第二審

1

 事件は——いや、こんなのは事件とも事故ともいえない。事象や現象と呼ぶのが相応しいだろう。とにかくは、二週間前の八月一日午後三時十七分に起こった。

 東京都東ヶ樫ひがしががし市内を中心に、およそ8000人あまりの人間が、原因不明の突然死を遂げたのだ。

 『原因不明』というのは文字通り、『なんの関係もない人々がなんの前触れもなくただ単に、そして同時に死亡した』という事実以上のことがまるでわかっていないということだ。

 今も様々な分野の専門家が事態の究明を急いでいるようだが、やはりというべきか、その成果は芳しくないようである。

 ぼくがそのスキャンダラスな怪奇現象に関して一般的な理解を超えた認識を持っているのは、それこそ事故のような偶然の賜物だった。

 架々ノ賀ソラ——ソラの唯一の友人でなければ、きっとかの『伝説の魔法少女』からの遺言を受け取ることはできなかっただろう。

 あるいはもし、午後三時十六分にかかってきた電話を気まぐれで無視していれば、それだけで終わりだったはずだ。

 なんて、どう仰々しく煽ったところで実際に起こった出来事は至ってあっけないものである。

 スマホの着信音が鳴り。

 発信元を確認して。

 通話を開始して。


使


 通話が切れる。

 これだけだ。

 無能なうえに能天気なぼくは、ソラの声音からなんとなく違和感を察知していながら『まあそんなこともあるか』と流したまま一日を過ごし、夜のテレビで件の現象が報道されるまで、魔法殺しの存在に気づいてすらいなかったのだった——。


「待ってください、ちょっと待ってください」

 狼狽のためか台本口調の崩れた辻さんが、ぼくの説明を遮った。

 頭に手をあて、『混乱しています』と言わんばかりの表情だ。

 ぼくの説明のどこに反応したのか、空気がざわめいていた——いや、空気といっては失礼か。実際にぼくの後ろで誰かがなにやら言い合っているようだった。

 しかし拉致監禁されているという状況にそぐうものでこそないが、女子達のひそひそ声というのは中々に緊張感を煽られるBGMだな…。

「なにを言っているんですか?架々ノ賀ソラは死んでいる?あなたは、架々ノ賀ソラは——何なんですか?」

「なに、と言われましても……」

 返答に困る素振りをしつつぼくは少し迷う。

 よくわからないが、なにやらぼくの持っていた情報が向こう側の認識を深刻に揺るがしている様子である。

 それで情報アドバンテージが逆転するなんてことはないが、少なくとも単なる捕虜という立場からは脱せる可能性が出てきた。

 だから、選択の余地が生まれる。

 ならばぼくはどの程度、ぼく自身について詳らかにするべきだろうか——。

「……いえ、わかりました。どうやらあなたを使い捨ての鉄砲玉の様に扱えばとんでもない大火傷をする可能性が無視できないようです。現場判断にはなりますが、私達の持つ情報・認識を共有しておきましょう」

