Earp yuo sea〜Casual daily life〜

月城 亜希人

第1話 アープの嫁入り(1)




 初秋の穏やかな陽射ひざしに海がきらめく。遠く水平線の向こうでは真っ白な雲が立ち、海上では数羽の海鳥が風に流され鳴いている。


 そんな有り触れた昼時——。


 メリせーナ大陸西南端の街アルネス。巨大な防壁に囲まれた海にほど近いその街の門から、大勢の冒険者や出店で賑わう街の中心へ向かい辻馬車が勢い良く駆けていく。


 それもまた極々ごくごく有り触れた光景なのだが、今日は辻馬車の様子がどこかおかしい。何故なぜか扉が開いている。そしてやたらと騒がしい。


「こら! アープ! お座り! 危ないから!」


「デネブ兄様ー! 見てくださいー! 凄いのですー! あ――」


 純白の婚礼用衣装をまとった狼人の少女、アープが開いた扉から転がり落ちた。豊満な胸と尻を弾ませながら「あばばばばーっ」という奇声を上げて土の道をゴロゴロと勢いよく転がっていく。


 まだ街外れから田畑広がる郊外に差し掛かったところとはいえ、それでも大通り。舗装ほそうはされていないが、整地が成されている為に中々回転が止まらない。お陰で折角せっかく用意してもらった衣装と長くつややかな青髪が見る間に汚れて台無しになる。


 道行く冒険者たちが何事かと足を止めて見つめる中、馬をいななかせて急停止した辻馬車から背広姿の狼人の青年、デネブが飛び出し、短く切り揃えられた淡い青髪を風に揺らしてアープに駆け寄っていく。


「言わんこっちゃない! どうするんだ⁉ それ借り物だぞ⁉」


「わふー、デネブ兄様ー、そこは『大丈夫か?』って心配から始めるのが正しい兄妹の形ですよー?」


 御者台から伺うようにして見ている赤の他人(山高帽を被り背広を着た中年の御者)ですら心配そうにしている中で、デネブはまったくそんな様子を見せない。もういい加減にしてくれと言いたげな顔で溜め息をいて肩を落とす。


 そんな二人の兄妹の元へ、辻馬車から降りてきた人族の若い女性、ミチルが歩み寄ってくる。短い黒髪で、小柄で華奢きゃしゃ。整った顔立ちで、笑顔が素敵だと冒険者たちから大人気の、この街の冒険者ギルドが誇る狂気のサブマスターである。


 ミチルはギルド職員の証とも言える、大きな襟付きの制服にかかった埃を軽く手で払いけてから、アープに苦笑を浮かべた顔を向ける。


「大丈夫ですか?」


「ほらー、デネブ兄様ー。ミチルさんを見習ってくださいー」


「お前こそ『大丈夫です。ありがとうございます』から言わないと駄目だろう。すいません、ミチルさん、アープは世間知らずなもので」


 頭を下げるデネブに、ミチルは「いえいえ」と体の前に小さく出した両手を軽く振りながら、恐縮した様子でかぶりを振る。


「興奮しちゃったんですよ。仕方ありません。取りえず、辻馬車に戻りましょう。アープちゃんも、もうちょっとおとなしくしてね」


「わ、わふ」


 ミチルから殺気のようなものがほとばしり、アープは毛を逆立てて犬のような返事をする。側にいるデネブどころか御者とたまたま通りがかった(まるで似ていない猫人の姉弟)冒険者二人までもが冷や汗を掻くほどの重圧を感じて息を飲んでいた。


 三人が辻馬車に戻り、扉を閉めると、御者が手慣れた様子で栗毛の馬に向かって軽く鞭を振るった。


 パシーンという鞭の音を合図に、カラカラゴトゴトという車輪の音と、パカパカと馬の蹄が地を鳴らす音が車内に響く。


 石造りの建築物の建ち並ぶ繁華街と雑踏、住宅街、あばら家の並ぶ貧民街スラム、そして田畑の順に窓から見える景色が変わり、やがて辻馬車は入ってきた門とは逆方向の外壁近くの街外れへと差し掛かった。


 おのぼりさんな兄妹が何処どこまで行くのかと流石に不安になり始めた頃、御者の目にはぽつんと建つ一軒の家が映っていた。


 間もなく馬がいなないて、辻馬車はその家の前で止まった。


「はい、ここが皆さんの住む家ですよ」


 ミチルがにこやかに笑んで言った。青々とした生垣に囲まれた、こじんまりとした木造の洋風建築。


 青い塗装がところどころ剥げていて年季を感じさせるが、ミチルの注文によって既に内装リフォームは済んでいる。外装は急な脅しのような注文だった為に建築業者が泡を吹いて倒れてしまい間に合わなかったというだけだ。


 庭とテラス付きで、このアルネスの街の中流層では一般的なものだが、これまで遊牧生活を営んでいたアープとデネブは感動した。


 生まれてから今に至るまで、術でこしらえた簡素で無機質な石造りの家にしか住んだことがなかったのだから、そうなっても仕方がないと言えるだろう。

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