一之六 喋る烏と髪飾り

 医務室の先生仲井だ。


「あっ、本当だ。何をしに此処へと来たんだろう?」


 春花は気付いて、不思議そうに見る。仲井は後姿で何かを見つめるように立っていた。仲井の影が揺らめく。頭を押さえて、呻くような悲鳴を上げた。


「ああっ……ぁぁぁぁっ!」


 人ではない悲鳴。仲井の体からぶわっと黒い靄が現われた。革の靴に白衣。顔には黒い靄が覆っており、判別がつかない。赤い目がギラリと光っている。


「霊力強イ魂……欲シイ」


 恐ろしい声だ。この世の物ではないと理解し、二人は息を呑んだ。その靄は春花達の夢で出てきた禍々しい靄。恵美子は顔を真っ青にし、身体を震わせながら後退した。後ろにあったビンにぶつかり、尻餅をつく。大きな音が立ち、仲井は此方を向く。

 もう既に全身は黒い靄で覆われ、人の原形を留めていなかった。


《逃げろっ!》


 頭に響く声と共に、春花は恵美子を立ち上がらせた。彼女は恵美子の手を引いて、人気のない道を抜けていく。仲井だった黒い者は素早い動きで二人を追う。

 黒い者が来る。速い。追い付かれてしまう。恵美子に手を伸ばそうとした。春花は気付いて、立ち止まって守る為に両手を広げた。


「恵美子ちゃんに近づかないで!」


 彼女は力強く睨み、黒い者は二人を呑み込もうとする。

 春花は目を瞑った。何も感触がない。おかしいと思い、彼女は目を開ける。黒い者は何かによって阻まれて、二人に近寄れない。ほんのりと桃の香りがした。

 桃の花に春花は気付く。謎の男性はお守りのような物だと言っていた。そのお守りの役割を果たしている。黒い者は二人に近づこうと靄を伸ばしていた。

 強力な結界に阻まれているのだ。春花は近くにある石を顔にめがけて投げる。ごつんとぶつかり、黒い者は怯んだ。

 その隙に恵美子の腕を掴んで、勢いよく駆け出す。

 黒い者は怯みを解くと、二人の後を追う。

 先程の靄の大きさが違った。捕まえようと大きい黒い手で、結界を叩こうとするが弾かれる。春花は親友を引っ張って、全力疾走した。同時に黒い者は結界を叩くが、弾かれて上手くいかない。


「恵美子ちゃん。家に戻ろうっ!」


 恵美子は涙目で必死に何度も頷く。だが、少しずつ桃の花びらが散っていくのに二人は気付かない。黒い手が再び結界に触った。


《駄目だ、散るっ!》


 春花の頭の中に声が響いた瞬間、二人の持っていた桃の花は勢いよく散った。見えない結界は硝子のように割れる。


「えっ……?」


 春花の目が見張り、割れた勢いで二人は倒れた。黒い手が伸びてくる。少女達の脳裏には言葉がよぎった。捕まる、呑まれると。自分の命の終わりを悟ったが。


「旋風っ!」


 黒い烏が竜巻を纏い、黒い者に勢いよく体当たりをした。黒い者は声なき悲鳴を上げながら、吹き飛ばされ壁にぶつかる。烏は二人の目の前に来た。恵美子は烏を見て、驚愕する。


