第9話 神職の過去(3)


 

「スズラーン、もうすぐオトンたち帰ってくるぞー」


 玄関先でリンドウが声を上げると、襖が開いて道着に袴姿のスズランが出てくる。リンドウの顔を見ると、にへらっと笑い、トテトテと玄関に向かい駆けてくる。


「おかえり、リンドウ、父上たちは無事か?」


「なーんも問題ない。あとな、開けたら閉めんと叱られるぞ」


 リンドウは下駄を脱いで廊下に上がると、スズランが開けっ放しにしていた襖を閉じに行き、少し戻ったところで横になった。スズランは「うん、分かった」と頷いて、土間の前で正座して皆の帰りを待つ。これもまたリンドウの計らいだった。


 リンドウはオモト一家が大好きだった。自分をマモリ見習いとして引き取ってくれただけでなく、かつて自分が世話をしていた孤児たちを孤児院に入れ、現在に至るまでその援助も続けてくれている。おまけに自分は家族の一員として扱ってもらえている。


 感謝してもしきれない。そこに大きな負い目を感じていた。


 それでスズランには絶対に自分を兄と呼ばせなかった。敬語も使わせなかった。自分は拾われ子だからお前よりも下だと、そう言って聞かせていたのである。


「ええか? 皆が帰って来たら『お帰りなさいませ』て言うんやぞ」


「うん、分かった」


「こないだみたいに『お帰りくださいませ』て言うたらアカンからな。家主を玄関払いするとか面白過ぎるけどやな、そういうんは俺がやるからな」


 スズランが先程と同じ返事をしてコクリと頷く。しかし、それから数分待っても家族は帰って来ない。リンドウは首を捻って半身を起こす。


(おかしいな? あ、二つ目出たんか!)


 はたと気づいたリンドウは、スズランに足を崩して楽にするように伝えた。スズランは素直に受け入れて、ニコニコしながらリンドウに引っ付く。


「リンドウ、遊んで」


「あとでな。も少ししたらオトンたち帰ってくるから、それまで我慢してくれ」


 リンドウは探知を使って外の様子を探っていた。ふと、そこに四つの反応が現れる。一つ多いが、リンドウは即座に察する。話に聞いていたことが起きたのだろう、と。


(どんな奴が来んねやろ)


 渡り人。クンルン、ホウライ、そういった話が頭を駆け巡り、一瞬呆然としたが、ハッと我に返り、慌ててスズランに正座するように伝え、自分は横になる。


 間もなく、オモトとウカノが玄関に入ってきた。


「おかえりなさいませ。父上、母上」


 スズランは床に両手を着き、恭しく頭を下げて出迎える。


「ただいま、スズラン。今日は上手くできたな」


「あら、本当」


 オモトとウカノに頭を撫でられ、嬉しそうにするスズラン。普段ならそれをこっそり見て微笑むリンドウなのだが、この日はそこに目を向けることができなかった。父母の出迎えの挨拶すら忘れ、背筋にゾッとしたものを感じていた。


(なんや、あいつ……⁉)


 視線の先には、カラタチに媚びを売るようにヘラヘラと笑って歩く痩身の男の姿。その男が下からめつけるように目を光らせた瞬間をリンドウは捉えていたのである。


 虎視眈々と、獲物の喉に食らいつく折を狙うような気配。


 だが、それはほんの僅かなもので――。


 短く切り揃えられた黒髪を右手で掻きつつ、左手は黒いマウンテンパーカーのポケットに入れたまま出さない。カラタチから話を聞かされている間中、黒いデニムパンツを履いた足が忙しなく揺れている。上背があるのに猫背。眉は頼りなげに下げられており、その落ち着かない様子から、リンドウは気の所為だったと思い直した。


 間もなく、登山靴をジャリジャリ鳴らし、玄関にやって来たその男のことが、オモトの口から紹介された。レンゲ山からこちらに渡ってきた、渡り人のギイチ・コガネイ。


「我が家では初の渡り人の保護だ。リンドウ、お前と同じくマモリ見習いとして家族に迎えることになるから、色々と教えてやってくれ」


「歳は俺と同じ二十歳はたちだが、お前が兄弟子だ。お互い、少々やりづらいかもしれんが、問題が起こりそうなら先に相談してくれ。俺が取り計らう」


「いやーハハハ、化け物から助けてもらっただけじゃなく、至れり尽くせりですね。感謝してもしきれませんよ。坊っちゃん、よろしくお願いしますね。俺ちゃんのことはギーって呼んでください。お嬢ちゃんもね。皆さん、今日から御厄介になります」


 ギーは真面目にマモリ見習いとして日々を過ごしていった。オモトにはへりくだり、ウカノとスズランには紳士的に、カラタチには礼儀を忘れず親しげな友のように、リンドウには悪友として、それぞれが望むであろう形に態度を変えて……。

 

 

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