 そう言って彼女は、台本にない話を語り始めた。


2

「こんなことをいってはお終いかもしれませんが、どうして誰も『そもそも魔法とは一体なんなのか』ということを問題にしないのでしょう

「いえ、もちろんそれは物理法則のように究極的には『そうだからそう』と受け入れるしかないもののひとつだということは重々承知の上です。

「ですが、だからこそ物理法則のように、実験に実験を重ね、観察に観察を重ね、魔法というものを解明していく必要があるのではないか——。

「科学ならぬ魔法学を。

「非科学ならぬ魔法学を。

「そういった理念のもとに組織された秘密結社がここ、国際魔法協会です。

「厳密にはその前身、国際魔法学会ですが。

「具体的な活動内容については割愛して、とにかく今、魔法使いが直面している問題を理解するうえで必要な知識だけを、できる限り簡潔に説明しましょう。

「そのためには、魔法とはなんなのかという問題を避けて通ることはできません。

「ものごとを説明するには様々な方法がありますが、中でも最も根本的なものは、そこにある因果を物語ることでしょう。

「『なぜそうなのか』、ワイダニットですね。

「しかしその理由は、実はかなり初期の段階で突き止められています。

「なぜ魔法があるのか。

「それは魔法があるからです。

「いえ、なにも頓智を始めた訳ではありません。

「例えば空気の対流は『空気が空気を動かす』現象ですよね。

「それと同じように——まあ、魔力のようなものを想定してください。魔力が魔力を動かす流れ、それが魔法という現象なのです。

「これが明らかになったことで、魔法の根源を辿る学派は次第に亜流となり、学会では魔法をいかに有効に使うかといった研究目標が主眼に置かるようになります。

「しかし近年になって、その亜流学派から重要極まる発見がなされました。

「魔力自体の源を、つまり魔法の根源を、ついに突き止めたのです。

「それだけならば悲願の達成であり、全魔法使いへの福音となるはずでした。

「しかしそうはならなかった。

「すべての魔力の源。

「それは

「物理法則のようにありふれた魔力は、

「はい、これはもう完全に頓智です。

「しかしそんな混乱に終止符を打つための鍵となったのは、意外なのか当然なのか、量子物理学の理論でした。

「それは素粒子は非常に短い時間であれば、"無"から出現することができるというものです。つまり、即座に消滅することさえできればの存在が認められる、と。

「この理論に目を付けたのが、現会長である箕楼匡悟みろうきょうご先生です。

「先生は魔法の不在と素粒子の不正を認める立場を組み合わせ、二つの大胆な仮説を提示しました。

「ひとつには、。つまり極限のミクロの世界では生成と消滅が目まぐるしく繰り返され、そのサイクルの延長線上にあらゆる存在が——『世界』が存在している、というものです。

「そしてもうひとつが、『魔法の世界』の仮定です。私達が経験する現実世界とは完全に独立した、量子物理学とはが絡まりあう様に存在している——と。

「突飛な話ですが、この仮説はある現象を効果的に説明することを可能としました。

「それはこの80年程、加速度的に進行してきた魔力のです。

「空気がよどむ様に、観測される魔力がどんどんと溜まり続けていたのです。

「この現象は先生に『世界の寿命』と名付けられました。

「魔力と生成と消滅の、そのバランスが崩れ始めたために、不均衡なエネルギーが溜まってしまっている。

「つまりこの現象を放置していれば、生成自体が止まってしまう可能性があるのです。

「早い話が、世界が終わります。


3

「せ——世界が終わる?」 

 とうとう耐え切れず、ぼくは話を遮ってしまった。

「そうです。先生はずっと、その魔力が溜まった『澱』のようなものを探していました。いうなれば世界が歪むことで生じたのようなものです。そんな中、数年前に現れたのが≪伝説の魔法少女≫、架々ノ賀ソラなのですよ。彼女の荒唐無稽な暴挙の数々は私達に多くの発見をもたらしましたが、その代わりに世界を差し出すような法外の——魔法外の契約をした覚えはありません」

 辻さんは続ける。

「どのような経緯があったのかは私の想像にあまりますが、あなたが親しくしていた架々ノ賀ソラは、人の形をした爆弾のようなものなのですよ。適切な処置をしなければ——大量の犠牲者を出し、さらには世界を滅ぼしかねない、そんな爆弾です」

「そんな…」

 あまりにも壮大な話から逃げるように、ぼくの思考はある事実に吸い寄せられる。

 そうか、だから少女なのか。

 魔法差別の典型的な理屈に『彼らは先天的に人にはないを持って生まれてくる。故に魔法使いを人間と認めることはできない』というものがあるが、これは結論以外は正しい。

 特に魔法を能力ではなく機能とする考え方は、直感的にかなりわかりやすいものだった。

 ここには使という、少々微妙な事実がある。

 例えば、手だ。

 一般に人には誰しも手が付いているが、幼い子供がピースサインを作ったり箸を持ったりするには、生きていく中でその機能を習熟しなければならない。

 これと同じように、魔法使いは魔法を持って生まれるが、持って生まれて魔法使いである訳ではないのだ。

 もちろん、魔法は手のように目に見えるものではないから、魔法使いは魔法と認められる現象を引き起こして初めて魔法使いと呼ばれることとなる。

 つまり、『ある日突然魔法使いになった』以外のなり方がないのだ。

 そして問題は、ということである。

 ソラの"話"から推察するに、魔法は全能の機能だ。

 要はなんでもできる力である。

 しかし当然ながら、そして残念ながら、そんな魔法が使える人間はいない。

 これも微妙な事実である。

 使、ということだ。

 つまり人は、それこそ箸の持ち方を覚えるように社会通念を身に着けていくその中で、『なんでもできる力』を無意識に加工してしまうのだ。

 ここから逆説的に、ひとつの傾向を見出すことができる。

 それは使使ということだ——だから魔法少女兵、『変身』できる魔法使いの軍隊は、なるほど理にかなっているのだろう。

 世界を——救うために。

 理にかなった、人選なのだろう。

「本来ならば、この事実をあなたが知るはずはありませんでした。脅迫し、拷問し、架々ノ賀ソラを裏切らせる——それだけのはずだったんです。しかしあなたは架々ノ賀ソラは既に死んでいるという——教えてください。あなたの知る≪伝説の魔法少女≫について」

