第4章 私の秘密

 私は昨日、伊澄に言われたことを思い出しながら、一歩、また一歩と重たい脚を学校へ向かわせる。

 学校は嫌いじゃない。勉強は嫌いだけど、友達もいるし、放課後になれば……ね。でも、朝だけは睡魔がそんなことを忘れさせる。特に、睡眠不足の今日みたいな日は。


 「なんであの日、初対面の俺に声を掛けてくれたの?」


 その言葉が頭の中で繰り返される。その度に、どう答えるべきだったのかを模索するがわかるはずがない。だって本当のことは言えないんだから。


 私が初めて君を見つけた日。

 あの日は新学期が始まって1週間くらい経った頃だったかな。

 放課後に進路のことで職員室に呼ばれていた私は教室のある3階から職員室のある2階へと階段を降りた。

 私がちょうど2階に降りたとき、帰り支度を済ませた2年生の男子グループとすれ違った。彼らは大きな声で楽しそうに会話をしていた。


 「掃除バックれるか」

 「あいつ何も言ってこないしな」

 「早く部活行こうぜ」


 どうやら誰かが彼らの犠牲になったらしい。でも私はヒーローじゃないから助けてあげようとは思わないし、彼らを注意しようなんて気もさらさらない。

 

 「失礼しました」

 そう言って扉を閉めた。

 進路のことで呼ばれたからには長い時間を取られることを覚悟していたが杞憂だった。受験をする気がないことの最終確認だけだった。所要時間わずか3分未満。

 帰ろうとした私は何かの気の迷いで2年生の教室の方へ足を向けた。

 別に掃除を押し付けられた生徒のことが気になったわけではない。

 ただ無性にモヤモヤする。

 1人で掃除ならサボるよね。どうせバレないんだし。

 そんなことを考えていた。いや、願っていたのかもしれない。

 2年A組の教室の前を通り過ぎてB組の教室を覗く。


 「あ……」


 いた……

 気の弱そうな男子生徒が1人で掃除をしていた。

 見たくなかった。真っ直ぐ帰るべきだった。手伝う気もないくせに手伝わないことに対しての罪悪感は重く伸し掛かる。

 今度こそ帰ろうと思った。

 でも、このまま家に帰るのは何か嫌だった。そんな不透明な気分を晴らすために私は書店に寄ることにした。特に欲しかった本があるわけではなかったが、それなら面白そうな本を見つけてやろうと思った。

 しばらくして私は1冊の本を買うことに決めた。普段は読まないような推理小説を手に取り、レジの方へと進む。


 「すみません、今日発売のこの本ありますか?」


 同じ学校の制服をきた男子生徒が店員に声を掛けていた。おそらくスマホで画像を見せているのだろう。

 発売日に本を買うマメな生徒は私の知っている人なのか気になり、そっと顔が見える場所まで移動した。


「……」


 そこにいたのは、1人で掃除をしていたあの2年生。

 私のモヤモヤの原因。


 「申し訳ありません、そちらの本は10分程前に売れてしまって……」

 「そうですか、運が悪かったです。また来ます」


 そう言って店を後にする姿を目で追った。

 買えなかったらしい。しかも運が悪いって、悪いのは掃除をサボった彼らのはずなのに……

 寛大なのか天然なのか私にはわからなかったけど、面白い人だと思った。

 これが君の存在に興味が湧いた瞬間。

 だって、他の人とは何かが明らかに違くて、新しい世界を見せてくれる気がする。本能がそう騒いでいる。

 私は買おうとしていた本を棚に戻して、君を追いかけるために店を出た。でも、君の姿は見つけられなかった。

 話してみたいと思ったのに。あ、でも何て声掛けるか考えてなかった。アブナイアブナイ。

 何故かモヤモヤはすっかり晴れていた。

 

