第6話 アープの何気ない転倒



 アルネスの街の冒険者ギルドは広い。出入口から受付までかなりの距離がある。壁に備え付けてある依頼掲示板も一つや二つではなく、ずらりと並んでいる。


 そしてその六割がアイアン階級までの低ランク依頼で、役所経由のものだったりする。これは領主のエドワード・マクレーンの手腕によるものだ。


 一般事業に冒険者を利用することでどちらにもメリットがある仕組みを作っているのである。


 例えば新米冒険者は力仕事を低ランク依頼として受注することで体を鍛えることができ、報酬を得た上で昇級条件を満たすことができる。


 また怪我や加齢などで冒険者としての限界を感じ、引退を考える者は、それまでに培った能力を活かし、事業主との相談後にそのまま就職することができたりもする。


 つまるところ職業安定所の役割も果たしている訳だが、それゆえに時間帯によっては人だかりが凄い訳で、デネブに連れられてやって来たアープはあまりの人の多さに目を回していた。いや、臭気にと言うべきか。


「だから言ったのに……」


 デネブは肩を落として溜め息をく。冒険者ギルド内は荒くれが集まる。風呂どころか清拭すらまともにしていない者たちが多く集うこともあるのだ。


 そのスパイスィーな臭気はにおいに敏感な鼻を持つ狼人には酷。デネブも慣れるまでは随分とかかった。


「こ、ここまでとはー、思ってなかったのでー」


「確かに今日は酷いな。外で待ってても良いんだぞ?」


「い、いえー! アチシも登録するんですー!」


 アープは鼻を摘まんで受付へと小走りで向かった。デネブはやれやれと肩をすくめてそのあとをゆっくりと追う。


 貸衣装の返却をするついでに冒険者ギルドで依頼を受けてくる。それをアープに伝えたばっかりにこんな事態になってしまった。


 だが妹の成長に繋がるのであればと連れてきた訳だが、デネブは早計だったかもしれないと今更ながらに思っていた。


 何故なぜなら、受付に向かう途中でアープが派手に転んだからだ。誰かに足を引っかけられたとかではない。何もないところで「あっ」と呟いて前のめりに転倒し、そのままパンツを丸出しにして「わぎゃああ!」と前転を繰り返した。


 それだけならまだしも、受付に並ぶ列の最後尾に立っていた獅子人と見紛みまがう風貌の大柄な猫人、オライアスの膝に意図せずタックルをかましてしまったのである。


 オライアスは急な関節への攻撃で膝が曲がって前のめりになり「うわあああっ!」と叫びつつ手を伸ばしてバランスを取ろうとした。


 オライアスの前には姉のミリーが立っていた。獅子人の先祖返りである弟のオライアスと違い、ただの小柄な十二歳の猫人である。


 オライアスが伸ばした手はミリーのズボンをしっかりと掴み、転倒の勢いそのままに引き摺り下ろした。


 ベルトはしっかりしていたが、十歳とはいえ軽々と大剣を振り回すオライアスの力と体重は支えきれなかった。


 ミリーのズボンはすぽーんと脱げ落ち、可愛らしい猫の顔と『にゃーん』という吹き出しの描かれたパンツが衆目に晒された。


 だがそこで話は終わらなかった。ずり落ちたズボンで、ミリーもまたバランスを崩したのである。


「きゃああああ!」


 前のめりになったミリーは目の前に立っていたパーティーメンバーで半虎人の少年、トロアの背中を突き飛ばした。


 押されたトロアは「うわわわっ!」と声を上げ、更に目の前に立っていた熟練冒険者である兄のナッシュの背中を押した。


「うおっ」


「何のさわ――」


 ナッシュの前にはコンビを組んでいる褐色白髪の兎人の女性、クロエがいた。折り悪く、クロエは騒ぎが気になって振り返っていた。


 押されたナッシュの顔がクロエの顔に近づいた。ナッシュは慌てて膝に力を込めてとどまろうとしたが、それが丁度良い具合に柔らかいタッチで唇を重ねることに繋がった。


「何するんだいっ!」


「あぶぁしっ!」


 赤面したクロエから猛烈なビンタを食らわされ、ナッシュが回転しながら横に吹っ飛ぶ。


 そこにたまたまイノリノミヤ神教の神職の狐人、リンドウが煙管片手に普段通りの着流し姿で通りがかった。


 その傍らには神職見習い、隻眼のエルフの女性、スミレがいた。こちらもまた普段通りの剣道着に似た和装でリンドウの供をしていた。


 ナッシュは回転を繰り返しながらその二人の元へと確実に近づいていたのだが、流石リンドウというべきか、飛んでくるナッシュを素早く察知し「む!」と一言。長身を活かした力強い動きで射線にいるスミレの肩を押して危機から遠ざけた。


 スミレは唐突に押されたことで「きゃあっ」とバランスを崩してよろめいた。三十歳とはいえ見た目は十五歳の少女。リンドウは軽く押したつもりだが耐えきれなかった。


 スミレがよろめいて倒れ込みかけた先には冒険者ギルドマスターの大柄な半熊人、ジオが立っていた。


 ジオはスミレを「おっと危ねぇ」とニメートルを超える筋骨隆々とした体躯で受け止めたが手の位置がよろしくなかった。大きな手がしっかりとスミレの胸を覆い、受け止める際に無意識に数回揉んでいたのである。


「何するんですかっ!」


「うぐおはっ!」


 スミレがビンタを食らわそうとしたが、それより先にジオは吹き飛んでいた。ジオの隣には狂気に囚われたミチルがいたのである。


 ミチルはジオに向かって振り抜いた拳をだらりとぶらさげると「ふ、ふふふ」と、誰もが寒気立つような笑い声を上げ、ふしゅー、と口から蒸気のようなものを吐き出しながら、猫背のガニ股でギルドの奥へと姿を消した。


 ミチルの変貌を目にした者は皆青褪あおざめ、ギルド内は静寂に包まれた。


「デネブ兄様ー。アチシ、なんだかとんでもないところに来た気がするんですがー……」


「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ……」


 アープはひっくり返ったままでデネブを見上げて言った。丸出しになっていたパンツは、デネブが【異空収納】から取り出した膝掛けで優しく覆い隠された。


 色々とおかしなことが起きたが、この後、アープは無事に冒険者登録を済ませ、イノリノミヤ神社で光属性を得てから二人の兄と共にアルネスダンジョンのある宿場町へと旅立った。






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