一之十一 ようこそ、桜花へ
小鳥の囀りが聞え、春花は目覚める。そのままの服で寝てしまったようだ。ベッドからゆっくりと身を起こす。窓が開いていて、カーテンが風に揺れていた。寝る前にカーテンは開けてはいない。窓の方には一人の男性が風を浴びている。
「……法泉さん」
小さい声で名を呼ぶと、紅葉は気付いて春花の方を見た。
「おはよう。春花ちゃん」
彼は優しく微笑んで挨拶をしてくれる。紅葉は上着の着物と外套を椅子に掛けて、身軽な姿になっていた。軍帽は机の上に置いてある。紅葉は申し訳なく微笑む。
「君が起きるのを待っていたのだけど、ごめんね。危険で怖い目に遭わせて。しかも、名前で呼んじゃってるし、本当に色々と申し訳ない」
「法泉さんは怖くないですっ!」
目を丸くし、紅葉は彼女の顔を見る。言った本人は大声で言った事に慌てて言い直す。
「ほ、法泉さんは怖くないです。貴方は優しいから、怖くないです」
春花は途切れ途切れに言葉を出す。彼は照れて嬉しそうに笑う。
「そうか、良かった。僕は嫌われたと思っていたから」
「そんなことありません。私の名前で呼んで良いです。……失礼でなけば、貴方を名前でお呼びしたいのですが」
「良いよ。春花ちゃん」
お互いの顔を見て笑い合う。二人の間には、穏やかな雰囲気が流れるが。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
隣の部屋から聞える悲鳴によって、その雰囲気がぶち壊された。春花はびっくりすると、紅葉はドアの方を見て「まさか」と呟く。
「まだ龍之介は起きてなかったのか!?」
勢いよくドアを開けて、彼は隣の部屋に行く。春花も隣の部屋にいる友人を思い出し、急いでブーツに履き替えドアを潜り抜ける。
紅葉がドアを開ける。部屋には、ベッドの上で顔を手で隠していた恵美子。ベッドから落ちていた龍之介がいた。しかも、龍之介は布さえも纏わぬ生まれたままの姿である。
「龍之介。肝心な所で気が抜けているというか」
「何があったのですか!?」
紅葉は頭を押さえて呆れていると、春花が来た。中を見ようとしたので、紅葉は彼女の目を手で押さえる。
「あっ、見えないです。って紅葉さん、どうして目を押さえるのですか!?」
「目に毒が映るから。龍さん。早く服を着て」
龍之介は頭を押さえた。
「ってて、わかっているっ!」
風に包まれた瞬間、一瞬にして服に着替えた。紅葉は大丈夫だと判断し、春花の目から手を放す。
「……何があったのですか?」
聞くが、紅葉は頬を僅かに赤くして黙る。龍之介は立ち上がって、謝ろうと彼女の傍によった。
「悪い、恵美子。早く目覚めれば」
「どっかいけぇ変態っ!」
赤い顔をした恵美子によって彼の襟刳りは摑まれる。龍之介は綺麗な背負い投げを受けた。
使用人が来て、部屋に集まるようにと言伝が来る。二人の案内により、彼女達は目的の部屋に向かう廊下を歩いている。龍之介が痛そうに腰を押さえて恵美子を睨んでいた。
「確かに悪かったけど、容赦なく背負い投げを決める必要ないだろう!」
龍之介は反省しているが、恵美子は今朝の出来事を思い出してしまい彼の足を強く踏む。下駄にブーツの相性は悪い。思わず足を押さえると、恵美子は怒鳴った。
「五月蝿いっ。目が覚めたら裸で一緒に寝ているって、どこの変態よ!」
「~っあれは仕方ないんだ。あの状態は服とか着てないし、その状態で元に戻るとああいう風になるんだっ!」
聞いた春花は思わず紅葉に向く。髪飾りになっていた本人は視線を逸らしていた。
「と、隣で寝ていただけだから大丈夫だよっ」
真っ赤にして慌てても説得力はない。彼らの様子を見て、後ろにいる人物が溜息を吐いた。
「廊下で騒ぐのは、止めて貰えないだろうか?」
声を掛けた時、四人は硬直する。彼らが後ろに向くと、一葉が呆れていた。
「げっ、一葉」
「私に気付かないとはな。お嬢さん方はいいとして、相当二人は何かに動揺していたようだな」
龍之介は顔をひきつらせ、一葉は面白そうに笑っていた。笑いながら龍之介は誤魔化す。
「動揺なんてしてないし、気にすんな」
「そうか? なら、いいのだが」
彼は通りすぎて行く。二人は胸を撫で下ろして、一葉の背中を見た。意地悪い一葉に知られると厄介だなのである。その安心も束の間、一葉はすぐに足を止める。
「ああ、そうだった」
彼らに振り替えった。
「結構声が廊下に響いていたぞ。その声の大きさだと、会議中の時に五月蝿いと注意されるから気をつけろ」
意地悪っぽく笑い、一葉は廊下の奥に歩いていく。二人は顔を真っ赤にした。
「こんぉのやろう。俺達の動揺の理由を知ってんじゃねぇかぁ──っ!」
額に青筋を作り、龍之介は大声で叫ぶ。廊下には一葉の笑い声が響いていた。
気を取り直して、二人は部屋に行く。ドアの前に着き、紅葉はノックをする。
「法泉紅葉です。彼女達を連れてきました」
「よろしい。入ってきなさい」
ドアの向こうから、声が聞えた。低い男性の声だ。
「失礼します」
紅葉はドアを開けて入り、春花達が続いて中に入った。
二人はあまりの豪華に驚く。上には、電気の硝子のシャンデリア。白いテーブルクロスの掛かったテーブルの上には、銀の燭台と生けられた花があった。壁には一枚の絵画に暖炉がある。中世の英国の貴族が使っている部屋みたいだ。
紅葉がドアを閉めて、奥の方を見ると、男性が一人座っている。凛々しく背の高い、四十代前半の優しそうな男性が黒い軍服を着て、春花達を微笑んで見ていた。
「こんにちはお嬢さん方。私は君達を待っていた」
壱之一 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます