第7話 神職の過去(1)
四十年前――。
アルネスの街にあるイノリノミヤ神社に神職の夫婦が住んでいた。
夫の名はオモトといった。
マモリの役割を担う金髪の狐人で、線が細く術に長けた狐人には珍しく、筋骨逞しい武に長けた男だった。性格は奔放で、煙管片手に着流し姿で街を歩き、誰とでも気安く接する、およそ神職に就いている者とは思えない変わり者だった。
妻の名はウカノといった。
シラセの役割を担う銀髪の狐人で、美人揃いと言われる狐人の中でも取り分け見目麗しく、オモトには勿体ないという声が山のように上がるほどの美女だった。性格は穏やかで生真面目。こちらも信徒と目線を同じくする変わり者だった。
そんな二人の間に幸せが訪れたのは、よく晴れた秋の朝のことだった。ウカノが男児を産んだのである。オモトと同じ毛色で、大きな声で泣く子だった。
「おぉ、笑ったぞ」
「えぇ、ふふふ、あなたの顔が面白いのかしら」
「そうなのか? 父の顔は面白いか? そうか、そうか」
虫笑いに過ぎなかったが、そんなことはどうでも良かった。ウカノに抱かれた我が子の笑みに、オモトは胸をいっぱいにした。涙もろい男だった。
さて、イノリノミヤ神教では、マモリとなる者には花の名を付けるという決まりがある。仮にマモリになる道を選ばずとも、途中で名を変える手間を考えれば花の名を付けておくのが無難というのが神職に就く者の考え方だった。
二人もそういう考えの持ち主だったので、息子に花の名を与えた。
カラタチ。そう名付けられた息子は、二人の愛情を一身に受けてすくすくと育った。
それから十二年の歳月が流れ、ウカノはまた出産のときを迎えていた。
産婆を務めるのは、他家のシラセである狐人のイナリ。金髪のそばかす美人で、夫であるマモリのツバキと息子のツツジと共にオモト邸へと訪れていた。割烹着姿で、額に汗を浮かべるウカノの腰を親身になって
その外では……。
桜が八分咲きになった神社の境内。いや、神社風の邸宅前で、オモトはツバキと並んで立ち、息子たちの手合わせを眺めていた。
木剣を手に、道着に袴姿で打ち合うカラタチとツツジ。術の使用も認められている為、ツツジは【風刃】を織り交ぜてカラタチを攻める。だが、カラタチは難なく躱して踏み込み木剣で突きを放つ。ツツジは慌てて飛び退き、体勢を整える。
やぁっ、たぁっ、と気迫の声を上げて二人は打ち合う。体格も実力もカラタチが上だが、ツツジは負けん気を見せて食らいついていた。
踏み込みが重なり、鍔迫り合いになった。
ツツジは母譲りのそばかす顔を真っ赤にし、父譲りの銀髪を振り乱して踏ん張る。カラタチはツツジのそういうところを好ましく思っていた。だからこそ手抜きはしない。
すっと力を逸して、前のめりになったツツジの胴へ木剣を横薙ぎに振る。が、ツツジはそれを打ち払い前宙で跳び越えた。
ツツジは素早く振り返って後方へ退く。また両者は距離を取って対峙した。
「おお、ツツジもやるようになったな」
「カラタチには敵わん。せめてウカノ殿に似ておればまだ可愛げがあったろうに、どうしてまた、お前に似たのか」
ツバキは肩を落として溜め息を溢す。小袖、羽織に袴姿の大小二本差し。線が細く色の白い狐人。その心中では、かつてのオモトと自分の姿が思い起こされていた。
(息子の代で笑ってやろうと思ってたんだがなぁ……)
オモトとツバキは同い年で、息子の歳もまた同じ。
ツバキの目に映るカラタチの姿は、手合わせで一度も勝ったことのないオモトの幼少期そのもの。或いは、それ以上に技が冴えて見えていた。
そして我が子であるツツジは、幼い頃の自分とそっくり。参りましたと声を上げる折まで同じ。ここまでくると、目を覆わざるを得なかった。
そんな父の姿を見たツツジは、への字口になり俯いた。父を落胆させてしまったと思い、悔しさに涙ぐむ。その姿を見たオモトがツバキを肘で小突いて知らせる。
「おい、ツツジを見てやらんか」
「え? ああっ、すまーん! ツツジ、違うんだ! パパはな、お前が昔のパパとそっくりだから不憫でな! ごめんな、パパがオモトの馬鹿より強かったら、お前にこんな思いをさせなくて良かったのにな! ごめんな! 本当にごめんなぁ!」
ツバキがツツジに駆け寄って抱きしめ、頬ずりしながら必死に弁解しているのを目にしたオモトとカラタチは顔を見合わせて苦笑した。見慣れたいつもの光景である。
産声が上がったのは、それから間もなくのことだった。
「ああっ、産まれた! 産まれたぞ、オモト! おめでとう!」
「ああ、ありがとう!」
「オモト様、おめでとうございます。カラタチも、良かったな」
「うん、ありがとう、ツツジ。父上、どっちですかね?」
「女の子だ! ツツジの嫁に貰うからな!」
「気が早い。それになんでお前が答えるんだ。カラタチ、弟でも妹でも可愛がるんだぞ。お前が守ってやるんだ。兄貴になるんだからな」
産婆を務めていたイナリが「産まれましたよ」と声を掛けに来る。ただ何やら慌しい。手早く割烹着を剥ぎ取り、下駄を履く。
イナリもまたシラセの役割を担っている。故に、その様子からオモトとカラタチは察していた。魔素溜まりが出たのだと。
「オモトさん、可愛い女の子ですよ!」
「やったなツツジ! 許嫁ができたぞ!」
「あなた! 馬鹿なこと言ってないで行くわよ! 魔素溜まりよ!」
その場にいた全員の顔が引き締まる。オモトとツバキ、イナリの三人が集う。
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