一之五 こっそり夜抜け
夕食を食べ終えた後、二人も部屋に戻る。恵美子は黒丸に大量のご飯を持ってきた。黒丸はご飯を食べてくれた。その間、少女達は宿題内容を宿題にぶつけていた。二人は机に向かい、素早く手を動かしている。額には必勝と書かれたハチマキを付けて。何が必勝なのかは、彼女達に渡された辞書並みに厚い宿題で察してもらおう。
彼女達は裁縫の宿題に移っているようだ。お互い何も話さずに裁縫をする。
黒丸は食べながら、同情の視線を送っていた。二人は手早く針を縫う。その手つきは慣れたものだ。恵美子は糸で綺麗に着物を縫い終えた。
「完成!」
格好を決めて、清清しく笑った。
「苦難の裁縫終了! 後は国語だけ。春花、そっちは何が残っている?」
「こっちも国語だけ。後は、終わらせたよ」
「よしっ。国語の問題文は」
問題文を見て、恵美子は絶句する。
「どうしたの?」
春花が聞くと恵美子が指差す。
「問題を見て」
「えっ」
問題文を見てみると、思わず春花は言葉を失う。
教科書がなければ答えられない。二人は汗を垂らして、お互いの顔を見合わせる。運悪く教科書は学校に忘れてきた。もう学校は閉まっていて開かない。もう消灯時間だ。しかも勝手に取りに行ったら、先生に怒られる。絶体絶命の状況。これでは、明日の提出に間に合わない。厳しい状況に息を呑んで、二人は宿題を見た。宿題を持っている春花の手は震えている。
「春花、教科書の内容を覚えてる?」
「何とか」
「文章を書かなきゃ、後の問題に答えられない宿題だね。やらなきゃ、後が怖い。春花。覚えている限りでいくよ!」
「応!」
二人は机に向かい、紙に向かって筆を走らせる。
「アー」
黒丸は頑張れと言っている。春花の桜の髪飾りは揺れた。
二時間後。
勉強で頭の中が全回転したか、疲れて二人は机にべったりと倒れる。部屋中には沢山の紙が散乱。嵐が部屋を荒らした後のように見えた。
「アーアー」
黒丸は恵美子の頭を羽でさすってくれる。お疲れと言っているように思えた。黒丸の優しさに恵美子の表情は和らいで、撫で返す。やはり恵美子は烏に優しい。あまりいい印象がない烏になぜ優しいのか、春花は気になって聞いた。
「恵美子ちゃん。烏になんか優しいね。小さい頃からずっと烏を見ていたような気がしたけど」
彼女は驚き、苦笑いをした。
「ちょっと昔ね。……小さい頃に烏を拾ってお世話したことがあるんだよ」
恵美子は思い出を語る。
小さい頃に怪我した烏を助けたことがあるのだ。出会いは林の中。恐る恐る近付くと烏は地面に血を流して、死にそうだった。慌てながらも懐にあった手拭いを出し翼の傷を縛る。烏を両手で持ち、父親の許に向かった。
父親は烏に驚き、怒ったそうだ。自然の物に帰しておくべきだと。恵美子は駄々をこね始める。父親は何度も駄目というが、仕舞いには恵美子は大声をあげて泣き始めた。こうなったら手がつかないと家族も手を焼いていた。「烏さんが死ぬのは嫌だ」と何度も訴え続け、泣き止まない。父親は観念し、医者に見せてくれる。動物は専門外だったが、出来るだけの処置はしてくれたらしい。
医者に感謝をして、目覚めた烏を怪我が完治するまで共にいた。包帯の代わりに、お気に入りの赤い風車の柄の手拭いが使われている。自分が駄々をこねて、使ったのだ。日に日に烏は元気になっていく。
だが、ある日。何かが起きてお気に入りの風車の手拭いと共に、烏は何処かへ消えた。短い期間だったが一緒にいて楽しかったと、恵美子は語る。
「あとから、名前を付けてなかったと思い出してね。会えた時、名前は黒丸にしようと思ったの。この子があの子の証拠は無い。けど、つい付けちゃったんだよね。あまり覚えてないけど会いたいな」
恵美子が切なそうに微笑し、黒丸はじっと見ている。その瞬間、ぐぅっと恵美子の腹が鳴った。つられて、ぐぅと春花のお腹も鳴る。
「うう、恵美子ちゃんの腹の虫につられちゃったよ」
「あんた、結構食べたでしょう」
「……う―ん、でも足りない」
聞いた恵美子は呆れた。幼馴染みは立ち上がって、散乱した宿題の紙を拾いまとめる。まだ食べたいとお腹が鳴る。自身の食いしん坊に呆れて春花は紙をまとめて整えた時、肩に手が置かれた。振り向くと恵美子は薄ら笑っている。何かを企んでいる様子に春花は呆れた。
「……春花。この後さ、お散歩に行かない?」
夜は危ないとシゑは言うが、恵美子は時々抜け出している。何処に行こうとしているのか、春花は大体察しがつく。
「恵美子ちゃん。カフェーでしょう」
「大正解」
