第14章 今日は1人……
8月の猛烈な暑気に見舞われ、正午過ぎに目が覚める。
部屋の窓から吹き抜けてくる熱風に少しばかりの不快感を感じながらベッドから体を起こす。
スマホを確認すると椿からのLINEの通知が目に入る。つい最近までスマホを滅多に使わなかった俺が朝起きてからすぐに確認するようになるなんて何だか不思議だ。
「今日は夏服を買いに行きます!」
椿からのメッセージにOKというスタンプを送り、さっさと支度をすることにした。
ふわぁと軽く欠伸をしながら階段を降り、洗面所へと向かう。ドアの閉まったリビングからは碧の笑い声が聞こえた。
YouTubeでも見ているのだろうか。
夏休みだっていうのに早起きなだな。まぁ、もう昼なんだけど。
リビングには入らずに洗面所で顔を洗い、歯を磨き、髪の毛を整える。
洗面所での用を終えたら一旦自室に戻り、服を着替える。今日はトップスに白と黒のボーダーのTシャツ、パンツはグレーのワイドデニムを履くことにした。もちろん以前、碧に選んでもらった服だ。
そして俺の用意が終わったところでいつもなら椿から時間と場所の連絡が来るはずだが今日はまだ来ていない。
喉も乾いたし、リビングで時間を潰すことにしよう。
「え……」
リビングのドアを開けた俺は目の前の衝撃的な光景に頭が真っ白になった。
「おはよう、伊澄」
「椿さん来てるよ」
なんで家に椿がいる?
「えっと、なんで?」
「椿さんとLINEしてたら伊澄と遊びに行くっていうから、起きてくるまで家で時間潰しませんかって話になった」
「さいですか……」
いつの間にライン交換していたんだか……
「伊澄、今日の服装いい感じだね!」
「そ、そうかな」
椿の言葉を受けてニヤリと笑う碧が目に入った。
俺を立てて何も言わないところが本当にできた妹だと思う。今度何か奢ってあげよう。
「そろそろ行こう」
「そうだね、碧ちゃんも来る?」
「今日はこれから友達と会うのでまた今度行きましょう!」
「りょーかい!」
仲良くなるの早すぎない?
女の子ってこれが普通なのか?
「碧ちゃん、本当にいい子だよね」
「んー、まぁね」
外に出てすぐに椿がそう呟いた。
どんな話をしていたのか正直気にはなるが聞くのは野暮な感じがしてやめた。
しばらく歩いて俺たちは目的地であるショッピングモールに着いた。以前、椿と本を買いに来た場所でもある。
しかし、今日の目当ては本ではなく服だ。ここのショッピングモール内には椿がよく行くというショップが入っているらしい。
建物内は6階建ての構造で衣類はもちろん、映画やスーパーも揃っていて、ここだけで生活が完結できると思う。
さっそく俺たちはレディースのショップが並ぶ3階へと向かうことにした。
「伊澄、あそこのお店!」
椿がそう言って指を刺したのはEMODAというショップだった。
もちろん聞いたことはない。
店内に入り、ざっと見てみた感じではモノトーンで大人っぽく格好良い印象だ。
「可愛い系と綺麗系だとどっちが好き?」
「椿ならどっちの系統でも似合いそうだけど」
「そうじゃなくて、伊澄の好みは?」
「綺麗系……」
「ふーん」
ニヤリと悪戯に笑う彼女を見て恥ずかしさが湧き上がってきた。
店内をひと通り見たところで椿はトップスとパンツを1着ずつ持って来た。
「これ試着するから感想教えて」
「え、俺の感想いる?」
有無を言わさず椿は颯爽と試着室へと入って行った。
レディースのショップの店内に1人残されるのは、当然ながらそわそわして居心地が良くない。
感情を無にして待っていると試着室から椿が着替えている衣擦れ音が聞こえ、悪いことをしている気分になる。それでも少しドキドキしている自分が馬鹿らしい。
「どうかな?」
試着室のカーテンが開き、着替え終わった椿が俺の目に映る。
ブラウンのオフショルダーのトップスに同じブラウンのワイドパンツで合わせたセットアップを着た椿は大人っぽくてとても綺麗だった。
「似合ってると思うよ」
「綺麗系が好きなんだもんね?」
またしてもニヤリと揶揄ってくる椿はやっぱり妖艶だった。肩が露出されていることもあり、俺の鼓動は一層激しい音を鳴らす。
会計を済ませ、ショッピングバッグを手に持った椿が次の目的地を言う。
「次はMOUSSYでバッグ買う!」
マウ……なんて?
