第3章 負け戦はしない主義

 中間テストを来週に控えたとある木曜日。

 俺と椿は学校近くの図書館に来ていた。目的はもちろんテスト勉強、だったのは気のせいだろうか……


 「椿、勉強しなくていいの?」

 「伊澄にだけは言われたくないんだけど」

 「俺は勉強しなくても何とかなると思うから」

 「ほぅ、最近まで学校サボりがちだった癖に随分と余裕なんだ?」


 椿はニヤリと挑発気味に笑う。

 担任の教師である大須田浩輔と話していたあの日の放課後、たまたま近くにいた彼女は俺が不登校気味だったことをはじめ、話の内容を粗方知っている。

 その後、俺は毎日学校へ登校しているが「夢中」に関しては模索中だ。まぁ、学校をサボらなくなったのは椿の存在も影響するのかもしれないが。


 「そういえば、観たい映画あるんだけど今度行かない?」


 椿は思い出したかのように唐突に言う。


 「なんていう映画?」

 「冬に咲く一輪の薔薇っていう映画なんだけど、観に行った友達が感動したっていうから気になっちゃって」

 「友達と行けばいいのに」

 

 なにを隠そう、今俺の隣にいる椿という女子は友達が多いのだ。しかも女友達だけではなく、男友達も多い。

 そのことを知るきっかけになったのはクラスメイトである伊藤純と話したときだった。実は椿にはファンが多くいるらしく、彼もその一人だった。

 それを聞いたとき驚きはなかった。むしろ当然だと思った。でも、それ以上の言葉は出てこなかった。


 「それが友達は部活やら勉強やら彼氏やらで忙しいみたいなんだよね」

 「友達多いんじゃないの?」

 「うーん、どうだろうね。本当に気を許せる相手は五人くらいかな?そういう人としか放課後とか休日は会わないの」

 「それって……」

 「ん?」

 

出かけた言葉を口に戻す俺を彼女は頬杖を突きながら聞き返してくる。


 「いや、何でもない」

 「それより、いつ映画行こっか」


 まだ行くなんて言ってないのに……


 「とりあえずテスト終わってからね」

 「うっ、嫌なこと思い出させないでよ」

 

 嫌がりつつも教科書とノートを開いて問題を解きはじめた椿は真剣な表情をしていた。その横顔には吸い込まれるような魅力があり、また見惚れてしまっている自分が恥ずかしくて一人で顔を熱くしてしまう。バレないように教科書を読んでいるふりをしておくことにした。


 「疲れた」

 

 そう言って彼女は机に突っ伏し始めた。

 まだ10分も勉強してないですけど!?


 「伊澄は何の勉強してるの」

 「数学の教科書読んでる」

 「いや、読んでるだけかよ。解けよ」

 「椿にだけは言われたくないんでけど」


 先ほど言われた言葉をそのまま返した。

 椿は何か思い付いたかのような表情で俺を見てくる。


 「タイマンしようか」

 「はい?」

 「テストの点数で」


 彼女に似つかわしくない言葉に一瞬思考が停止したが、どうやらテストの点数で勝負を申し込まれたらしい。

 勝負はしてもいいとして一つ問題がある。


 「椿と俺じゃテスト問題違うよね?椿は3年なんだし」

 「そうだね。じゃあ全教科の平均点で」

 「まぁ、それなら」

 「ちゃんと勉強するんだよ。私こう見えて赤点取ったことないから!」

 「……」


 彼女はドヤ顔をして、自慢げに話した。

 全然すごくないんだけどなぁ。


 「よーし、少しは勉強する気になってきた」

 「一応、椿って受験生だよね?」


 一応、彼女は3年生で受験までもう1年を切っている状況のはずだ。それなのに勉強している感じは一切ない。テスト勉強でもこんな感じだし。

 ただの勉強嫌いなだけで、実は頭良いのかもしれないが。もし、そうなら推薦をもらって万事解決ということもある。


 「私、受験しないよ」

 「ん、んん?」

 「だから、受験しないの」


 驚きで声が出なかった。

 俺たちの通う学校は県内でも2番目に高い偏差値で、卒業生の9割以上は大学へと進学している。残りの1割は専門学校か就職でいずれも少数派だ。

 なので当然、椿も大学に進学すると思っていた。


 「そんな驚くこと?」

 「就職は少数派だからさ、椿も大学行くのかと思ってた」

 「就職しないよ。もちろん、専門学校にも行かないし」

 「ん、んんん?」


 進学も就職もしないという選択肢を知りもしない俺は彼女がなにを言っているのかわからなかった。


 「高校を卒業して1年間は自分が何をやりたいか、どうなりたいのか自分探しをしようと思ってね。まだ将来のこと何も決めてないのに、何となくで大学行って、その後に本当にやりたいことを見つけても遅いかなって。それに18歳で大学に行かなくちゃって訳でもないしね」