 今やあなたにも、世界がかかっているんです——と、辻さんはそう結んだ。

「……」

 言葉がでない。

 考えもでない。

 なんてことだ。

 ついさっきまで活殺自在だった捕虜に、世界がかけられてしまった。

 一体どんな心の準備をしていれば、こんな状況で頭脳を働かせることができるのだろう?

 いや、しかしこんなことは考えるまでもない。

 選択の余地だなんて戯言、冗談でも口にできないだろう。

 拷問も脅迫も不要になる訳だ。

 と、そう言われているのだから——。

「わかりました。ぼくが知る限りの情報を、余すことなくお話しましょう」

 それこそ台本を読むかのように、ぼくはいう。

 幸か不幸か、先の辻さんの解説を踏まえるならば、僕にも心当たりがあった。

「ありがとうございます。あなたがそう言ってくださることを信じていました」

 辻さんが右手を差し出す。

 ぼくはそれを握った。

「ですから、約束してください。私を裏切らないこと。世界を裏切らないこと。

「もちろんです。それが世界のためなら——」

 ぼくはそう答える。

 そう答えるしかないから、そう答える。

「ありがとうございます。本当に」

 辻さんが微笑んだ。

「≪八つ裂きの刑デビルフィッシュ≫」

「え」

 そして、ぼく脳内に、まるで走馬灯のように、ソラとの思い出のすべてが駆け巡った。


4

「な……」

「……え?」

 直後、まるで電流でも走ったかのように、ぼくと辻さんは同時に手を放し、その手を各々の額に当てた。

 

「私の魔法です。≪八つ裂きの刑デビルフィッシュ≫——直接触れている相手に、約束に沿った魔法をかける能力」

 …なるほど。

 魔法というより詐欺にかかった気分だ。

「しかしこれは…いや、でも確かに…全能の魔法、伝説の魔法少女……こんなことが……」

 しかし、それは辻さんも同じだろう。

 伝説の魔法少女。

 その存在は、まさしく詐欺そのものだったのだから——。

「いえ、よくわかりました。都合さん」

 早くも混乱から立ち直ったのだろう、辻さんが気丈にもぼくを睨む。

「ですが最後に、約束とは無関係ですが、私の個人的な疑問に答えてください」

「構いませんよ。どうせもう、隠したい部分は全部バレちゃいましたからね…」

 正直言って微妙な気分だった。

 恥知らずなぼくだが、それでも、ここまで明白あからさまな黒歴史を余すことなく紐解かれるというのは——。

「架々ノ賀ソラが死んでから二週間、あなたはどうして平然と日常生活を送っていられたのですか?内心では嫌々従っていたというならまだしも——あなたは、本気で彼女に心酔していたではないですか」

 それはきっと、実際にぼくの思いを、ぼくとソラの思い出を、共有しているからこその疑問だろう。

 ぼくは場違いにも、少し嬉しくなってしまう。

 この気持ちを誰かにわかってもらえる日がくるなんて、想像もしていなかった。

「簡単ですよ。ぼくは確かに彼女のためならなんでもできるほど、彼女に魅了されていました。だからこそ彼女はもう、ぼくにとっては生きてるとか死んでるとか、そういうのは問題ではなくなっていたんです——」

 彼女のすべてはここに残っている。

 ぼくはスマホを取り出し、問題の心当たりにアクセスした。

 それは、有名な小説投稿サイトの作品画面だった。

 タイトルは、『魔法少女探偵マジカル・リーガル・ガール・ディテクティヴ

 作者は——架々ノ賀ソラ。

 彼女のすべてを語り、ぼくのすべてを奪った、『魔法の世界』の伝説アカシックレコード

 今、世界の中心にある——傑作だった。

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