洋食やお酒を出す場所のカフェー。恵美子はお酒を飲まないが、時々抜け出すことがある。大人の気分を味わいたいからのようだ。幼馴染の予想通りの答えに春花は溜息を吐く。
「駄目だよ。勝手に行っちゃあ。またシゑおばさんに怒られるよ」
「平気、平気。ばれなければね」
恵美子はさり気無く手を握る。握られた本人は呆れて幼馴染みを見た。
「なんで私の手を握るの?」
「言いだしっぺ。まだ食べたいって言ったの、春花じゃん」
黙り、頬を真っ赤にする。自分の呟きを聞かれるのは恥ずかしい。顔を俯かせて、恵美子の手を握る。
「……少しだけなら」
恵美子は満足の笑みを浮かべ、黒丸は声を上げた。
「カァーアー!」
黒丸は引き止めるように鳴く。しかし、逆に構ってほしいと勘違いされて、恵美子に頭を撫でられた。
「大丈夫。すぐ帰ってくるから」
恵美子が動こうとした。黒丸は顔の前まで、飛んで引き止める。
「アッーアッー!」
「ったもう、黒丸。大丈夫だから大人しくしていて!」
恵美子は黒丸を捕まえて机の上に置く。黒丸は急いで追おうとするが、間に合わずに閉められた。
──居なくなった部屋で誰かが舌打ちをする。
「こんな時間に外に出る奴が奴いるかっ!?」
人の声が響く。
「仕方が無い。二人には悪いが……っ!」
ぱりぃんとガラスが割れる音が響いた。
夜空に烏が飛ぶ。外に出る二人の姿を見つけ、無防備な姿に溜め息を吐く。
「全く夜に出るとは、あいつの護りがあったとしても」
愚痴を言っても致し方ないが、声は異変を察知した。
「しまったっ!」
邪気が大きくなったのを感じ、誰かが苦虫を噛む。今の状態では勝ち目はない為、仕方なく東を見て言葉と共に翼を強く動かす。何かを伝えるように、東の町に風がかけ巡る。烏は急ぎで二人の元に向かった。
月明かりを頼りに手を繋いで、道を二人は歩く。
「夜の町って何か出そうだね?」
春花が小声で呟く。恵美子はピクっと肩を揺らし、表情が少しひきつった。
「言わないで。夜のお散歩をする時は考えないようにしてるのに!」
声が震えているので、春花は思わず笑う。
「恵美子ちゃん。幽霊とか怪談話が嫌いだったね」
「だから、必死に我慢してんの! 早く人のいる場所にいこ!」
声が掠れ、震えている。恵美子は春花の手を握っている。何故夜に行こうって言い出したのかと、春花は疑問を抱く。恵美子は怖いものが苦手だ。怖がる彼女に春花は仕方がないと微笑む。
「恵美子ちゃん。別に無理に強がらなくて良いよ。怖い物は怖いって、素直に言えば良いから」
恵美子は涙目で春花の腕に抱き付き、顔を俯かせる。ごめんと小さく菜の花の少女は呟く。桜の少女はいいよと撫でた。恵美子は腕を強く握る。
「幽霊が怖くない春花が羨ましい。あんたを守るのは私の役目なのに」
「今の恵美子ちゃんは私が守るよ。大きな通りに出れば大丈夫」
春花はまるで天使のようだった。恵美子は癒されながらも歩いている。桜の髪飾りが揺れたような気がし、気のせいかと彼女が考えた。
《引き返すんだ……引き返すんだっ!》
声が頭の中で響く。聞いたことがあるような声に、春花は目を丸くする。
《行っては駄目だ。すぐに引き返してっ!》
必死な声が響く。春花は足を止め、周りを見る。
「どうしたの?」
「え、あ、なんでもないよ」
春花は笑顔で返してゆっくりと歩いていく。その度、頭に響く声は大きくなる。
《駄目だ。行ってはならない。早く、早く引き返すんだっ!》
疲れていて幻聴が聞こえるのだと、春花は気にせずにしばらく歩く。
声がまだ響く。幻聴なのかもしれない。頭を振って前を見た。かつかつとブーツの歩く音が聞こえ、辺りに反響する。恵美子がそういえばと言い出した。
「あの時の夢って本当に夢だったのかな?」
その疑問に春花は一瞬考え、口を開いた。
「判らないけど、お面さんがくれた桃の花を持っていたから、夢だけど夢じゃないような気がする」
「夢だけど、夢じゃないかあー」
やがて二人の話題は幽体離脱と臨死体験に変わって盛り上がる。
幽体離脱。自分の体から魂が離れる現象。自分があの世に一度行って、また帰ってくる臨死体験だ。話が盛り上がっている中、まだ声が聞こえる。
《早くっ……逃げるんだ!》
頭の中で声が響く時、遠くの道に足音が響いた。すぐに二人は気付き、春花と恵美子は物陰に隠れる。此方に来る様子はない。二人は顔を出して様子を窺う。月明かりを頼りに姿を確かめる。見覚えのある先生に、恵美子は少々驚いた。
「……仲井先生?」
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