第9章 君の隣は向かい風
「えー、そろそろ学園祭に向けてクラスの出し物を決めるように」
担任の大須田先生が言い、後はクラス委員にバトンタッチした。
6月も残すところあと1週間というところで、学校中がそわそわした雰囲気に包まれる。
先生が言うようにそろそろ学園祭の時期である。
そして、今日から準備期間が始まる。
といっても昨年、準備期間から当日の2日間までサボりをかました俺は実質初の学園祭ということになる。
「クラスの出し物で何か案ある人」
クラス委員が全体に向かって案を求める。
ちなみに、このクラス委員の名前はわからない。
「食べ物系やりたい!」
「焼きそばとか? クレープとかも良いよね!」
「カフェでいいんじゃない?」
「演劇は?」
「コスプレカフェ!」
いろいろな案が飛び交う様子をボーッと見ていた俺は隣から視線を感じて横を向いた。
案の定、隣の席に座る日向が俺を見ていた。
「なんだよ」
「いや、ボーッとしてる様に見えたから」
「してるんだよ」
この日向健という男子生徒は、椿のファンであり、俺が言葉を交わす数少ないクラスメイトである。
「出し物の案ないのか」
「何でもいいからな。そう言うお前は?」
「どうしたら彼女ができるか考えるので手一杯だ」
「バカだな」
そして、女に飢えている。
顔もそこそこ整っていて、性格も悪くないはずなのに日向はモテない。
あからさまに女を求めていることが原因だとは思うが、確証がない以上適当なことは言えない。
まぁ、俺なんかに言われても余計なお世話か。
「そういえば、最近は椿さんとどうよ」
「どうって、普通だけど」
「あのなぁ、そもそも椿さんとの放課後が普通じゃないんだよ」
「……」
言われてみればその通りだ。
日向みたいなファンが学校中にいる椿と俺が毎日一緒に帰っていることは当たり前のことではないと改めて思った。
「実はもう付き合ってるとか?」
「ないない」
「じゃあ、突き合った?」
「……死ね」
椿に彼氏ができたとき、この日常はどうなるのだろうか。
放課後に一緒に帰ることはなくなる。当然、休日に遊びに行くことも。
人気者の椿のことだ、ない話では無い。
そう思うと、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚がする。
——パチパチ
教室内で拍手が沸き起こり、俺は現実に戻される。
黒板の方を見ると、クラスの出し物は演劇に決まったらしい。
そして今は、誰が脚本を作るかという話になっている。
こういう重大かつ大変なことを引き受けたいと思う人はなかなかいない。
「はーい」
俺の隣からそんな声と共に挙手した姿が目に入り、驚きのあまり呆気にとられてしまう。
「日向、脚本引き受けてくれるの?」
「いや、俺は逢沢を推薦する!」
……は?
クラス委員と日向の話を聞いていたが、なぜか俺に飛び火してきた。
そこで、これまでの話し合いを見守っていた先生がゴホンと咳払いをして立ち上がる。
さすがにこの状況は助けてくれる様で安堵した。
「あー、逢沢はクラスで最も成績優秀だしな。適任だろう」
え?
俺の期待とは裏腹にとんでもないこと言い出した。
「逢沢君、引き受けてくれる?」
「えっと、さすがにちょっと……」
クラス委員を中心にクラスメイトからのキラキラした視線のせいで、きっぱりと断ることが心苦しい。
凄まじい団結力だな……
そしてもう一度、先生が咳払いをする。
頼むからもう喋らないでくれと願うが、願い叶わず先生は言う。
「逢沢、脚本以外でこれ以上にクラスに貢献できるのか?」
「……」
「俺にはお前が準備をサボる未来しか見えんが?」
痛いところを突かれた。
そして先生はニヤリと笑いながら続ける。
「脚本、どうする?」
「……やります」
そして、本日2度目の拍手が沸き上がった。
隣でニヤリと笑う日向に俺は軽いため息で答えた。
放課後、俺は椿とマクドナルドに来ていた。
ナゲットとシェイクを2つ注文し、空いている席へと向かう。
今はナゲット15ピースが390円で、これこそが今日ここに来た目的でもある。俺はチョコレート味のシェイクを注文し、椿はストロベリー味にしていた。ナゲットのソースはバーベキューとマスタードの定番2つの他にチキンカレーとチーズが期間限定であり、その中から3種類選べる。結果として期間限定を選ぼうとする椿に断固反対してバーベキュー1つとマスタード2つになった。
