大正2
ある少女が階段から慌ててやってくる。蓮のような可憐さをもつ綺麗な少女。一目見てしまうぐらいの綺麗さだ。青に近い黒い髪。髪を後ろに結っている。御淑やかな雰囲気の洋服を着ている。何かから逃げている様子だ。彼女は二人を見て声をかけた。
「あっ、春花。法泉さん! おかえりなさい」
「ただいま。理葉ちゃん」
「ただいま……どうしたんだい?」
恐る恐る紅葉が聞くと、階段から声が聞こえてくる。
「理葉ぁぁーっ! 何処だっ!」
大きな声が聞こえて館が揺れる。紅葉と春花はびっくりし、理葉は慌て出した。
「あわわっ……一葉が来ちゃいます。二人ともお願いです。私がここに来たことは言わないでください!」
彼女は玄関に出て腕に持っている透明な布を纏い、空へと駆ける。山崎理葉は人であったが祖先は天女。春花の呪いの影響で先祖返りをした。天女になったが羽衣をとれば人間に戻る。とはいえ、人より長く生きる。
階段から人が降りてきた。容姿端麗、眉目秀麗ではあるが柳眉が逆立っていており般若のごとし。洋装で艶やかな青紫色の長髪を三つ編みに結んでいる。かつかつと音を立てて歩き、玄関に居る二人を見て怒りを消した。
「おや、二人とも。帰ってきたのか、おかえり」
春花は一葉の怒気でまだ沈黙し、紅葉が対応する。
「ただいま。……一葉、何があったんだい?」
「いつもの通りだ。あの命知らずは妖通りにいこうとした」
今の理葉は霊力が強い人間でありながら、天女の血を発現させている。云わば、飛んで火に入る夏の虫。殺されにいくようなものだ。理葉は口にしないでほしいと言うが、これは口にしなくてはならない。春花は打ち明けた。
「一葉さん。理葉ちゃんならもう出ていきましたよ……」
「……感謝する。まったく、あの馬鹿者はっ」
足音をたてて、ばぁんっと勢いよく扉を開ける。外に出ると、背中から緋色の両翼をだして彼は空に向かっていった。
勢いよく勝手にドアが閉じる。一葉が怒るのも当然であると残った二人は苦笑した。
理葉の見合い話はなしとなり、代わりに一葉が身分を偽って見合いの相手となる。すぐに籍に入り、彼は婿入りして山崎一葉となった。一葉は理葉の親族から怪しまれるが、まあ諸々の手腕が凄まじかったようだ。あれを怒らせてはならないと言われるまでに。
彼女の父親から、経営を任させる話を聞く。実際、最近の山崎のお酒は評判よく妖怪からも買われている。山崎財閥の未来は明るい。
春花は思い出して、懐から封筒を出す。封筒には汐屋潤一郎様と綺麗な字で名前が書かれていた。
「そうです。これを渡さないとです」
「……その文字。宮古愛莉ちゃんの手紙か。じゃあ、潤一郎の部屋へ一緒に行こう」
「はい!」
二人は共に歩いていく。
潤一郎の部屋の前。紅葉がドアをノックする。「どうぞ」と声が聞こえて、ドアを開ける。着物姿の潤一郎は書類を手にしながらも二人に気付いた。
「……紅葉に渡辺さんか。どうした?」
「これ、宮古愛莉ちゃんからの手紙です」
春花が見せると、潤一郎は目を丸くして勢いよく立ち上がる。喜色満面に春花と紅葉は微笑ましそうだ。潤一郎は我に返り、頬を赤くして咳払いをする。紅葉の元にいき、手紙を受けとる。
「二人ともすまないな」
「ちゃんと休憩は挟んでいるのかい?」
紅葉の指摘に潤一郎は照れながら頷く。
「……当たり前だ。すぐじゃないにしろ、あいつを迎えに行く体勢は整えてないとな」
宮古愛莉は舞妓として京に戻っている。人気の舞妓でもある。伝統の問題もあり、結婚は無理だ。当時は芸子の道をやめて、置屋を離れなくてはならない。