 それから君の姿は見れなかった。

 まぁ、教室に行けばいるんだろうけど、そこまではさすがにね……


 そしてあの日、私は日直の仕事を終えて日誌を職員室まで持って行った。

 もしかしたら、なんて淡い期待と緊張を胸に2年生の教室の方に行ってみようと思った。

 べ、別に彼と話してみたいとか、そういうことじゃなくて……ただ2年生のときによく使ってた空き教室横の階段を降りたくなっただけ。下駄箱も近いしね。そんな風に言い聞かせないと私の心臓は静かにしてくれない。


 彼の教室の方まで来てみたけど誰もいなかった。そりゃそうかと思いながらも安堵と残念が共存する変な気持ちになる。

 諦めようと思ったその時、奥の教室から誰かの声が聞こえた。

 どうせ最奥の教室横の階段から帰るし、軽く覗いてみようかななんて考えて歩き続ける。

 階段が近づき声の正体が大須田先生だと気がついた。確か2年生の担任だった気がしないでもない。

 面談でもしてるのかな。そんなこと思いながら空き教室の前を通った。


 「ッ……」


 私は息を呑んで足早に階段まで行き、落ち着かせるように腰を下ろした。 

 先生と話していたのが君だなんて驚きで開いた口が塞がらない。タイミングが良いのか悪いのかすらわからない。

 そして、この場所では不本意ながら2人の会話が聞こえてしまう。内心申し訳ないと思ってはいるが、興味半分で粗方聞いてしまった。

 とりあえず、今日話しかけてみよう。こんなチャンス滅多に無い。

 でもどう声を掛ければいいんだろう……

 と、そこで教説の扉が開く鈍い音が聞こえた。

 足音は職員室の方へ消えていった。チラッと廊下を見ると先生が1人で歩いていた。

 お目当ての人物はまだ教室にいるらしい。


 「はぁ……」


 なんて声掛けよう。

 私は再び難しい問いに挑む。

 こんにちは? ——それは、よそよそしい気がする。

 待ってたよ? ——さすがに怖がられるかな。

 実は前から話してみたくて? ——私そんな可愛いキャラじゃないしな。

 問いの答えを出す前に君のものと思われる足音が聞こえてきた。


 「こんなところにいる時点で不自然じゃない?」


 脳内で自分自身に問いかけた。無論、不自然だ。

 焦る私は、鞄の中にあった文庫本を取り出して読んでるフリをすることにした。階段で本を読むことも不自然極まりないが、もう手遅れだ。

 私の背後で足音が止まる。

 どうしよう、振り向いて声を掛けないと……


 「一緒に帰る?童貞少年」

 「……」


 やってしまった……第一印象最悪確定だ。


 「え?」


 逃げられた。いや、避けられた?

 君は何も言わずに下駄箱の方へと行ってしまった。

 もしかして気にしてたのかな。まぁ、私も経験ないんだけど。


 追いかけるか、諦めるか。葛藤の末、前者を選択した。

 今日は何が何でも一緒に帰ってみせる! 予定よりも大きな誓いを立てた。

 でも、そう易々と一緒に帰ってくれそうな雰囲気は無いから3階断られたらさすがに諦めよう。


 「……いや、やっぱり5回かな」


 脳内の弱気な私のために少しチャンスを増やすことにした。

 私ってこんなに不器用だったけ!?


 そして紆余曲折を経て何とか君の方が折れてくれて一緒に帰ることに成功した。

 私たちは他愛のない会話をしながら歩いた。主に私が話してしまった気がするのは気のせいだろうか。気のせいであってくれ。

 別れ際、もっと話してみたいと思った私は君を呼び止め、勇気を振り絞った。


 「明日からも一緒に帰ろう!」


 言ってやった。「明日も」ではなく「明日からも」だ。

 いつか君の素の姿が見れるといいな。

 欲を言えば、君が学校に来たいと思える理由の一部になりたいな。

 君の事情を盗み聞きしてしまった私はそんなふうに思った。


 「じゃ、またね!」


 今日という日に満足した私は信号が青になったことを確認して駆け出した。


 これが私と伊澄の出会いとあの日。

 こんなカッコ悪い私のことは教えてあげない。

 これは私だけの大切な秘密。


 そして今日も長い1日が始まる。

 

 

 


 

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