 椿は自分の考えている進路を教えてくれた。

 やりたいことは無いけど普通に大学へ行くのだろうと思っていた俺は、その考え方も意志も行動力も全てが新鮮で眩しかった。


 図書館からの帰り道。

 あのあと30分ほど勉強して帰ることにした。

 結局1時間も勉強してないけどまぁ、何とかなるか……


 「そういえば、罰ゲーム決めてなかったね」

 「テストの話?」

 「うん。負けた方は勝った方の命令を1つ聞くにしよう」

 「良いけど、負けた時のこと考えてる?」

 「ううん。私、本当にそこそこできるからね?」


 どうやら俺に命令する気満々らしい。恐ろしい・・・

 そんなことを話しているうちに、いつもの交差点に着いた。信号が青に変わったことを確認して椿は「またね」とだけ言って駆け出した。


 次の日の放課後。

 俺は久しぶりに一人で帰路についている。

 椿はというと今日は一緒ではない。帰りのホームルームが終わる少し前にLINEが送られてきた。

 

 「今日は用事あるから先に帰るね」

 「次はテスト終わりの水曜日ね」

 「検討を祈る」


 と、3つの文に対して「了解」とだけ返信をした。

 最近はずっと椿と帰っていたせいか、何となく寂しい気がして足取りが重たかった。

 そういえば、何であのとき「一緒に帰ろう」なんて彼女は初対面の俺に声を掛けたんだろう。ふと、そんなことが頭によぎる。


 ようやく中間テストの全日程が終わった水曜日の12時半ごろ。

 月曜日から2科目ずつ計6科目のテストをこなした生徒達は疲れ果てた顔をしていたり、開放感に満ちた顔をしていたりと各々テスト後の空気を実感している様子だ。

 そして俺はというと、校門の前で椿を待っていた。


 「おつー」

 「お疲れ、椿」


 合流してすぐに椿はニヤニヤしながら俺の方を見てくる。


 「伊澄君や、これを見たまえ」


 椿が手には映画のチケットが2枚あった。


 「前に言ってたやつ?」

 「その通り。さぁ、行くよー!」

 「今から!?」

 「もち!」


 映画館に到着した俺達はまず座席を選ぶことにした。

 

 「選び放題だね。伊澄はどこがいい?」

 「後ろの方の列で中央にしよう」

 「おっけー」


 映画館におけるベスポジの確保に成功した。

 それにしても平日の、それも日中の映画館はほぼ貸切状態で変にテンションが上がりそうになってしまう。


 「ポップコーン買う?」

 「もちのろんよ。塩かキャラメルか悩みどころよね」


 変なところで優柔不断な椿を置いてレジに進むことにした。

 俺は塩のポップコーンとコーラを注文して未だに悩んでいる彼女の所へと戻った。


 「決まった?」

 「んー、あと2時間悩ませて」

 「映画観にきたんだよね? 終わっちゃいますけど!?」

 「どっちも買うのは負けた気がするんだよねー」


 なにと戦っているのやら……


 「キャラメルにしなよ。塩は俺の食べてもいいからさ」

 「え、天才なの? 神様? 仏様?」


 眉間にシワを寄せていた彼女の顔だったが、俺の提案を聞いて一気に頬が緩み嬉しそうな表情に変わる。

 その表情があまりにも綺麗で俺の心臓のBPMは190を超えたのではなかろうか。まぁ椿はロック聴くらしいけどね。

 キャラメルポップコーンとカルピスを買い終えた椿と場内へと向かった。

 座席に座ってすぐ自分のポップコーンと俺のポップコーンを交互に食べる彼女の横でNO MORE 映画泥棒を見て久しぶりに映画館に来たことを実感した。


 ブザーの音とともに照明の明かりが消えて物語が始まる。


 物語は主人公の敬人が雪の降る日にヒロインである舞と出会うところから始まる。

 舞は華やかで魅力的な容姿のクールな女性で、その日に一目惚れをした敬人が連絡先を何とか教えてもらうことに成功する。それからの猛アピールの末2人はお付き合いする仲に発展する。