「出し物決まった?」
一口シェイクを吸い込んだ後に椿が聞く。
当然、学園祭の話だろうと俺はすぐに答える。
「演劇になったよ」
「いいじゃん!」
「いや、良くない。ちっとも良くない」
「え? 伊澄なにやるの?」
「……脚本」
ぶはっと吹き出す椿とこれが現実であると再度確認し、落胆する俺。
なぜか日向のにやけ面が頭によぎり、脳内で一発殴っておく。
「演題は決まったの?」
「今日決めて、明日から脚本作ろうかなと」
「演題も伊澄が決めるんだね」
「うん……」
「やっぱり、ロミジュリとか美女と野獣とかかな?」
「うーん、伊澄が作るなら定番じゃないのが見たい!」
そんな瞳で言われると断れない。
学校の行事でこんなに悩むのは初めてだけど、悪くないなと思う。
「椿のクラスは?」
「メイド喫茶!」
「メ、メイド喫茶!?」
椿のメイド服か……
似合うだろうなと思いながら、俺の頭の中で椿が「おかえりなさいませ、ご主人様」と言い、可愛らしくもありセクシーでもあるポーズをしている。
顔の温度が上がっていることに気づいて邪念を振り払う。
「変なこと考えてたでしょ」
「うっ、え? そんなわけ」
図星を突かれてつい慌ててしまう。
これではYESと言っているようなものだ……
「想像の中のメイド服着た私は可愛かった?」
いつも通り悪戯な笑みを浮かべて揶揄ってくる椿に俺はいつも以上にドキッとしてしまう。
ちなみに、本人には言えるわけはないが当然可愛かったに決まっている。
「可愛かった」
あれ、今なんて言った?
心の声が漏れてしまった?
終わった……
「……へ?」
素っ頓狂な声をあげた椿の方にそっと目を向けると、見たことないくらいに顔を赤く染めてたじろぐ姿があった。
え、なんで?
次の日の3時間目、俺はクラスメイトの注目を浴びている。
この時期は2時間目までは通常通りの授業が行われ、3時間目からは学園祭の準備時間が設けられている。
そして今、昨日悩みに悩んだ末に決めた演題を発表するところだ。
「伊澄が作るなら定番じゃないのが見たい!」という椿の声がなかったら、こんなに悩むことはなかったな。なんてどこか満ち足りた気分で思う。
「そしたら逢沢、演題の発表頼む」
先生から本題が振られる。
沈黙の中、視線を集めるこの状況は少し落ち着かないが、一息おいてから俺は口を開く。
「演題は人魚姫……」
人前で話す機会がないことも相まって、俺は自信なさげに呟いた。
「めっちゃいいじゃん!」
「有名だけど演劇の定番でもない感じが絶妙!」
意外にもクラスメイトたちから「人魚姫」は好評だった。
脚本という最難関の問題がこれから待ち構えているが、一旦ほっと胸を撫で下ろす。
その後、4時間目までまるまる時間を使い、役者や裏方、小道具、大道具と各々の役割分担まで決まった。
あとは脚本があれば練習に入れるという状況だが、あいにく1文字も進んでいない。
まずは衣装のデザインからサイズの採寸、作成など手をつけられるところから始めてくれてはいるが、やや焦燥感に駆られる。
昼休みになり、俺はもう一度「人魚姫」をざっと読んでおこうと思い図書室に行ってみることにした。
学園祭の演劇で100%細かく再現することは練習期間や当日のタイムスケジュールといった理由で不可能に近く、それでもできる限り再現性を高めるためには要点をまとめる必要があると思う。
とりあえず俺は、アンデルセンの「人魚姫」を手に取った。
軽くひと通り目を通して、儚いながらも綺麗な終わり方だなと改めて思う。
大方の要点を抑えることができ、ひとまず教室に戻ることにする。
俺は校庭の大きな樹木や生い茂る芝生の緑と、グラウンドの乾燥した土の淡い茶色のコントラストを何気なく見ながら教室まで脚を運ぶ。
ふと、知っている顔の女生徒が目に止まり脚を止める。
もちろん椿だ。
校庭で何をしているんだろうか。
「あ……」
何で俺は椿が1人でいると勝手に思い込んでいたのだろうか。
男子生徒と向き合って話している姿を見て、何を話しているのか気になるけど知りたくないと思う。
あれは告白だろう。
見てはいけないものを見てしまった罪悪感と後ろめたさで、胸がゾワゾワする。
教室に戻ろう……
「おい、逢沢!」
教室に戻った俺に駆け寄ってきたのは日向だ。
話す距離感と声量がマッチしていないことを普段ならツッコんでいたところだが、今はどうしてもそんな気分にはなれなかった。
