると、狒狒と狼たちは森の中へ消えていく。ただの妖怪と神に連れなる妖怪もいる。同じ狒狒でも区分がある。保勝が血を引く狒狒は日吉の神使。もしくは、神に連なる奉られた存在だ。そのような存在は他の神と桜花で連携をとり、外と内側の敵から輪廻の循環を守っている。
先程の話を思い出して、保勝はあきれる。
「人と妖の世界は分けられているのに、まだ人の世に手を伸ばす馬鹿者もいるか。紅葉。すまない、さあ、帰……紅葉?」
彼は呼び掛けに応じない。紅葉は不安になった。玃猿と言う妖怪が何処にいるのか。はるの近くに来ているのではないか。不安が襲いかかる。彼は長銃をしまい、頭を下げる。
「すみません。先生、僕はいきます!」
勢いよく駆け出して、全速力で彼女の元へ向かう。保勝は一度呼び掛けるが答えない。教え子の顔を見て仕方ないと笑った。
夜の時、紅葉ははるのいる村に辿り着く。
周囲に妖怪の気配はない。村の家々の明かりは小さくともされている。はるの家も明かりがついていた。気配を隠して音を消し、彼は家の前にくる。覗き見を複雑に思いつつ、格子窓から覗く。はるとわかも、廉太郎が夕食を食べている。鍋にある雑炊を三人は仲良く食べており、はるが話し出した。
「今日は機織りが上手くできて、お母さんに誉められたんだ。お父さん、今日は何かあった?」
「猿の群が村の近くを歩いたのを見たぐらいだな。せっかく育てた野菜がとられないといいが……とられないように明日神社で拝むか」
「う、うん……」
はるはぎこちない返事をする。廉太郎がきょとんとし、わかもが聞く。
「どうしたの? はる」
母親に聞かれ、彼女は恐る恐る口を開く。
「ねぇ、お母さん。法泉さんに毎日会えます様にって願っても良いかな」
その願いに紅葉は固まる。何故そのように願うのかと彼は疑問を抱く。わかもが瞬きしたのち、わかったらしく口角をあげていく。
「構わないけど、なんで?」
頬を赤くし、はるはもじもじと身を縮める。
「……顔をお声を毎日見て聞きたくて、たくさんお話ししたい。こんな我が儘な願いをしたくなって……よくないよね?」
わかもがにこやかに教えた。
「はる、貴女は彼を好きになりつつあるのよ」
そう教えられて、彼女は瞬きをする。顔を真っ赤にして驚きの声をあげた。こっそりと聞いていた紅葉も衝撃を受ける。天然で鈍いのは知ってはいたが、この機会で気付くとは思わない。
「えっ、えっぇぇー……!?」
はるは戸惑い、わかもは笑う。
「お父さん譲りの鈍さねー」
「わかも、やめろって」
廉太郎は恥ずかしそうだった。
話を聞き終えて紅葉は、動揺してその場を全速力で去る。彼女が紅葉を好きだと気付いた。嬉しさと驚きで表情がにやけそうになっている。
村から大分離れた山奥につき、彼はその場で止まる。真っ赤になった頬と共に口を緩めて、両手で拳を作り。
「……っいぃやったぁぁぁ!」
喜びの声が山彦となり轟かせた。木に寝ていた鳥がびっくりして空へ逃げる。無論、近くに住む妖怪と精霊から苦情が来た。
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