一之三 文禄3
はると会って三ヶ月がたった。桜の花の枝に花がなくなっている。代わりに、彼はその時期の花の枝をお守りにあげていた。
三ヶ月がたった後でも、薬売りに身を扮しつつ情報を集める。情報を集めながら、はるのいる村に何度か立ち寄った。自分の身の上は話せないが、お互いはある程度知れた。
はるは料理が好きで、名前の通り春の季節が好き。桜はとても大好き。家族がもっと大好きだと言う。見た目が桜のように美しく可愛く、性格は穏やかで優しくのほほんとしているのがたまに傷。天然というのだろう。村の男からも、外から来る男からも、はるが言い寄られたのを見たことはある。その度、彼は親しい人を装って追い払っていた。紅葉とはるは美男美女である。立っているとかなり目立つ。目立つのは慣れているが、はるが無自覚なのは質が悪い。
三ヶ月を振り返りながら、紅葉は自室の畳の上で寝転がる。任務を終えて、桜花の本部で休んでいた。
大半が半妖で構成されている組織桜花。あの世、または黄泉。または地獄の組織の一つでもある。主に魂の輪廻の秩序を保つことを仕事をしている。
そんなの組織に所属している紅葉だが、顔がにやけている。彼ははると町に出掛ける約束をした。紅葉は狼狽えるのは少なくなっている。近付けば狼狽えるが。部屋から顔を出す青年がいた。
「もーみじくん……っておっ、顔がゆるゆるだな」
まだ幼さがある龍之介。人の年齢を生きていた頃であるのか、まだ雰囲気にも余裕はない。紅葉は慌てて起き上がる。
「……っ龍さん」
「とっくに元服したのに、その顔はだらしない。女でもできたのか?」
反論する前に、龍之介の顔を見て彼は口を線にする。彼の顔はからかうような顔ではなくあくどい。長く付き合いがある龍之介に、紅葉はお世話になっている。悪そうな顔をするのは、大抵は何かを企む。
「なぁ、紅葉」
龍之介は部屋に入り、顔を合わせた。
「その女の子とやらに俺もあってみたいな」
彼は吉原や島原で女遊びをしている。帰りがけで見たことあり、仲間と篁からも注意を受けていた。見抜き彼は真顔になる。
「嫌だ。──龍之介。彼女は善き人間だ。手を出してみろ。お前の命を喰うよ?」
紅葉の瞳は虚無に満たされている。読めない表情に龍之介は息を呑んで焦った。
「……冗談だよ。冗談。命喰うとか言うな」
「ならいい」
怒りをおさめると、龍之介は苦笑する。
「まさか、お前に女ができたとは驚いた。女に利用されそうな見た目しているくせに、逆に利用するお前が」
「……できてないよ。僕の片想いだ」
顔を赤くして言うと龍之介は間抜けた顔になる。
「嘘だろ」
「本当だよ」
片思いであるが、彼女の親からは半ば認められている。しかし、はるは紅葉を慕っているわけではない。龍之介に話すと、呆けてジト目を送られる。
「お前さ……話を聞いている限り、その女の子の両親はお前に嫁がせるつもりだぜ。僕は人間じゃあありませんって断ってこいよ」
「そうしたいけど……」
人間ではないと打ち明けて、力を見せた方が早い。
紅葉は思い出す。任務の最中、力を見せたあとの反応が怖い。人を殺し、妖怪を殺した後の人間の顔は畏怖に満ちていた。昔の彼は村人から利用されて疎まれている。便利でしかない化け物だった。思い出すだけでも嫌悪と震えが出てくる。深いため息を吐き、紅葉は俯く。
「僕は知るよりも知らない方が幸せだって思う。……知られるのが怖い」
龍之介は何も言えない。彼も意味をわかっているのだ。俯く相棒に龍之介が励ましともとれる助言をした。
「……俺は人間との交流をやめろとは言わない。けど、考えておいた方がいい。お前が彼女を本気で好きになって、彼女が本気でお前を好きになった時のことをさ」
本当の彼の根は優しい。女遊びをしているのは、彼自身の存在を感じたいのだろう。
神獣から、神から、人から半妖と半神は普通に生まれない。彼らに頼み、魂の安寧と妖怪との境界線を作る為に彼らは生まれた。篁から生まれた意味を教えられた時からその意味にすがるしかないと、紅葉は思っていた。
「ねぇ、龍之介。僕は……桜花に縛られなくていいよね?
