第2話 アープの嫁入り(2)
「こ、こんな立派なお
「はい、そうですよ。ユーゴさんからそのようにお願いされていますから」
「ユーゴ殿……! なんと、なんとお礼を……!」
「わふっ! 旦那様ー! 大好きですー!」
デネブが手で目元を覆って上を向いている間に、アープは目を輝かせて辻馬車の扉を開けて飛び出した。だが、ミチルが素早くスカートの裾を踏んづけたので、アープは前のめりになって「あぶはっ」と声を上げて辻馬車から転がり落ちた。
「アープちゃん、落ち着いてって言ったでしょう?」
アープは黙って起き上がり、こくんと頷いて婚礼用衣装についた土を払った。払ったところでもうどうしようもない程に汚れているのだが、それは恐怖を紛らわす為に必要な動作だった。
ミチルの優しい声とは裏腹の凶悪な気配を背後に感じ、怖くてどうしようもなかったのである。それはデネブも同じだったようで、体の震えを抑えることができなかった。
ミチルが辻馬車から降りて先導し、デネブがその後に続く。アープはビクビクしながらもおとなしく最後尾を歩いた。街に入ってから事あるごとにぶんぶん振り回されていた青い尻尾は、今や見る影もなく
生垣に備え付けられた木製の門は開いていた。三人がそこを越えると、家の扉が軽い軋みを上げてゆっくりと開いた。そして、赤い長髪の狼人、ローガが伏し目がちの仏頂面で「お、おう」と気まずそうに出迎えた。
顔立ちも上背のある体格もデネブとほとんど同じと言って構わない程に似ているが、目つきが悪く、着ているタンクトップとカーゴパンツも小汚い。
露出した肌には傷跡が無数にあり、
「ローガ!」
「お、おい! なんだよ!」
「良かった! 本当に良かった!」
デネブはローガに抱き着いた。そして泣いた。ローガは驚いた様子だったが拒絶せず「しょうがねぇ兄貴だな、本当によ」と眉を下げて微笑んだ。
ミチルは兄弟二人の熱い抱擁を微笑んで見ていたが、ちらりとアープを見て小首を捻った。暗い顔をしていたからだ。
アープがそんな顔をしていたのは、どうして良いか分からなかったからだった。これまで共に育ち、親の代わりに自分を守り、面倒を見てくれていたデネブから、苦難の道を歩んだもう一人の兄の話は聞いていた。
その兄が、赤ん坊の頃に殺されかけた自分を救ってくれたということも知っている。だが、だからこそどう接して良いのか分からなかった。
というのも、ローガが人生の大半を苦しんで過ごすことになったのはアープを救ったことが原因だったからだ。そしてその苦しみはきっと今でも続いている。忘れたくても忘れることなどできはしない。人はそんなに都合よくできてはいないのだから。
アープはそんな風に思っていた。それでローガとどんな顔をして会えば良いのか分からなかったのである。
生まれ育ったユオ族の集落にいた頃からずっとそれを考えていたが、答えは出なかった。答えが出ないから、アープはいつも途中で考えることを止めてしまっていた。
それがそのうちすっかり忘れてしまって、今になって思い出してどうしようと思っていた。アープとはそういう少女なのだが、決して馬鹿ではない。ただ単に浅はかで忘れっぽいだけで、それはローガとはまた違った苦痛の中に身を置いていたからこそ体に染みついてしまったものなのだ。多分。
だが――。
「おい、アープ。何してんだよ。ほら、お前も来いよ」
ローガは笑って手を差し伸べた。アープは呆気にとられたが、無性に嬉しくなって視界を滲ませた。への字口を作って、尻尾をぶんぶん振り回した。
アープは恨まれていると思っていたが、ローガは一切そんなことは考えていなかった。ただ、大きくなったアープを見て喜んでいた。ろくでもないことをしてきた自分が唯一誇れる『救った命』。アープの存在があったからこそ、ローガは自分を繋ぎ止めておけたと思っていた。アープはローガにとっての救いだったのだ。
「わ、わふっ、ローガ兄様ー! 会いたかったですー!」
「ハハッ、そうか! 俺もだ! 大きくなったなー!」
駆け寄るアープを二人の兄が迎え入れる。三兄妹の幸せそうな光景を見て、ミチルは満足そうに頷くと、門の側にある郵便受けに貸衣装の請求書を入れて辻馬車と共に去っていった。こうして田舎者三兄妹の新生活は多額の借金から始まるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます