大正

 ある菜の花の少女が聞いた。

 狐なら強い妖怪を復活させることも可能であり、日の本を混乱させるのもできるのではと。

 地獄の冥官はないと答えた。彼女が強い妖怪を復活させない。使役しないのは彼女の為だ。初めての優しくて可愛いやや子を怖がらせたくない。悲しませたくないからだと。

 彼はこうも答える。あの狐は間違いなく人であったと。だが、今回は行き過ぎている。人間を恨み殺して愛する娘と共にいたいと願っても、地獄の法が許さない。いや、彼女も行き過ぎているとわからなくなっていると。彼女は夫と娘を愛しすぎたが故に狂い始め、妖怪となったあとも己の陰陽が崩れ狂っていったのだと。



 西暦1916──大正五年。九尾の狐の一件から三年がたった。あれから大きな事件はなく、暴走する妖怪を納めていく程度。誰もいない執務室に小野篁は宙から現れた。静かに着地すると芳しくない表情で溜め息を吐き、上着を脱いで自室の長椅子にかけて横になる。

 目に腕をのせて、疲れはてたような声を出す。ノックが聞こえた。


「篁さん。こんにちは、歳長藤村です」

「……ああ、はいってこい」


 藤村は入ってきて、上司の姿にぎょっとする。彼は着物姿で数枚の書類を持ってきていた。情報を持ってきているのだろう。篁は苦笑して、腕をあげて顔を見せた。


「とんでもない姿で申し訳ない」

「全くです。各国の報告書が届いていたので机の上に置きますね」


 呆れる藤村は仕事机の上に書類を置く。簡単に返事をして、篁は顔を腕でまた隠す。滅多に見ない疲れ果てた上司の姿に藤村は気になった。世界各地で戦争が始まってからか、地獄での仕事も気が抜けないのだろう。


「……珈琲か紅茶、緑茶。どちらがいいですか?」


 部下の気遣いに篁は笑った。


「流石、藤村だな。……ラムネをもらおうかな。あのしゅわしゅわしてあまいのがいい」

「ついでにワッフルも焼いてきます」

「私を虫歯にするつもりかー?」

「体が資本だとわかっている人が、そんなへまをするつもりはないでしょう」


 藤村がバッサリと切って篁は笑った。笑ったあと、ゆっくり微笑みを消して唇を動かす。


「便宜を計れなかったよ。あんなじゃあもう無理だと決断を出された」


 落胆した上司に藤村は瞬きをして何事もなく顔を横にそらす。


「そうですか」

「ははっ、冷たいなぁ」

「私ではなく紅葉と渡辺さんに言うべきでしょう。仇のことを私にいっても仕方はない」


 尤もな意見に篁は「だな」と同意をして、深いため息を吐いた。

 ここ数日彼はいなかった。どうやら九尾の狐の処遇に関して、便宜を図ろうとしたらしい。

 三年間、何度も、何度も篁自身の仕事場で便宜を計った。上司の疲れようから尽力はしたのだろうとわかる。無理だったらしく、落ち込みは藤村が見てきた中でも珍しかった。ついでにバニラアイスもつけようと彼は考える。労いを込めて、たっぷり甘いおやつを用意して篁を励ました。





 雪降る深い山奥で銃声が何度か響く。両手に持った二つの銃で男性が妖怪を撃ったのだ。くせのある茶色の長髪。巫女装束の着物を羽織と白いスーツ姿。白で統一されているが、革靴は茶色。彼は春に芽吹く花のような雰囲気をもつ。倒れた妖怪を見つめていた。妖怪は死んでいる。人の魂を食った妖怪は、山の均衡を崩し集落を襲おうとした。

 見回りついでに、法泉紅葉達は妖怪を倒していた。無論、彼だけではない。空から人が降りてくる。


「紅葉。お疲れさん」


 声をかけたのは、黒い翼を生やした男性。緑のベスト、ワイシャツを着て黒いズボン。腕には上着と布を持っていた。紅葉は振り返り柔和に微笑む。


「龍之介。ありがとう」

「いいって、こっちの妖怪を倒し終えて面倒事を起こす前に終ったしな」


 白い手袋をした手でひらひらと手を振る。翼を仕舞って、彼は上着を着た。肩に白い布を掛け直す。上着としてきている黒いコートの裾には桜と風車の刺繍が入っていた。履いている皮のブーツで相棒に近付く。八咫烏の半妖植田龍之介だ。


「……あれから三年。体の調子はどうだ?」

「大丈夫。万全だよ」


 銃を仕舞い、空を見る。上弦の月。あまりいい思い出がない月だ。しかし、彼はすぐに空を見るのをやめる。過去は過去だが、彼は現在を見なくてはならないのだ。あの桜の少女を守るために、愛するために、幸せにするために。思い浮かべながら紅葉は照れ臭そうに笑う。


「帰ろうか。大切な人の元へ」


 龍之介は丁寧に会釈をする。


「貴方様の半神の命あらば」

「龍之介」



 やめてくれと目線で送られ、彼は笑って謝罪をした。




 法泉紅葉は人であり人でない半神。転生の儀に九尾の邪魔が入ったことにより生まれてしまった存在。彼は自身を化け物であり、半神であると受け入れている。また、このように生まれてしまったのに意味があると考えていた。




 桜花の本部。雪が積もる庭に龍之介の風によって紅葉達は降り立つ。彼らは変化しておらず、暖かな洋装を着ている。玄関には少女が待っていた。桜の花のような黒髪の美少女は暖かな上着と着物と足袋と下駄を履いている。紅葉は目を丸くしていた。渡辺春花は彼が帰ってきた事に喜びを示し駆け寄る。


「あっ、紅葉さん……! ひゃっ!?」

「春花ちゃん!?」


 彼は急いで駆け出して、転ばないように支える。胸に納めて彼は安心した。春花の鼻と手が赤い。長い間、外で待ってくれていたようだ。紅葉は上着を羽織らせ、彼女の両手を握りながら叱る。


「寒い中、外で待たなくていいよ。風邪を引くとぼくと恵美子ちゃんが心配しちゃう」

「……すみません」


 しゅんと擬音が出たように聞こえるほど春花は落ち込む。待ってくれたのは嬉しいかったが、紅葉は寒い中待つのはやめてほしかった。反省したのを見て彼は声を掛ける。


「次はやめてね……ただいま。春花ちゃん」

「はい、おかえりなさい」


 ただいまといわれ、春花は表情を明るくさせる。二人のやり取りを見て、龍之介は冷やかした。


「相変わらず、見ていておあついねぇ。もみじくんたちは」

「……龍さん!」


 からかわれて紅葉と春花は顔を赤くする。幸せそうな二人に龍之介は満足そうに笑い、黒い翼を背中から出して手をふる。


「送り迎えはここまでな。俺、恵美子の元に帰るから。じゃあな、二人とも。また明日!」


 彼は自前の翼で空へと浮かび、山の奥に消えていく。

 春花は身に宿した呪いの関係で、二年前に学校を退学した。下宿先も去って桜花に住まわせてもらっている。身の安全のためだ。九尾の狐の力が削がれたとはいえ、油断はできない。

 志村恵美子は継続して学校に通っており、高等女学校の進路先である師範科に進んだ。龍之介は恵美子のいる学校に転職をし、紅葉は継続して高等女学校に働いている。上司の奥さんが学校の先生であり、新たな学校医も見つかりそうだと言われた。来たら紅葉も学校から去るつもりだ。龍之介は恵美子の卒業後に学校の勤務をやめて結納する。

 二人は本部の中に入った。

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