「どうした?」
「どうしたって、成宮先輩が椿さんに告ったって! 学校中この話で持ちきりだぞ!」
「へ、へぇ……」
やっぱり告白だったのか。
成宮先輩が誰かは知らないけど、こんなに早く話題になるなら人気者なんだろうな。
「へぇって、サッカー部のエースで頭も良くて、性格もいいあの成宮先輩だぞ。おまけに顔も抜群にカッコいいし、親は大手企業の役員って噂だぞ」
「そうなんだ……」
「あの2人が付き合ったらビッグカップルだぞ!」
「そうだね……」
「お前はいいのか?」
「俺は椿の何でもないし。じゃあ、脚本書くから」
そう言って俺は自分の席に戻った。
——自分の代わりはいくらでもいる。
わかっていたはずなのに実感した瞬間に全身が締め付けられて、冷や汗が止まらない。心臓はドクドク音を立ててうるさい。
輪の中心でキラキラ笑う椿の姿が頭によぎる。
当然その輪の中に俺の入る場所なんかあるはずもない。
昨日までの放課後がまるでなかったことかのように崩れ落ちる音が聞こえる。
ついさっきまで当たり前だと思っていた日常は意外にも呆気なく消え去ってしまう。
気がつけば放課後になっていた。
クラスメイトには申し訳ないが脚本を書き進めることはできなかった。
——今日からまた1人の放課後、か。
椿と鉢合わせることが怖くて、俺はもう少しだけ教室にいることにした。
学園祭の準備も今のところ順調らしく、居残りをする生徒は1人もいなかった。
「遅い」と椿からLINEがこないかな。なんて幻想と幻滅を繰り返して後者に辿り着く。
考えていると何だか眠たくなってきた。ここが学校だとかそんなことどうでも良くなり、椅子に深く座り、目を閉じた。
——ッッッ
目を閉じて20分くらい経った頃だろうか。
誰かに触れられた気がして驚いて目を開けた。
だが、俺の目に映るのは暗闇で何がなんだかわからない。
「だーれだ」
後ろから声が聞こえて、目元に手が覆われていることがわかった。
いや、そんなことよりも……
この声、この匂い、そしてこの温かさ。
こんなの椿に決まっている。
決まっているのに、答えることができない。
何でここにいるのか、成宮先輩とやらは大丈夫なのか、こんな状況なのにドキドキしてしまう情けない自分、喜んでいる自分。その全てが同時にのしかかり、処理しきれずにいる。
「あれ、聞こえてる?」
「聞こえてるよ、椿」
俺はようやく口を開いき、椿は手を顔から離した。
振り向くと、出会った頃と同じように夕陽の輝きを受ける姿があり、ずっと見ていたいと思った。
——好きだ。
俺は椿が好きだ。
そう結びつけるのは難しいことではなかった。
椿には彼氏ができたとしても、目を逸らすことはやめよう。
目を逸らしても現状は変わらない。腐っていく自分を見るだけだ。
それなら向き合うしかない。自分と、現状と、それから椿と。
「そういえば、あの噂聞いちゃった?」
椿は俺の席の隣である日向の席に座りながら聞く。
あの噂というのは成宮先輩ことだろう。
「椿と成宮先輩が付き合ったて話?」
「……いやいやいや。え? 断ったんだけど!?」
「……え?」
何を言っているのか理解ができない。
一緒に帰ることを断ったって話?
「だから、私、好きな人いるから断ったの」
「そ、そうなんだ」
「てか、はやく帰ろ! ナゲットが待ってるよ!」
「あ、うん。て、今日もマック行くのかよ」
どうやら成宮先輩とは付き合っていなかったらしい。
それでも椿は「好きな人がいる」と言った。
それが誰かはわからないが俺のやることは変わらない。
「私の好きな人、気になる?」
マクドナルドに向かう道中、椿が突拍子もないことを言う。
無論、気にはなるが聞いてしまっていいのかという葛藤の末、軽く頷いた。
「正直、まだよくわからない人なんだけどね。
私が隣にいるときは、彼が彼らしくいられるような存在になりたいって感じの人」
俺の聞きたかった内容と少し違ってはいたが、それでも俺は思う。
「その人はきっと幸せだね」
椿は一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐにニヤリと悪戯っぽく笑う。
「まぁ、伊澄も大人の階段登ればわかるよ」
なぜか今日の椿からは子供のようなあどけなさを感じた。
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