一之四 三本足烏と桜の髪飾り

 恐ろしい放課後。厳しい補習により、今日の授業の内容が鮮明に頭の中に残り、人の一生を終えたかのように補習が終了した。

 電車に乗る。彼女達が帰る場所は普通の住宅地であり、学校までは遠い。電車から二人は降り、ゆっくりと住宅地の中へと向かう。日は沈み、空は群青色に染まっていた。月明かりを頼りに、二人は疲れたように下宿先へと歩く。


「相変わらず、喜代子先生は容赦ない……。例えるなら、地獄の業火?」


 恵美子が笑い、春花は首を縦に振った。


「本当だね。でも、この髪飾りに言及されなかったのは救いだよ」


 恵美子は頷いて同意してくれる。

 喜代子は風紀にも厳しい。その厳しいはずの喜代子は春花の桜の髪飾りを見て、にっこりと「その髪飾りは大事になさい」と言ったのだ。その後、春花は間抜けな返事をする。


「にしても、この髪飾りを持ってたかな」


 不思議そうに春花は髪飾りを取ろうとする。詳しく触って確かめてみると、春花の頭にペッタリと付いていた。引っ張って取ろうとする。まるで嫌がっているようで取れない。髪飾りが変であった。


「春花、どうしたの?」

「あ、いやっ、恵美子ちゃん。何でもないよ」


 恵美子に呼ばれて、彼女は慌てて髪飾りに優しく触る。その恵美子は持っている徽章をじろじろ見ていた。気にしているらしく、春花は聞く。


「その徽章が気になるの?」

「うん、まあね。この徽章は軍の物じゃないような気がしてさ」


 恵美子は夜空の月明かりに照らし輝かせた。きらきらと黄金に光る。斜め上の視界の方から黒い物体が来た。その光に目掛けて素早く飛んで来る。恵美子の確認する間もなく、黒い物体が彼女の顔に直撃した。


「アァ!」


 黒い物体は声を上げる。菜の花の少女は顔面で直接受け止め、後ろに倒れた。いきなりの出来事に春花はぽかんとするが、すぐに我に返った。


「え、恵美子ちゃん、大丈夫!?」


 近付くと恵美子に怪我はないようだが、ゆっくりと起き上がる。彼女は黒い物体をつまみ出し、二人は黒い物体を見てみる。


「アーアー」


 黒い物体は三本足のカラスだった。烏のおかしな特徴に気付かず、恵美子は額に青筋を作る。


「この烏。顔面にぶつかるって、どういう了見なの!?」

「え、恵美子ちゃん。烏の習性は光り物を見つけて持って帰る。光り物を見つけたから、恵美子ちゃんの方に飛んできたと思うよ。むしろ、言っても分からないんじゃあ……」


 春花の指摘に恵美子は捕まえた烏を見せる。烏は暴れもせずに大人しくしていた。しかし、恵美子は放課後による補習の疲れからか、怒りが抑えきれていない。


「でも、顔にぶつかってくるのは、どう見てもありえないでしょう!」

「アーアー。アホォー」


 烏の鳴き声に、恵美子は悔いのない笑顔で。


「焼きとりにして良い?」


 烏は大きく体を震わす。これは完全に脅しだ。


「あ"アーアー!」


 激しく鳴き声を上げ、ばさばさと翼をはためかせた。しばらく烏の様子を見て、恵美子は息を吐く。


「嘘だよ。私はそこまで生物に外道する馬鹿じゃないし」


 ほっとする烏は翼を折りたたむ。恵美子は烏をつまむのを止めて肩に乗せた。


「さて、あんた。下宿先のご飯食べる?」


 烏は頷く。厄介者の烏であるはずなのに、恵美子が優しい。春花は少し驚いたが、すぐに問題を提起した。


「下宿先に烏を連れても良いのかな。おばさんに怒られるよ」


 恵美子は考える。烏をつれていくのはよろしくないだろう。ましてや厄介者の烏だ。追い払われるのが常である。妙案が浮かんだようで恵美子は笑顔を作る。


「そうだ。この子には部屋で待ってもらおう。私がおかわりする時、大量のご飯をもらってこっそりと部屋に持ち出す。うん、いい、コレに決定!」

「アーアー」


 うんうんと頷くと、烏も賛同して鳴く。恵美子は烏を肩に乗らせた。


「じゃあ、急いで帰ろ!」


 二人は駆け足で帰っていった。



 建物は一般的な日本の木造の家。小さな二階建物。下宿先の管理人は恵美子の叔母さんであり、彼女の父親の妹志村シゑだ。ただいまという前に烏を風呂敷で隠しながら、廊下を忍び足で歩く。二人は烏を置いていく為、部屋の前まで行く。


