第10章 冥土の土産
夢を見ていた。
教室に一人ぼっちの俺。正確にはクラスメイトはいるが、誰も俺の存在には気づかない。
まるでつい最近までの自分を見ているようだった。
後味の悪い夢ほど忘れられない。
慣れ親しんだあの日常は、もう戻りたくない過去へと上書きされている。
そう思えるのは、あの日に春風が吹いたからだろうか。
学園祭当日の朝は何か空気が違う、そんな気がした。
目が覚めた瞬間から頭には今日までの準備期間の日々がプレイバックされ、この日々が名残惜しくなる。
吸い込む空気は普段よりもどこか温かい。
——そわそわ、ざわざわ。
なぜか感情が落ち着かないが、それが心地良くもある。
去年の無味無臭だった記憶がそう思わせているのかもしれない。
午前10時。
俺たちの学園祭が始まった。
10時から13時の3時間を午前の部、1時間の休憩を挟み14時から16時を午後の部と設定されている。午前と午後で仕事をする人と自由時間の人に分けられている。
そして演劇の公演は各々2回ずつある。
2日間とも午後に自由時間をもらっている俺は絶賛仕事中だった。
仕事といっても、裏方の手伝いをするくらいだ。これも脚本を書いた役得と言ったところだろう。
無事に2回の公演を成功させ、少し休憩をとった14時過ぎ。
自由時間となった俺の隣には日向がいた。
どうにも俺と一緒に椿のメイド服を見るという魂胆らしい。
まぁ、正直なところ俺も1人だと気が引けるからありがたい。そして何よりも見たい。
「椿さん、午後なんだよな?」
「そうらしいけど」
「マジで楽しみだな!」
「「……え?」」
そんなやりとりをしていた俺たちは、目の前にある長蛇の列を見て唖然とした。
もしかしてこれ……
「多分みんな椿さん目当てだな」
「やっぱりそうなの?」
改めて椿が人気者だと気付かされる。
並んでいる人たちの会話が耳に入ってくるが、内容は全て椿のことだった。
男子はもちろん、女子にもモテるって本当にすごいことだと思う。
自分の恋敵になり得る人がこんなにもいるのに、なぜか頬が緩まる。
——自分の好きな人が人気者で嬉しい。
分不相応な言葉が頭によぎる。
——椿を好きになれて嬉しい。
こっちの方がしっくりくると思い、変換することにした。
「どうぞー」
案内の人に促されて俺と日向はようやくメイド喫茶に入場し、空いた席に座ることができた。
教室内もたくさんの人で溢れていた。
そしてお客さんの視線は一箇所に集まっていた。当然、俺の視線も惹きつけられているかのように自然と動いていた。
「やっばい……」
「うん……」
日向も同じように椿の引力に惹きつけられていた。
黒のワンピースに白い襟とカフス、エプロンにフリルを付けた一般的なメイド服を着た椿は物語の世界から飛び出して来たかのような華やかさがあった。
「伊澄!」
椿が気付き、名前を呼びながら駆け寄ってくるが俺は見惚れて口を開くことができなかった。
「どう? 似合ってる?」
「すごく似合ってるよ」
「ありがと!」
そう言って椿は一歩踏み出し、俺の耳元で囁く。
「見惚れちゃったりして?」
「……ばかか」
その姿で揶揄うのは是非ともやめていただきたい。
そしてニヤリとした悪戯な笑みが一段と綺麗で美しかった。
「で、何にする?」
「うーん、オレンジジュース」
「クレープは?」
「じゃあ、クレープも」
「了解!」
注文を終えた俺は、迎えに座っている日向を見た。
並んでいるときはあんなにはしゃいでいたのに、驚くほどに静かだ。
「日向?」
「やばい、直視できない」
「……」
その様子を見ていた椿はクスッと笑い、日向の方を向いてメニュー表を開いて見せた。
「日向くんっていうんだ。何にする?」
「あ、えと、、逢沢と同じやつを……」
「はーい! 少々お待ちください」
そう言って椿はオーダーを伝えに行った。
そして、他のお客さんの視線が痛い……
「と、尊い……」
「は?」
「好きになりそう」
「ダメだろ」
「なんでだよ」
「……まともに会話してから言え」
咄嗟に「ダメだろ」なんて言ってしまったが、もちろん俺にそんなこと言う資格はない。
日向には悪いが、なんか嫌だった。
まだまだ子供だなと自嘲する。
「お待たせしました!」
オレンジジュースとクレープを2セット持って来た椿にまたしても俺は目を奪われる。
やはり日向は緊張して俯き黙る。
「伊澄、明日も午後フリー?」
「そうだよ」
「じゃあ、明日は一緒に回ろうね!」
「え、あ、うん」
「では、ごゆっくりー」
そう言って仕事に戻る椿の後ろ姿を目で追っていたが、くるりとこちらを振り返り向く。
そして反射的に目を逸らした俺のところへと再びやって来た。
「スマホ貸して?」
「え、まぁいいけど」
「もうちょいこっち寄って」
——パシャッ
椿は俺のスマホでシャッターを切った。
椿の香りが鼻孔をくすぐり、俺の心臓が跳ね上がりそうな大きな鼓動を打つ。
画面には可愛く笑う椿と紅潮した俺がいた。
「後で送っといて!」
今度こそ仕事に戻る椿を見送り、俺はスマホの画面もう一度見た。
だから、視線が痛いって……
「椿さん、お前のこと好きなんじゃ?」
「そんなわけないだろ」
「いいなー写真」
「撮ってもらえば?」
「無理無理無理」
今まで存在を消していた日向がコソッと言うが、俺は椿に好きな人がいることを知っている。
もちろん好きになってくれたら嬉しいけど……
クレープを食べ終わった俺たちは、長蛇の列ができていることもあり、早々に教室から出ることにした。
「待って!」
扉の前で椿に呼び止められて、俺と日向は振り向いた。
「行ってらっしゃいませ。ご主人様」
「「……」」
椿は片脚を斜め後ろの内側に引き、もう片方の脚は軽く膝を曲げ、背筋を伸ばしたままスカートの裾をちょこんと持ち上げた。
そのあまりにも様になった綺麗な姿に言葉が出なかった。
——可愛さの暴力、美しさの魅惑、華やかさの楽園。
その全部にヤられた俺たちは至極当然の如く悩殺された。
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