自分の気持ちに素直になっていいよね?」
「……いいと思うぜ。現にお前はそうしているだろ。まったく、さっきの顔は幸せそうで羨ましい」
驚いて紅葉は顔をあげる。龍之介は呆れながら笑っていた。
「篁さんは俺の女遊びを注意するだけで咎めない。放任しているはずじゃないと思う。自分で選び、自立していけってことだろ。そう考えるとお前は先にいっている。俺よりましだろ」
ろくでなしの自覚はあり、このままでもいけないのはわかっているようだ。龍之介の励ましに紅葉は笑った。
「……龍さん。説得力ないよ」
「るっせー」
不機嫌そうに返された。
その数日後から、何度か躍起になった龍之介を見る。話によると、花街の人気芸者の一人にしてやられたらしい。女遊びをしてきたつけが回ってきた形だ。何とか、惚れさせてやろうとしている親友に紅葉は苦笑した。
約束の町へ出かける日。待ち合わせの桜の木下で待つ。少し明るい括袴と筒袖の衣を着ている。草鞋を履いて、簡単な手荷物を布で背負う。薬売りとしての仕事は一旦おやすみだ。彼はそわそわしていた。好きな女の子が来るので落ち着かないのだ。青々としている桜の木に一人の少女がやって来てくる。
「法泉さん!」
「あっ、はるちゃん……っ!」
彼女は華やかな小袖を上着として着ており、下には上着ににあった着物。結ばれた黒髪を揺らし、草履を履いてパタパタとやって来る。いつもより彼女が鮮やかに見えた。大きな風呂敷をもって、彼の元へいく。
「法泉さん? どうなされました」
「……可愛いよ」
顔を赤くして言う彼に、はるは嬉しそうだ。
「はい、可愛い着物ですよね! お母さんのお下がりなのですが、すごく可愛いです」
可愛いの場所が違う。紅葉は肩を落として泣きそうになる。次はちゃんと伝えようと決意する。はるの「ふふっ」と笑い声が聞こえた。顔を向けると、彼女は顔を赤くして可笑しそうに笑っている。
「法泉さんと言う素敵な殿方と歩くのは少し恥ずかしくて、ちょっと嬉しいです。嬉しいのがおかしくて笑ってしまいます」
はるの認識を知り、紅葉は恥ずかしくなった。
二人は共に町へと歩いていく。
多くの人々が売り物を売っており、客寄せの声や交渉の声などが響く。
はるは久しぶりに町へと来たようで嬉しそうだ。彼女をみて紅葉の心に固まっていた何かが溶けていく。はるが笑うと、彼も笑ってしまった。外に売っている布を見て、簪などの装飾品を見て楽しむ。
様々な簪を紅葉は吟味する。女が喜ぶ物を知っていた。しかし、好きな人が喜ぶものは知らない。紅葉は悩んでいると、はるは一つの簪を見て嬉しそうに微笑む。青紫の花の簪。誰かにあげるのだろう。紅葉は瞬きをして聞く。
「はるちゃん。それが好きなの?」
「いいえ、お母さんに似合いそうだなと思いまして」
嬉しそうに語るはる。彼女は親に愛されているようだ。羨ましさを感じていると、はるは自慢げに語った。
「私のお母さん。料理がうまくて、機織りが上手で、お掃除も得意で頭がいいのです。いつもお世話になっているから、何か返したいなと思ったのです」
「そっか」
幸せそうな彼女の笑顔で心が暖かくなる。紅葉は近くにある簪に目が入り、手にする。
桜の簪だ。はるに似合いそうで横目で見る。彼女は眉間にシワを作り、簪を買おうか悩んでいる。諦めたらしく、口先を尖らせた。紅葉も買うのをやめて、気分転換にご飯を奢ってあげた。
