壱之一 大正之半妖物語開幕

一之一 桜の出会い


 時は過ぎ、約三百年後──ある日の事。



 夜桜の花弁が舞い、蛍のような無数の淡い光が桜の木々を照らす。周りにある桜の木々は百、いや、千、一万本はあるのだろうか。桜の杜と言える場所だ。


 桜色の着物と赤い行灯袴あんどんはかま。茶色い編み上げブーツを履いている。黒く長い綺麗な髪。結んである赤いリボンと共に桜吹雪が舞う。桜のように美しい少女、誰もが見惚れるだろう。

 少女が居るのは、不思議な夢の中の世界。

 ここは何なのかとぼうっと彼女は見つめて、振り向くと桜の花が散っていく。桜の花びらが少女の目線を誘った。

 一本の大きな樹木が目にはいる。

 とても古い大木。そこ人が埋まっている。長い黒髪で、顔をうつむかせて両手共々下半身が埋まっている。上半身だけはでており、春花は近づこうとした。

 男の人のようだ。顔が見えそうになると音が聞こえる。かつかつと、靴の音。振り返ると遠くから一人の男性が歩いてくるのだ。

 ふわっとした明るく長い茶髪。その髪を後ろの緑のリボンで縛っていた。男性の格好は独特なものだ。ブーツでこちらに向かって来ている。

 特徴がはっきりとわかってきた。白い帽子を被り、軍服に見立てた外套。両手には白い手袋を付けている。緑の行灯袴に薄青色の着物の下にカーディガンとワイシャツと厚い服。書生のように見えた。

 後ろを振り替えると、男の人はいない。彼は少女の前まで来た。男性は彼女を見て目を丸くしている。

 春の芽吹く命のような、春の暖かさのような人。少女は彼に見惚れてしまった。


「そんな、君は」


 男性から漏れた言葉。驚きと歓喜と戸惑いが混ざっている。驚く少女に彼は我に返る。男性は帽子を深く被り、背を向けて走り出した。


「待って!」


 彼女は駆け出すが、パンッと鼓膜に響く音がした。振り向くと、拳銃を持った黒い軍人が銃を向けている。

 顔がない、靄のような化け物。血が滲み出て、袴に染み付く。右足を触ってみると、手の中に赤い血桜の花びらがあった。眩暈が起こる。少女はとある過去から血が苦手だ。見て貧血を起こしそうになる。

 足を打たれたが痛みを感じない。夢だと判断するが、思わず腰をつく。夢でも、此処まで現実味のあるものなのか。軍人は銃の引き金に指を添えた。

 死。確実に頭の中に言葉が駆け巡った。

 引き金が引かれる。銃声に気付き、男性が戻ってきたが遅い。恐怖のあまり、少女は涙線が崩壊した。



「いやぁぁぁっ!」



 少女の叫び声が上がると、またパンッと音が鼓膜に響く。弾が少女を貫く。少女の視界には男性が助けようと手を伸ばしていた。ゆっくりと地面に倒れる。抱き起こされ、彼は血相を変えて目線を軍人に向けた。


「お前っ!」


 怒りの声が聞えてきたが、儚い桜の如く響いて消えていく。少女の血は地面に滴り、桜の花弁に変わっていき、空に吹き上げる。一変し、風景が真っ白になっていった。




 ──目を開け、勢いよく身を起こす。木目の天井が見える。隣には友人も同室していた。幼馴染みと住んでいる下宿先だ。汗を大量に掻き、荒々しく呼吸を繰り返す。隣の布団では、熟睡している友人がいた。

 胸を撫で下ろすが、不安に駆られた。


「夢だよね……?」


 自分の左胸を何度か触り、右足を見る。怪我もなく血も出てない。夢だ。紛れもなく。安心して息を吐くが眠れない。またあの夢を見るのが怖いのだ。

 銃と血を思い出す。体が震えてきた。兎に角、汗を何とかする為に洗面所に行こう。布団を出て、廊下に向かう。少しでも水分をとろうと考えた。





 妖怪。それを人は物の怪とも言う。

 江戸時代までに妖怪の話が栄え、様々な災害を妖怪の所為と考えた。その時代まで、妖怪を信じた人や見たと言う人はいたと言う。しかし、黒船来航により妖怪の存在は薄くなっていく。明治時代、文明開化と共に科学は発達し、妖怪の正体は自然現象と突き止めていく。その結果により、妖怪を信じる人は少なくなり、妖怪は居なかったかのように人々は明治の時代を過ごした。

 明治の末期、明治天皇は没する。長く感じていた明治の時代が終わった。

 大正時代が始まり、初めての春が来た。大正が来ても、妖怪を人々は信じるだろうか。居るのか、居ないのか、信じるのかは貴方次第。だが、見たのではなく、とっくに見ているのかもしれない。その半分の血を引く者を。





 大正二年の四月。此処は東京のとある有名な女学生の通う学校。少女達は行灯袴と編み上げブーツ。色違いの着物で皆同じ服装を着ていた。木造の校舎の周りには桜が咲いている。満開ではないが五分咲き。少女達は軽い足取りで登校している。学校に行くのが楽しみのようだ。だが、その中で一人の少女だけは重い足取り。元気が無い。その少女は高等学年三年の教室にまで行き、荷物を置いて机にうずくまる。


