第13章 人工知能②

 午前11時、目が覚めたは昨日のことを思い返し、高校最後の学園祭が終わったことを実感する。

 クラスメイトの桜や美雪、咲と「楽しみだね」なんて会話していたことが遥か昔のように感じる。

 余韻なんてものは無く、スポッとあっさり思い出という名のパズルにはまってしまったようで少し寂しい。


 「人工知能っていう名前で活動してて結構人気だったんですよ」


 ふと昨日の碧ちゃんが言っていたことを脳裏にチラつく。

 人工知能が人気だったことは知っている。なんたって私が本を読むようになったきっかけであり、最も好きな作家だ。新作だって何年も待っている。

 その正体が伊澄……?

 聞いた瞬間、頭の中が真っ白になり何を言っているのか理解できなかった。


 そういえば伊澄の前で人工知能の話をしたことがあった気がする。たしか、ショッピングモール内にある書店に向かっている時だ。

 あの日の伊澄はどんな表情だったかな。

 あ、そういえば私、「人工知能は長髪の眼鏡かけたおじさんだと思う」とか言ってなかったっけ? そんなこと言われたら打ち明けれるわけないか。

 やっちゃった……

 次に会ったら謝らないとな。

 それと、もし本当に伊澄が人工知能ならサインとか貰えたらな……なんてね。

 

 そして月曜日の放課後。

 どうして今日に限ってホームルームが長引くのだろうか。

 とりあえず私は早歩きで校門の前まで向かう。

 伊澄はもう待ってるのかな。


 外に出るとじめじめと湿り気のある空気が夏休み目前だということを知らせてくれる。

 この空気感に不快感を持つ人もいるみたいだけど、私は夏の期待感で高揚した気分になる。


 ——ほら、やっぱりいた。


 今日の伊澄は何か考え事をしている顔だ。

 そんなこと思いながらクスッと笑って、彼の方へと脚を運ぶ。


 「おまたせ」


 ——ドクドク


 伊澄があの人工知能だと思うと何だか緊張してきた。

 一歩また一歩と伊澄の隣に近づく度に鼓動が大きくなるのがわかる。

 やばい、顔見れない……

 でも言わないと……!


 「サインちょうだい」


 よし! 言えた!

 予定だと先に謝るはずだったけどまぁいいか。


 「え?」


 伊澄は驚いたように口をぽかんと開けて呆気に取られる。

 私が正体を知ってしまったことを碧ちゃんから聞いていなかったなら当たり前の反応だと思う。


 「ごめん、実は碧ちゃんに聞いちゃった。伊澄がその……」

 「あははっ——」

 「え? なに? どうしたの?」


 伊澄はらしくもなくお腹を押さえ、声を上げて笑った。

 私には何がなんだかわからなかったけど、こんなふうにケラケラと笑う伊澄はなんだか新鮮で、それにつられて私も笑った。


 少し落ち着いてから淑やかな様子で伊澄は口を開いた。

 

 「でもサインなんてないよ」

 「そうなの? でもたしかに見たことないかも」

 「それに、もう書かないと思うし」

 「そう、なんだ……」


 伊澄にもう書く気がないことはなんとなくわかってはいた。残念だけど仕方ない。

 そして何か事情があるんだろうけど、これ以上は踏み込んではいけない気がした。


 「ねぇ、聞いてもいい? 人工知能のこと」

 「うん」


 歩きながら私は伊澄に、ではなく人工知能に気になっていたことを次々に質問した。

 もちろんパンドラの箱を避けながら。


 「なんで人工知能って名前にしたの?」

 「んー、俺のイニシャルがAIだから?」

 「なんで疑問系?」

 

 私たちは顔を見合わせてプッと笑った。

 思っていた以上に単純な理由で伊澄も心なしか恥ずかしそうな表情をしていて、笑いの壺にはまる。


 「本物は人生経験の浅い高校生だったね」


 そう言って悪戯な表情で笑う伊澄がいつもよりも大人っぽく見え、私の視線が奪われる。


 「あの時、どう思って聞いてたの?」

 「小説の内容でそこまで偏見もてるのは天才だと思ってた」

 「あ、バカにしてるでしょ」


 私たちは再び顔を見合わせてくすくすと笑い合う。

 そういえば私はに言いたいことがあるんだった。


 「人魚姫、すごい面白かったよ」

 「そっか、それはよかった」


 ロミジュリや美女と野獣じゃない演劇が見たいという私の発言で考えてくれたんだろう。

 本当に面白かったし、些細なひと言を拾ってくれて嬉しかった。


 「そういえば来週から夏休みだね」

 「そうらしいね」

 「何か予定あるの?」

 「親の実家に顔出しに行くらしいけど他には特にないよ」

 「そっか」


 夏は感情が動き出す季節だと思う。

 随分と待たせてしまった青い春を迎えに行く。


 「夏休みどこ行こっか?」

 「えっと……?」

 「夏休みの間、私に会わないつもり?」


 素直に「会いたい」なんて言えないから私は遠回りをして君との距離を縮めようと思う。


 「花火大会……行く? もしよかったらだけど」

 

 え? まさか伊澄から花火大会に誘われるなんて……

 嬉しい。嬉しすぎて頭が真っ白になる。心臓が高鳴り、頬は緩む。

 

 「行く!」


 きっと今、私の顔は黄色満面なんだろうな。

 身体中に感じるこの熱さは夏のせいなのか、それとも私の中にある期待や緊張、少しの不安なんかがそうさせているのだろうか。

 どちらにせよ、夏に飛び込むことができた。

 青い春がここから始まる。

 

 



 

 

 


 

 




 



 

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