「さて、あんたはここで待っていて」


 恵美子は戸を開けて、烏を床に置いた。


「絶対に鳴かない。騒いだり、暴れたりしない。もしばれたら、焼き鳥にされるからね?」

「カァー」


 注意事項を烏に告げる。烏はわかっている様に返事をした。この烏はとても頭が良い。恵美子は嬉しそうに烏を見る。やがて真剣な顔で何かを考え始めた。烏は疑問そうに首を傾げると、その考えを述べる。


「あんた、名前は何がいい?」

「あぁっ!?」


 驚きの声で鳴く烏。既に良い名前が恵美子の頭に浮かんでいた。


「あ、黒丸にしよう。うん。それが良い!」

「っアッアーカァァ」


 名付けなくていいと言っているように鳴いている。だが、その抗議は本人の耳には通らないだろう。戸の前まで行くと、恵美子は彼を見て笑った。


「早くご飯を食べてくるからね。待っていて」


 戸が閉まる。烏はわなわなと震えて、戸を見据える。


「カァ……阿呆ぉっ!」


 途端に人のように悪口を鳴いて春花と恵美子を驚かせた。シゑがやって来ると、二人はただいまと声をかけた。




 大きな居間。真ん中にある大きな机の上にはシゑのご飯。愛情があり、春花達が大好きなご飯だ。今日の献立は焼き魚とお浸し。甘藍かんらん(キャベツ)の味噌汁にご飯だ。恵美子とシゑはお喋りをしている。


「四日前に町の八百屋の男性が亡くなったの知ってるかしら?」

「うん、知ってる。でも、その三日前に、遊んでいた子供達も亡くなったらしいよ。話によれば、まるで魂を抜かれたように死んでいたんだって」

「怖い話よね」


 最近は原因不明の死が多い。物騒だなと思い、春花は焼き魚に箸を伸ばす。


《物騒な話だ》


 声が聞える。聞いたことあるような声。春花は周囲を見回す。恵美子はきょとんとしていた。


「どうしたの?」

「恵美子ちゃん。声、掛けた?」

「かけてないけど」


 気のせいかなと春花は焼き魚を一口食べる。

 魚の塩味が効いて、ご飯と合う。御浸しは鰹節と昆布の合わせ出汁が味付け。お浸しは出汁の味が染みていてる。醤油を少し垂らせば、醤油の風味が口に広がる。甘藍かんらんの味噌汁も、しんなりしていて野菜の甘みが出ている。お米の旨味が舌に馴染んでとても美味い。何故か箸が進む。

 パクパクと食べ、ちゃんと噛んで食べる。まだ食べ足り無い。


「おかわりするっ!」

「って春花、あんた結構食べる方だっけ……?」


 恵美子は目を丸くすると、春花はぴたっと手を止めて考えた。


「……何故だろう。ご飯一杯だけじゃあ満たされない」


 一瞬考え、春花は不思議そうに呟く。まだ満たされぬと言うように、ぐぅっとお腹が鳴った。春花はお茶碗を持って立ち上がる。


「シゑおばさん。ご飯をおかわりしていいですか?」

「いいけど……」


 頭の桜の髪飾りを揺らしながら、釜に向かう。後の二人は呆然とした。


「ねぇ、恵美子。春花ちゃんって大食いだったっけ?」

「いや、普通の位の量を食べる子だよ。大食いではなかったはず、何かに開花したのかな……」


 二人はひそひそ話をする。部屋で待つ鳥を思い出して、恵美子は口元に笑みを浮かべた。急いで黒丸の分を確保しようと、おかわりを口実に恵美子も立ち上がった。

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