うどんを食べて曲芸を見る。近くの町の絶景をのんびりと見ながら彼らは帰路を辿った。夕日が傾く前に彼女を村まで送らないといけない。黄昏時は妖怪が現れやすく、人通りが多くある場所ほど盗賊も出やすい。歩きながら帰っていると、はるが話しかけてきた。
「法泉さんも、恩を返したい人っていますか?」
聞かれて、篁の顔がよぎる。
恩を返したいが働きで返されているといつも言われた。物を送ろうとした部下もいたが、自分の為に使えと言われた者もいた。半妖達は罪人の魂でつくられて、日々の仕事で罪の償いをしている。篁は自分の為に使えと言っているのだ。言われたことある紅葉は苦笑する。
「僕にもいるのだけど、恩はもう返されているってさ」
「そうなのですか?」
「僕としては恩を返したいんだけどね」
はるは瞬きをして立ち止まる。紅葉は不思議に思い、立ち止まると彼女が聞いてきた。
「……なんで、自分を僕と言うのですか? 法泉さんは偉いですよ」
昔の『僕』が一人称として使うのには諸々諸説ある。自身を格下もしくは帝の僕であると自称するなど。僕と使うのは紅葉の過去に起因していた。同時に、自分自身を桜花の一員として戒めている。首を横に振り、彼は声色を低くした。
「僕は偉くない。昔の僕は大馬鹿者でやり返す術すら知らない。ただやられるだけで、人から人を学んでいなかった。今はやり返す術は無数に思い付くし、殺ろうと思えば殺れる」
はるが目を丸くする前に、口許を緩めて雰囲気を和らげた。
「……なーんてね。やらないよ」
はるはぽかんとした。
紅葉はやらないのではなく、やれない。彼の生まれて育った村はない。土砂崩れや川の氾濫によって、人々も建物もなくなった。無くてよかったと思っている。あった場合、彼自身が手を下していただろうと。
「やっぱり、法泉さんは偉いですよ」
彼女の優しい声が聞こえた。思わず彼は顔を見ると、はるは誉めてくれた。
「本当は滅茶苦茶にしたい人がいるのに貴方はしない。それはすごいです」
傷付けられた記憶は心に根深い。誉められ、慰められることではないと紅葉は否定をした。
「……そんなことはないよ」
「謙遜することはないとは思いますが、その……言ってはいけないことでしたらすみません」
頭を下げる彼女に紅葉は頬を赤くして視線を逸らす。気遣いは嬉しい。優しさを向けられて嬉しい。下心なく気持ちを向けられるのは初めてだった。
「大丈夫。気にしなくていいよ。……あの、はるちゃん」
声をかけて、彼女の顔をあげさせる。
言おうか、言わないか。口をはくはくさせて、紅葉は顔を赤くして狼狽える。はるは何を言おうとしているのか、待ってくれていた。彼は息を吸って吐く。決意して告げる。
「あの、またこうしてお出かけをしてくれぇましゅか?」
噛んだ。必死すぎたせいか、言葉を噛んでしまった。紅葉は気付いて口を押さえる。はるはきょとんとしたあと、口許を緩める。
「はい、嬉しいです。法泉さん!」
華かな微笑みに紅葉は目を丸くした。お誘いの文句を噛んだのに笑わずに、嬉しそうに笑ってくれる。彼は頬を赤くしながら、感謝の言葉を送って笑った。
紅葉が家まで送ってくれた。彼と別れたあとのはるは、体が熱く感じていた。胸の高鳴りも少しだが聞こえてくる。不思議に思い、家にはいると家族から根掘り葉掘り聞かれる。彼女は嬉々と語った。全ての内容を耳にいれて、廉太郎とわかもは優しく聞く。
彼といるのは居心地よかったかいと。はるはすぐに頷く。娘の心許せる相手ができたのが、両親は嬉しかった。
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