第6話 後編
翌年の3月。
いつも通りに仕事が終わり、音楽スクールのある渋谷へ向かった。レッスンを終え、龍喜師匠の携帯電話にメールをした。
しかし、返信が返って来なかったので、自宅に帰宅した。就寝前に着信音が鳴ったので開いてみると、彼からの返信メールが来た。
"遅くなって申し訳ない。仕事で今帰宅した。また今度にしよう"
仕方ない、いつもの事だ。
彼の仕事には時間が不定期に入る事が当たり前なのだ。売れっ子って大変なんだと思った。
2週間が過ぎた日中に、遅番で仕事に向かう電車の中で、1通のメールが届いた。師匠からだ。
"里英へ。君へのメールがこれで最後になりそうだ。僕は一流の…本物の噺家になる為に、恋いとと別れることにした。来月、以前話をしていた新しい彼女と一緒になる。家族の為にも、籍を入れる事に決めた。だから、あまり会えなくなる事が増えそうだ。里英は里英で自分らしく居て欲しい。それが、僕の一番の願いでもあります。"
暫くは一方的な文面にも思えたが、やはり直接会って話がしないとこちらも納得がいかない。
けれど、それは彼への甘えにもなってしまう。
男性のけじめ事を押し潰す事はしたくないが、最後にもう一度会いたいと、連絡をした。
2ヶ月後の5月の半ば。私の職場のある吉祥寺駅の仲通り沿いの近くの創作居酒屋に、師匠を連れてきた。
幾つか注文した後、前回のメールの件で話をした。
「あの文面だけじゃ、気が済まないのも分かっていたよ。きっと会いたがっているに違いないと考えていた」
「入籍する事は本当に驚きました。でも、龍喜さんが決めた事だから、私はそこには介入しません。」
「お前も悪かった。…ごめんな」
「気にしないでください。幸せ、ですよね?」
「あぁ。やっと気が晴れて吹っ切れたような感じだ」
「今晩、泊まっていってくれませんか?」
「…そうしてもらうよ」
彼がそう耳元で囁くと、私はグラスを飲み干した。
自宅に着き、部屋へ上がると直ぐに彼は私を抱き寄せて、ベッドへ押し倒してきた。舌を絡めてキスをしながら、下半身の服を脱ぎ、照明を消して、身体を弄られていった。
「一度しかしないから、痛くても我慢して」
師匠はそう言うと、彼はシャツと下着を着たまま、私は上半身だけ服を着たままの状態で、彼の性器が私の陰部を押し付ける様に腰を振ってきた。何度も痛がる私をよそに、濡れて硬くなった彼自身の性器を私の身体の奥まで挿入してきて、やがてそれが快感となっていった。
気がつくとお互いが眠りについていた。
明朝4時。目を覚ますと、師匠は衣服を整えて、私が起き上がると、優しく微笑んでくれた。
「昨日、どうだった?」
「痛かったけど、気持ち良かった。ありがとう…ございます」
「朝一の時間の電車で帰るよ。里英はまだ寝ていなさい」
「龍喜さん」
「何?」
「また…会えるよね?」
「うん。また、会おう」
その言葉が最後だった。
彼は静かに部屋のドアを開けて、自宅に帰って行った。
その
ただ、この事は師匠には敢えて伝えなかった。
数年が経ち、体調が回復すると再就労をして、師匠にもメールを送った。
"元気で居れている事が何よりだ、ご自愛ください"
という返信が、本当の最後の別れとなった。
彼との出会いは一体何だったのだろうか。
夢が破れても悔いが残らないという、不思議と平穏さを保ちながら生きていられるのは、やはり出会うべくして経験をしたからこそ、今の私があるのだと実感できた。
彼と交わした残り香は未だ身体に染み付いたままだった。
***
「適応障がい?それって、龍喜が原因でなったの?」
「いえ。元々控えめな性格が祟って、その病が付いただけの事です。逆に本来の自分を知る事が出来たきっかけになって良かったんです」
「今はお仕事は?」
「事務員…というか、雑用で回されている身ですが、ちゃんと働いています。」
「そう。でも、今回の件を公表したくなった理由って何?」
「恋いとさんが、他の女性達の事を話していただいて、私も今が訴える時期に来ているんだと。…直感ですが、そう思ったんです。」
「彼をまだ恨んでる?」
「恨みや憎みはないんですが…これまでの傷を痛めつけるには、今がチャンスなんじゃないかって」
「恨んでいるからしたいんでしょう?」
「じゃあそうしてください」
彼女は結局何が言いたいのかは不明だが、彼が一般人への爪痕を残した打撃は大きい。
しかも精神面の病を抱えてながら生きているというから、尚更だ。
「ところで、事務の仕事って事は地元に住んでいるの?」
「いいえ」
「じゃあ、今は何処に?」
「都内です。だから、彼の過ちをさっさと片付けてしまいましょうよ。」
流石の私も何も言い返す事が出来なかった。
しかし、鉄は熱いうちに打て。
次の行動に移す時が来たようだ。
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