「春花、おはよう。先に行ってごめんね」


 席の隣に少女が来て挨拶をした。焦げ茶の髪は肩まであり、後ろに縛っている。菜の花のように活発な笑顔。彼女は志村恵美子。恵美子と少女は幼馴染みだ。


「おはよう、恵美子ちゃん。いいよ、先生に呼ばれたんでしょう?」


 その少女渡辺春花は空元気な笑顔で返す。


「どうしたの、元気ないよ?」

「うん、朝から嫌な夢をね」


 恵美子は様子が気になり、心配そうに訊ねた。春花は夢の内容は怖くて語れない。自分の死ぬ夢を見たのだ。言ってしまえば、余計な心配を恵美子に掛けさせてしまう。

 その幼馴染は察して何も言わずに頭を撫でてくれた。恵美子に内心で感謝しつつ春花は息を吐く。桜の花は好きだが今日は桜を見たくない。夢を思い出したくないのだ。


「本当に大丈夫なの? 顔色相当悪いよ」


 顔色を伺う恵美子に、無理に微笑みを浮かべる。


「大丈夫かも」


 息を吐いて、再び春花は腕の中に埋めた。友人は本気で心配している。 


 二人が通う学校は東京にある高等女学校。師範予科に二人は属している。お世話になっている人のお陰で学校に行けている。その分、二人はいい成績を残して恩を返していた。

 教室が騒がしくなる。

 二人は視線を其方に向けた。女子生徒が窓から顔を出して、何やら声を弾ませていた。素敵な殿方が来たのだろう。時々来ると彼女達は声を弾ませるのだ。話題で気分転換させようと、恵美子は春花に声を掛ける。


「春花。格好良い人が来てるかもよ」

「ごめん。今、見る気ないの」


 力のない返事して眠る。恵美子は仕方がないと窓の方に行った。隙間を潜り、例の人物を見たのだろう。「わっ」と恵美子は声を漏らす。騒ぎの声が大きくなり、春花は少し唸った。眠りに集中したいが、騒いでいるので眠れない。


「こっちに格好良い人が来るよ!」

「白い帽子を被っている。書生さん、あれ。軍人さんっぽいな? 最近のお金持ち軍服は取り入れるのが流行りだけど、どっちだろう」


 いくつかの言葉が聞こえた時、彼女の体がぶるっと震えた。白い、軍帽。軍人。


「あの、ここに喜代子先生はいらっしゃるかな?」


 声が聞えた。夢で聞いた声と同じで嫌な予感がする。まさかと思い、すぐに顔を上げる。春花の予感は見事に当たった。

 

「喜代子先生の関係者で、お荷物を届けに来たんだけど」


 二十代後半の男性だろうか。青い風呂敷を抱えていた。明るい茶髪。ふわとしたくせのある長い髪を緑のリボンで縛って風に揺らしている。


「喜代子先生は今教室にいませんよ」

「そうなのかい? うーん、ここじゃなかったか」


 女子生徒に言われ、白い軍帽を被り直した。別の校舎を見た。腰には武器である拳銃が二つ。間違いない。夢で見た優しいお兄さん。

 夢では見惚れたが、春花にとっては悪夢を思い出させる原因。脳裏に夢の映像が駆け巡り、顔を真っ青にして立ち上がる。がたっと大きく音を立てた。椅子が後ろの机に当たった音。あまりにも大きな音なので、春花の方に皆は注目する。

 男性は気付いて驚いた。


「っ!」


 視線が絡み合った瞬間、春花は荒々しく教室の戸を開ける。弾けたように廊下に出た。


「春花って、春花? 春花!」


 恵美子の名を呼ぶ声が聞こえるが、春花は恐怖心に駆られた。

 何もかも忘れたくて、無我夢中に走る。不思議な夢のせいで軍人が見られない。町でちらほら歩いているが、見るのが怖くなる。

 急いで走ったが、彼女は校舎の玄関から出ていた。

 玄関の近くにある木で一息つく。少し落ち着き、自分の行動を振り返った。走る馬の如く、教室から去った。目立った行動であり、恥ずかしい。おかしな行動を取った自分に恥じ、身を隠すように木の幹に隠れる。

 はらはらと上から花びらが落ちてきた。

 薄い色の花びらは春花の黒髪に付く。ふわりと花の香りがし見上げた。桜の花が優しく包み込むように空を覆っている。花びらが落ち、春花の怯えている心を癒すようだ。あまりの美しさに釘付けになる。

 夢に出てくる桜は妖しくて怖いが、この桜は怖くない。

 自然と微笑みを零し、春花は桜を見続ける。視線を感じて振り向くとさっきの男性がいた。じっとこちらを見ている。春花自身は驚いていた。何故、慈しみの目でこちらを見ているのだろうと。男性は我に帰ったのか、慌てて近づく。


「あの、ごめん。いいかな、君は昨晩おかしな夢を見なかったかい?」


 話しかけられ、桜の少女は思い出す。夢、桜、軍人、血。男性。見た夢を想起し、春花は顔色を真っ青にした。男性は真剣な顔で話を続ける。


「君はやはり夢を」

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 春花は女らしくもない悲鳴を上げた。

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