彼は問題をわかっている。置屋の経営者である祖母に交渉。身の上を明かして、夫婦として共になる事を認めてもらった。しばらく潤一郎は旦那様だ。夫婦の旦那ではない。舞妓の世界では愛人に近い立場の意味。愛莉の水揚げも潤一郎が担うこととなり、完全に芸子となったら彼女を迎えるようだ。
「時折、お座敷遊びで会うこともあるがあれは仕事だ。文通や休みの時があいつのやすら……っておい。なんだ、その顔は」
紅葉と春花は暖かな目で見ている。実は桜花の中で潤一郎と愛莉が一番に応援されていた。舞妓として頑張る彼女を健気に待つ彼。潤一郎はやましいことを抱かずにただ応援している。紅葉は正直に言う。
「いや、純愛だなぁって」
「……っるせぇな! 用が住んだらさっさと行け!」
顔を赤くして二人を追い返す。彼らは笑いながら出ていった。潤一郎は閉じたドアを睨み付けた後、手紙を見る。愛莉の名が書かれた封筒。口許を柔らかにして、彼は丁寧に封を開けた。
「小松さんと加織ちゃん。今、忙しいでしょうね……」
廊下を歩きながら、春花は小松節と川谷加織の話をする。
加織は女学校卒業をし、家にいる。節はしばらく川谷家の家で世話になっていた。節はそれなりに働ける為、働き口には困らないだろう。親も公認であり、加織は節の元に入籍をするらしい。
藤村は東京の店を閉めて、場所を東北の方へ移すようだ。東北は藤村の大切な人の生まれ故郷だと言う。そこで居を移し、任務以外の時は細々と暮らしていくようだ。
漱石や直文など、多くの半妖は日本から出て海外出張をしている。
理由は大正三年の時に始まった世界の大戦。
歴史を習っているならば、こう名称されよう。
第一次世界大戦。
各国にいる半妖と死神のような存在と協力し、亡くなった人々の魂を各地域の黄泉路へと導いている。その為、半分の半妖が海外出張をしており、本部にはいつもより静けさがあるのだ。
紅葉は自室の前につくと、春花は招き入れられた。ドアを閉じて鍵をする。彼女を抱き締めて、紅葉は腕の中にいる少女に謝罪をした。
「ごめん。君にあまり自由がなくて」
春花にかけられた呪いは強力なものであり、あまり町の外にも出せない。首を横に振って春花は彼を見上げる。
「貴方のせいではありません。悪いのは今回の黒幕です」
言い切る。紅葉は九尾に関して打ち明けてなかった。
自分の母親であると打ち明けた場合、彼女がどう思うのかが怖いからだ。嫌いにならないでほしく、責任を感じないでほしいのだ。紅葉は彼女を抱き上げて、寝台へと座らせる。
「……紅葉さん?」
きょとんとしている春花が愛しい。少し空いている唇に彼自身の唇を重ねた。彼女は驚くが受け入れる。紅葉は身に渦巻く不安を抱きながら啄み、顔を放す。
「……君に話したいことがある」
「話したいこと……ですか?」
頬を赤くした彼女に頷き、切なげに紅葉は彼女の両肩をつかむ。
「……情けなくてごめんね。不安で堪らないんだ。話す前に……お願い。君を感じさせてほしい」
泣きそうな彼に春花は察した。これは自分に関わるのだろうと。いつもなら素直にはいと言えるが、今回は己にも不安が宿り始める。不安が伝搬したわけではない。恐らく、春花の直感が感じ取ったもの。この一抹の不安をどうにかしたく、彼女はゆっくりと頷いた。
「……はい、私も貴方を感じさせてください」
彼女の返答に紅葉は「ありがとう」といい、再び唇を重ねる。先程よりも濃密なものとなった。春花は目をつぶって翻弄される。紅葉は目を開けて赤らめる彼女の様子を見つめた。自身の情けなさに自嘲しつつ、春花の愛らしさに彼の内側による熱で理性が溶けはじめる。それが行動に現れ、彼女をゆっくりと押し倒した。
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