「黒丸、どうしてここに!?」


 黒丸は二人に大きな溜息を吐く。


「黒丸は止めてくれ。引き止めたのに部屋から出るな。夜は悪霊が活動しやすい時間なんだ」


 ぽかんとしたあと、二人はびっくりした。


「「喋った!?」」

「その前に、烏の足が三本ある時点でおかしいと気付け!」


 黒丸の的確な突っ込みが入る。気付かなかったのは、喜代子の補習で頭が上手く働かなかったからだ。恵美子はまじまじと見て気付いた。


「……あっ、確かに三本足」

「おいおい、大丈夫かよ」


 黒丸は翼で顔を隠して呆れ、遠くにいる黒い者を見る。


「ったく、この姿で戦うのは正直辛いんだよ。力が出しにくいし」


 愚痴を吐き捨て、黒丸は二人の方に向く。


「今から逃げるぞ。二人とも全力で走れ!」


 彼の声と共に二人は立ち上がって駆け出した。黒丸は飛んで、恵美子の隣に来る。


「恵美子は俺の傍にいろ。でないと、守れないからな」

「は、はい!」


 黒丸の迫力で彼女は頷く。次に春花の方に向いて髪飾りを見た。


「春花って言ったな。お前は桜の髪飾りのそいつが守ってくれる」

「えっ、この髪飾りが?」


 春花は頭に付いている髪飾りを意識する。


《あいつの言うとおりだよ。春花ちゃん》

「うえっ!?」


 急に頭に声が響いて、驚いた。この声は先程聞こえた幻聴だ。声の主は春花の頭の中で苦笑する。


《ごめんね。頭にいきなり髪飾りが付いてて驚いたでしょう? 迷惑かけたし》

「い、いや、良いんですけど」


 春花は慌てて言うと、声は申し訳なさそうに続ける。


《でも、君が夕食を多く食べたのは僕の所為なんだ》


 思わず夕食を思い出して、恥ずかしくなる。


《あっ、でも、その分はちゃんと守るよ!》


 慌てて言い、春花は顔を真っ赤にする。恥ずかしい思いをした分、詫びをしてくれるなら良いと彼女は考えた。黒丸から二人に声がかかる。


「おい、よく聞け。そいつの力もまだ戻ってないから、春花しか守れない。それは頭に入れておけ」


 二人に簡単に説明をした。黒い者は体勢を整え、黒丸は焦る。


「色々と把握しておきたい所だろうが、今は無理だ。現在は逃げる! それだけだ」


 黒丸に二人は首を縦に振った。春花は恵美子の腕を掴んで走り、黒丸はその横を飛ぶ。春花は後ろを向く。黒い者も猪の如く追いかけて来た。


《後ろを向かないで!》


 声が忠告すると春花が前を向き、走りに集中する。角を曲がり、真っ直ぐ走る。黒い者は一旦停止し角度を変えて、追い掛ける。春花は黒い者を一瞬だけ見て、黒丸に疑問をぶつける。


「あの、黒いのは仲井先生なのです。無事でしょうか!?」


 聞いた瞬間、黒丸が驚愕した。


「はぁ!?」

《まさか、とり憑いたのか!?》


 桜の髪飾りも驚愕したように頭の中で叫ぶ。黒丸はあり得ないと黒い者を一瞥し、やがて言い難そうに嘴を動かす。


「あれは悪霊に憑かれている状態だ。あの様子からして長い時間憑かれていたようだ」


 怖いものが嫌いな恵美子が顔を真っ青にする。苦々しい声で黒丸は話を続けた。


「大体の悪霊は憑依しないと力が出ない。主に物に憑依がする。生き物に憑依する場合は少しずつ宿主の魂を蝕みながら、身体の支配権を奪う。あの状態からすると、彼の魂は悪霊に喰われた。肉体の支配権を奪われている」

「もう助からないの?」


 恵美子が聞く。黒丸は微妙な表情をした。


「呑まれている魂は力になるには時間が掛かる。浄化すれば助かり、天に召されるが肉体はこの世に残る。ある意味は助かるが、行き着く先は同じ死だ」


 黒丸は重々しく言葉を吐く。言葉を失う。どっちの道も、生きて助からない。だったら、天に逝かせた方が仲井の為になる。二人は沈痛な面持ちで、脳裏に仲井先生の顔を思い浮かべる。


「どうして、悪霊なんかに憑依されたの?」


 春花の疑問を答える声が頭の中に響く。


《悪霊は滅多に人に憑依しない。理由は色々あるよ。大体の大きな要因は深い悲しみ、憎悪に駆られる時に憑依されるね》


 春花が考えていると恵美子が恐る恐る聞く。


「春花。もしかして、その髪飾りと話しているの?」

「うん、仲井先生は深く悲しんでいたんじゃないかって」

《あくまで理由の大きな一部だけど、ね》


 そこを付け足すように声が言う。


「理由の一部で、その他の理由で憑かれる可能性もあるって」


 春花から聞いて、恵美子は思い当たる場面があった。

 医務室にあった家族の写真。写っているのは、十年前に亡くした仲井の妻と娘。春花を寝かせに来た時、あの写真立てを見て泣いていたのだろう。十年間悲しんでいたのかと思うと悲しくなり、恵美子は顔を伏せて嗚咽を噛み締めた。春花は彼女の様子が気になる。


「どうしたんだろう?」

《何があったか彼女に聞きたいけど、この声は髪飾りをつけている本人にしか声が聞えない》


 悪霊が接近しようとした。二人は後ろを向こうとした瞬間、黒丸は止まる。嘴から言葉を放つ。


「旋風!」


 翼から強風を出して、相手を足止めをした。悪霊との距離ができる。


《悠長に話している場合じゃないね!》


 髪飾りの声に焦りを感じる。春花は幼馴染みの手を更に強く握って走った。恵美子に黒丸は叱咤をする。


「恵美子。何、春花に引っ張られているんだ。自分の足で走れ! 出来るだろ!」

「無理だよ。だって、怖い。なんで仲井先生が犠牲にならなきゃいけないの!?」


 菜の花の少女は嗚咽を噛み締めて言う。黒丸は恵美子の中にある悲しみを悟った。黒丸は深い溜息を吐き、苛々しながら空を見上げている。


「仕方ない。本当はあいつらに助けを求めるのは癪だがっ……」


 空に向かって、高らかに文句を吐き出した。


「いつまで俺達を傍観してんだっ!? 趣味悪いぞ!」

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