次のショップも無論知らない名前だ。
MOUSSYというショップに着いてすぐに椿はお目当てのバッグを手に取った。すでに買うことが決定しているバッグを片手に店内を巡る。
デニムが多く置いてあり、先程行ったショップよりもカジュアルな雰囲気だ。お客さんも多数いて、人気なのが一目でわかる。
20分程店内を見て回ったが、今回はバッグだけを購入することにしたらしい。
「次はどこ行くの?」
「HUFに行こうかな」
「ん! 碧から聞いたことある」
「さすが碧ちゃんだね」
知らない店名が来ると思って聞いたのにまさか聞き覚えのある名前だった。
実際にどんなショップなのかは知らないが、おしゃれな2人が好きなブランドということで気になる。
碧が好きなブランドということで何となく予想はしていたがHUFはストリートブランドのようでフロアを3階から4階に移動する必要があるようだ。
4階に上がってみるとフロア全体の年齢層が若くなったのが一目でわかった。そして碧のようにストリート系のファッションをしている人で溢れている。
周囲を見渡してみるとSTUSSY、Carharttといった俺でも聞いたことのある有名なショップが目に入った。
「こっちこっち」
こんなにも広い施設を迷う様子なんて微塵も見せずに目的地まで脚を運べることに驚きを隠せなかった。
そして、いとも簡単に店内までたどり着くと椿の脚は商品棚の前で止まった。
「んー、どっちがいいんだろ」
黒のキャップと同じく黒のバケットハットで悩んでいるようだ。
どちらもさすがと言わんばかりに似合っている。それでも個人的にはバケットハットの方がいい気がするが、おしゃれ初心者の俺の意見なんていらないだろう。
そう思っていた矢先に椿は問いかける。
「伊澄はどっちがいいと思う?」
バケットハットと答えると、悩んでいたことが嘘だったかのように「じゃあこれにする!」と言いながら何故か嬉しそうにしている。
二択で外さなかったことに俺は密かにホッと胸を撫で下ろした。
それから3店舗で買い物をして椿と俺の両手はショッピングバッグで塞がっていた。時間も18時とそれなりの時間になっていたので帰路につくことにした。
俺の両手にある物も当然椿の購入品だ。
つまり……家まで送ることになる、はず。
無論、家の中にお邪魔する気は毛頭ないが少し緊張してしまう。
椿の家に向かってから40分ほど経った頃だろうか。
辺りにはすっかり住宅街が広がっていた。ここでは先程までの大きなショッピングモールなどの商業施設の影すら見られない。
「やっと着いたよ」
目の前には立派なマンションが建っている。
おそらくこのマンションの一室が椿の家なのだろう。
入り口は自動ドア、それに続いてオートロックのドアで厳重なセキュリティであることは一目瞭然だった。
こんな設備を見てしまうと家の前まで持って行くなんて言えない。
「ここまでで大丈夫そう?」
そんな曖昧な言葉を椿に問いかける。
俺の問いに対して椿は衝撃の一言を突き刺す。
「上がらないの?」
「へ?」
「今日付き合ってもらったお礼にお茶でも飲んでいきなよ」
「いや、でも……」
もう時刻は19時になろうとしている。
そんな時間にお邪魔するのは気が引ける。何より、椿の両親にどう挨拶したらいいんだ?
いや、彼氏でもないのに挨拶っていうのもどうなんだ?
とにかく今日のところは家の前まで荷物を持って行ってすぐに帰ろう。
「今日、親いないから大丈夫だよ」
「……」
なんだそのラブコメ的展開は……
だがしかし、そういう問題でもないのだ。
「もしかして変なこと考えてるのかな?」
「んなわけ!」
今日は何回揶揄われるのだろうか……
言うまでもなく、椿は悪戯な笑みを浮かべている。
「それなら上がれるよね」
そんな強引なやり方に抗えなかった俺はけっきょく椿の家にお邪魔することになった。
自分の弱さが嘆かわしい。
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