第一審 

1

 恥を知らない人生を送ってきました。

 なんて、使い古された引用の使い古されたツイストを堂々と一文目に持ってきてはばからない程度には恥知らずなぼくだけれど、しかしそんな脳の足りない幸せな男とて、後悔を知らない人生を歩んできたわけではない。

 嘘だ。

 本当は後悔も知らない。

 というとまるでぼくがこの上なくストイックな優等生であるかのような誤解を生みかねないから、信頼できる語り手として、事実はその真逆であるということを断っておこう。

 もちろん現実として、一度も後悔をしたことがないとか後悔という感情がわからないとかいう訳ではない。

 例えば今年の夏休みも順調に進めば、最終日にはソシャゲに費やした日々を呪わしい気分で思い出すことになるはずである。

 今のうちに後悔しておこう。

 しかし、だったら後悔を知らないというのはどういうことなのか。

 端的にいうと、これまでの人生に変えたい過去がひとつもないという意味だ。

 当たり前と言えば当たり前である。

 少なくとも今をして中学二年生14歳であるぼくの人生なんてあってないようなものだし、そんなぼくに変えられるものなんて、ないようなものどころか本当にない。仮に小学生のころに戻れたところで、どうあがいたって中学校には行かなくてはならない。行かなくても『行かなくてはならない』という部分は動かしようもない。

 毎日を日曜日にする能力は、ぼくにはないのだ。

 こんな極論を持ち出すと、なにもそんな荒唐無稽な目標じゃなくても、もっと良い成績を取るとか友達と仲良くするとか好きな子と付き合うとか、日常のささやかな願いが、そして挫折が、お前にはないのかと言われるかもしれない。

 まあ、ないのだけれど。

 これも当たり前だが、誰もが良い成績を取りたい訳でも友達や恋人が欲しい訳でもないのだ。

 であれば、良い成績も友達も恋人もいらないと思う人間がいたところで不思議はないだろう。

 後悔を知らないことが、必ずしも優れていることと直結しない理由はここにある。

 だから、事実は真逆なのだ。

 むしろぼくは、ぼくの無能さゆえに後悔を知らない。

 もっともこんなのは運に恵まれた人間の戯言だ。もしこの無能が成績を期待されれば失望の眼で見られることは確実だし、円滑なるコミュニケーションの失敗はそのままいじめに繋がるかもしれない。

 まあとはいえ、運に恵まれなかった人間に責任はない以上、それでもやはり後悔することは難しいのかもしれないが。

 後悔とは、過去の自分を裁くことなのだから。

 だからぼくが未来に求めることはただひとつ、今と同じであることだ。

 すべてがあるから何もいらない。

 満月のように満たされた今日が、明日も続きますように。

 そんな願いを、マンションの向かいのコンビニにジュースを買いに行った帰りに誘拐された今でも、ぼくは変わらずに抱き続けていた。


2

 誘拐された先は学校だった。

 それも知らない廃校なんかではなく、まさにぼくが今現在通っている区立第一中学校である。

 いや、夏休みだから籍は置いていても通ってはいないが。

 とにかくその学校の——どうやらカウンセリングルームのようだった。

 存在は知っていても入ったことのない、空気のように無視していたその部屋の内装をぼくは全く知らなかったし想像もしていなかったが、壁の質感に窓の景色、それに間取りからなんとなくアタリをつけることは難しくなかった。

 意識を取り戻した——というよりような感覚だったが、とにかく視力用いることが可能になったぼくは、部屋の全体に目を走らせる。

 シンプルな長机にたくさんの椅子。模様のついた壁がまるで学校の中にありながらその一部ではないかのような印象を放っていた——ひょっとしたらそういうのも、なにかしらの心理的な効果を狙ってのものなのかもしれない。

 後ろを振り向こうとしたところで、首が動かないことに気づく。

 驚いて思わず声が漏れそうになるが、呼吸は全く声帯を震わせることなく、ひゅうっと喉を鳴らしただけだった。

 その段になって初めて、金縛りにあったかのように全身が動かないことに気がついた。

 パニックに陥る暇もなく、背後から声がする。

「先輩、目が覚めたようです」

 知らない女の子の声だった。

 声からは年齢まではわからないが、『先輩』がいるからには恐らく学生なのだろう。

「ちょうどだね。ご苦労さま、斯々これれちゃん」

 ありがとうございます、と答える声は、先の声より遠くから聞こえた。

 なるほど、どうやら先輩とその仲間達のような一味に、ぼくは連行されてしまったらしい。

 はて、なにかとんでもない不良少女達に目を付けられるようなことでもやっただろうか。あれがばれたかこれが不味かったか…などと考えを巡らせていると、「斯々ちゃんもおいで。隣りに」という声とともに、『先輩』と呼ばれていたその人だろう、軽くウェーブのかかったセミロングの髪型に、ジャンパースカートの制服に身を包んだ少女がぼくの前に回ってきた。

 少女といってもぼくよりは年上の、高校生くらいのようだが。

 うちの女子の制服はセーラー服だから、この学校の生徒でないことは確実だし、身長こそクラスの女子とそこまで変わらないが、髪型をはじめ、仕草の端々から同い年とは思えない大人っぽさが漂っていた。