 恋人同士になって3年目の冬、これまで仲が良かった2人の関係が突如終わりを告げる。別れを告げたのは敬人の方だった。


 「もう好きじゃない。別れよう」


 それだけ言ってその場を後にする敬人とその場で縮こまり泣き崩れる舞。

 しかし、舞は振られたことに対して泣いた訳ではない。敬人が自分を頼らないことを選択したことが悲しくて泣いていたのだ。舞は知っていた。彼が末期の癌と診断されていることを。

 知るきっかけになったのは2ヶ月ほど前から彼が彼女に対して急に冷たい態度をとるようになったことだ。浮気を疑った彼女がこっそり鞄を覗くと1枚の診断書が目に入った。いつ打ち明けてくれるのかと思っていたが、その日は来なかった。

 舞はそれが敬人の最善の選択ならと受け入れるしかなかった。

 それから1年が過ぎ、舞は日常を取り戻していた。

 12月のある日、舞はとあるところに来ていた。4年前の今日、敬人と出会った場所だ。今、彼がどうしているかなんて当然わからないが自然とここに来ていた。我に返って帰路につこうと脚を動かしたとき、目が合った。

 抜け落ちた髪の毛を隠すようにニット帽を被り、やせ細った男。見た目は変わっていたが敬人に違いないと確信する。もし人違いだというなら彼の目から溢れる涙の粒は一体何だというのか。

 舞は敬人が癌であることを知っていたことを打ち明け、なにもできなかった自分を責め、謝罪を繰り返す。敬人は舞を頼れなかったことに、そして1人にしてしまったことに謝罪を繰り返した。

 2人はその後、一緒に癌と戦い、2週間後に敬人は息を引き取る。

 その日は初雪の日だった。


 映画が終わった直後、照明の明かりがつくまでの時間は妙に気まずい。

 ようやく明かりがついて隣に目を向けると、ボロボロに泣いた椿がいた。


 「泣いた」


 彼女は言わなくてもわかる報告を少し目元が赤くなっているであろう俺にしてきた。

 その日は寝るまで余韻が冷めずにいた。


 週が明けた月曜日の放課後。

 俺と椿はスターバックスに来ていた。

 そう、テストの結果が全て返ってきたという訳だ。


 「この自由の女神様も私に微笑むはず!」

 「それセイレーンだけどね」

 「え、そうなの……」


 椿の小ボケはさて置き、結構良い点数を取れている様子で少し不安になってくる。

 

 「裏紙に平均点書いて一斉に見せよう」

 「わかった」

 「「せーの」」

 「「……」」

 「は?」


 先に口を開いたのは椿だった。

 椿の平均点は80点で普通に良い点数だった。自信満々だった様子も納得だ。

 でも俺は94点……


 「も、も、もしかしてだけどさ、伊澄って頭いい感じ?」

 「良いかはわからないけど、学年順位はずっと3位以内だよ」


 恐る恐る聞く彼女に俺は答えた。

 別に隠していた訳じゃないんだけどさ……


 「裏切りだ、裏切られた」

 「命令聞いてくれるんだっけ?」


 騒がしく落胆する彼女に勝者の権利を確認する。我ながら鬼畜所業だ。

 実のところ、負ける気がしなかったっていうのは内緒にしておこう。


 「くっ、仕方ない。言ってみ?」

 「じゃあ、教えてほしいことがある」

 「教えてほしいこと?」

 「なんであの日、初対面の俺に声を掛けてくれたの?」


 今更だが、ずっと疑問に思っていたことを聞くことにした。


 「……、えっと、うん、たまたま?」

 「本当は?」

 「い、いや、話が聞こえてきて面白い子だなと、思いまして」


 絶対に何か隠してるな……

 まぁ今日のところは詮索しないでおこう。


 「それより伊澄、これ貸してあげよっか」

 

 椿は鞄からとある文庫本を取り出した。

 その文庫本のタイトルは、「冬に咲く一輪の薔薇」だった。


 「俺も買ったんだよね……」



 

 

 

 

 



 

 


 


 




 







 

 



 

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