第8話 神職の過去(2)
「カラタチ、ツツジ、俺が帰るまでウカノを頼む」
オモトに呼びかけられた二人は、力強く「はい!」と返事をして頷き、三人が【影転移】で姿を消すのを見送るや否や、ばたばたとオモト邸へと駆け込んだ。
「カラタチ、どっちが良いんだ?」
「妹! 弟はもういるようなもんだからな!」
それは、アルネスの街の
オモトは「あの悪たれ!」と怒声を上げ、涙目で噛まれた腕にフゥフゥと息を吹きかけていたが、カラタチはとんでもない奴がいたもんだと一目置いていた。
それからこっそりコタロウのことを探り、スリをするのが自分より幼い孤児たちに食べ物を与える為だと知って胸を打たれた。
こんなに小さいのに、
カラタチは家に帰ると、オモトに事情を話した。そしてコタロウをマモリ見習いとして引き取ってほしいと頭を下げた。
実はオモトもそのつもりだった。カラタチよりも前に、コタロウの心根の良さを知っており、また身のこなしにも凡庸ならざるものを感じていたからだ。
財布をすられるのも、他の者に迷惑が及ばないよう、またコタロウが酷い目に
そういうこともあって、息子からの突然の提案にオモトは大笑いした。マモリ見習いにするということは養子に取るようなもの。カラタチにどう説明したものかと頭を悩ませていたところだったのだが、それが図らずも消え去って清々していた。
当然、カラタチの願いは受け入れられた。
その時のことを思い出し、カラタチは胸を躍らせながら板張りの廊下を駆けた。
「弟って何のことだ?」
「マモリ見習いに、七つ下のが来るんだよ。やんちゃで面白い奴なんだ」
カラタチはウカノの部屋の前に立ち、息を整えた後で「母上」と声を掛けた。すぐに「お入りなさい」という穏やかな声が返ってくる。
襖を開けた向こうでは、
「わぁ、小さい」
「ウカノ様、おめでとうございます!」
「ふふふ、ありがとう、ツツジ」
カラタチは妹をじっと見つめた。すると妹は泣き止み、見つめ返してきた。
「お兄ちゃんよ、スズラン」
スズラン、とカラタチは呟いた。
八年後――。
小雨降る梅雨の日。砂浜にオモトの篠笛が響き渡った。
シャラン。と、その和の調べに鈴の音が絡む。
【神楽舞台】の上で、ウカノが神楽鈴を手に舞いを始めていた。
巫女装束をはためかせ、舞台の上を所狭しと跳び回るウカノ。その舞を彩るべく、片膝を立てて篠笛を吹き鳴らすオモト。そんな二人の姿を、小袖に羽織袴、そして大小二本差しという出で立ちのカラタチが見上げていた。
マモリになって三年が経つ。その間、二人の姿を見続けてきた。
初めて両親の笛と舞を見た頃の衝撃こそ薄れたものの、今でもずっと美しいと思っている。ただ、生来の上昇志向がアレンジメント欲求を出し始めていた。
(帰ったら、太鼓を加えてはどうかと父上に言ってみるか)
カラタチがそう心に決めたとき、不意に海が爆ぜた。
(来たか。【障壁】)
巨大な鮫に似た魔物がウカノ目掛けて飛び掛かる。が、ウカノは動じることなく舞い続けた。オモトも気にする気配を見せず、篠笛を鳴らし続ける。
二人は何もせずとも構わないことを知っていた。
魔物は【障壁】に阻まれ、跳ね返る。そこにカラタチが駆け抜けざまに居合一閃。
血煙。
魔物の胴が繋がったまま砂浜に落ち、そこでようやく両断され、血を噴出させる。
その光景広がる背後には目もくれず、カラタチは不満そうに刀を見つめていた。
(まだ結構付いてるな)
刀に付いた血脂を光術の【浄化】で落とし鞘に収める。
カラタチは血も脂も一滴として刀に付着させない剣を目指していた。
ただの一振り。されどその一振りに勝るものなし。かつて父に言われたことを鵜呑みにし、ゴールド階級冒険者が平伏す強さを得て尚、日々、研鑽を続けていた。
「お見事!」
「いえ、まだまだです」
オモトが嬉しげに声を上げ、カラタチは苦笑して謙遜する。
そんな親子の遣り取りを見ながら、ウカノは柔らかな笑みを浮かべる。
(カラタチ、立派になりましたね)
父譲りの才覚と、母譲りの生真面目さによる弛まぬ努力。カラタチは剣の技量においては、
(それに、あの子も)
空へと吸い上げられていく魔素溜まりに目を遣り、ウカノはクスリと苦笑する。シラセに就く者特有の広範囲探知が、背後の森の中にいる、もう一人の息子の姿を捉えていた。かつてコタロウと呼ばれていた孤児。リンドウである。
リンドウは木陰から三人が魔素溜まりを処理する様子を眺めていた。そして一連の流れを目に焼きつけると【影転移】を使い、オモト邸の庭、桜の木の下へと移る。
(オトンの笛の
顎に手を遣って玄関に入る。リンドウはマモリ見習いだが、道着も袴も着なかった。オモトと同じ着流し姿で過ごしている。これはオモトに対する憧れや単に楽だからという理由もあるが、五つ下の妹、スズランの為にしていることだった。
リンドウは敢えて不真面目を装うことでスズランを立てていたのである。もっとも、そんなことはオモトたちもとっくに気づいているのだが。
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