 しかし中高一貫校でもない普通の区立中学に、どうして知らない学校の女子高生がいるのか——そんな疑問は、直後、どこかへ吹き飛んでしまった。

 その『先輩』についてきた少女に、ぼくはまたも目を見張る。

 目を見張る以外のこともできたなら、口を開けて愕然とした間抜けな表情を晒していたことだろう。

 そこには、魔法少女がいた。

 他でもない、あの魔法少女である。

 リボンのついたふわふわと広るミニスカートに鮮やかな差し色の入ったブラウス、裾に大きなフリルがあしらわれた長いマントをはおりながらフードを目深に被った姿の彼女を表すのに、『魔法少女』以外のどんな語彙が用いられるべきだろう。

 普通は自分の目を疑う場面だ。

 いきなり目の前に魔法少女が現れたら、それはもう天井知らずの滑稽か笑えない冗談にしか見えないだろう。

 しかし、ぼくには違った。

 滑稽でも冗談でもないし、もちろん笑えもしない。

 そしてそもそもいきなりですらなかった。

 

 そのために、ぼくは網膜に映る光景の不条理さを十二分に受け取ることとなった。

 女子高生の少女と魔法少女の少女は、ぼくの向かいの席に並んで座った。

「はじめまして。私はこのチームのリーダー、つじつきと申します。まず、そうする他なかったとはいえ、手荒な手段でここまでお招きしてしまったことを謝罪させてください」

 申し訳ありませんでした、と台本を読んでいるかのようになめらかな口調で頭を下げる女子高生、もとい辻さん。

 魔法少女——斯々と呼ばれていたか——もそれにならった。

 なるほど、やはりただの大人びた年上の女の子という訳ではないらしい。

 魔法が——絡んでいる。

「さて、都合待期とごうだいきさん。私達はあなたにいくつか確認したいことがあります。どうか落ち着いて、できる限り明晰に答えてください」

「……声が出せないのにどうやって答えればいいんですか」

「あら、自己言及のパラドックスですね」

 辻さんが笑う。

 なぜか彼女が言葉を切ったとたんに、体に自由が戻っていたのだ。

 これが斯々とやらの魔法なのだろうか。

 どうしたものか——ぼくは考えを巡らせる。

 慇懃無礼もいいところだが、少なくとも今この場でぼくをどうこうしようという意志はないと見ていいだろう。しかし逆にぼくにどうこうさせてくれる様子もない——ならばここからの一言半句が、ぼくの命運を分けることになるはずだ。

 OK。

 まあ、せいぜい上手に命乞いするとしよう。

 なんとぼくの命乞いの成功率は100%を誇っているのだ。

「しかし少なくとも今のところ、あなたに私達に質問する権利はありません。もしあなたが質問への回答以外の行動を取った場合——」

 ふいに、椅子がことに気付いた。

 部屋は。天井は。ぼくは。まるで止まったトリックルームに放り込まれた様な恐慌がぼくの脳内を支配して——。

「——と、このようにペナルティを与えます」

「………」

 冷や汗でびっしょりになりながら、ぼくはやっとの思いで2人をにらむ。

 いきなりなにをしやがるんだ。

 そんな切実な疑問が辻さんに通じた訳ではないだろうが、それはすぐに氷解することとなった。

「今体験していただいたのはこの子の魔法、

右手でしていることを左脳に知らせるなノットフォーユー≫です。五感から反射神経まで、人間の"感覚"を奪う魔法——先ほどはあなたの平衡感覚を奪わせました。このように、私達はいつでも、一切の外傷のないままにあなたから正気を奪うことができるということを覚えておいてください」

 ……血の気の引くような思いだった。

 そんな埒外の魔法使いの集団に、ぼくは誘拐されてしまったのか。

 こいつは——こいつらは、ぼくをどうこうする気がないどころの話ではない。

 どうとでもする気なのだ。

 「では、確認事項のひとつめです。あなたは今、この状況をどのように把握していますか?」

「……知らない女子高生と魔法少女に拉致監禁されていますね。それも通ってる学校に」

「自分が誘拐された理由に関して、心当たりは?」

「ありすぎるほどありますが——だからこそ注意してきたつもりなんですけどね。そういう意味ではないともいえるでしょう」

「しかしあなたには具体的に、こうして魔法使いに拘束されるにたる確固とした由縁がありますね」

「……架々ノ賀かがのがソラ、ですか」

 辻さんがうなずく。

 そこまで調べがついているなら、ぼくからいうことはもはや何もなかった。

 本当に確認以上の意味はないのだろう。

「つまり私達は、架々ノ賀ソラのアキレス腱として、彼女の友人であるあなたをさせていただいた訳です」

「——は?」

「単刀直入にいいます。都合待期さん。架々ノ賀ソラを裏切ってください。あのを、"魔法殺し"を倒すために——あなたの力が必要なのです」

「……いえ、それはできません」

 ぼくは多大な困惑を覚えつつ、それに答える。

 なんだ、一体なにを言っている?

「そうですか……。それは残念です。無用な犠牲を増やしたくはなかったのですが、無用な生を減らしてとんとんということにしておきましょう。それでは——」

「待ってください。なにも協力の意思がない訳ではないんですよ」

 ぼくは努めて理性的に、動揺が現れない様な口調を意識して言葉を紡いだ。

 命乞いを抜きにしても、こんな誤解を、誤謬を、見過ごせるはずがない。

 だって、だって架々ノ賀ソラは——。

「架々ノ賀ソラは、もう死んでいます。二週間前の"魔法殺し"の中で、命を落としているんです」


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