第二章

 ルートルヴェニア。

 という名前の人間がいる。

 殺し屋ではない。

 連続殺人鬼である。

 ちなみに女性である。

 死んでも殺し屋なんかにはならない、と宣言したことで有名な女性の連続殺人鬼である。

 日本での連続殺人鬼ランクは七位である。

 殺し方は小型の火炎放射器を使った焼殺である。

 ルートルヴェニアは連続殺人鬼の前にモデルとして活動していた。期間は十八歳から二十四歳までの七年間である。その間に、テレビにも何度か出演していたしユーチューバーとしても活動していたようである。

 ここから先は、ルートルヴェニアの協力が必要不可欠となるだろう。

 勧誘しなければならない。

 そのため、私が家にストックを置くほど大好きで、かつ、私の地元である鎌倉の銘菓である鳩サブレーの準備をしておいた。おそらくだが、日本国民で鳩サブレーが嫌いな人間などいないはずだ。そのままでも美味しいし、牛乳に浸しても美味しい。

 鎌倉に行った際にはぜひ、買うべきだと思う。

 お試しあれ。

 あと、どこの名産品なのか忘れたが生せんべいも美味しい。せんべいという名前であるのに餅のように柔らかく、甘くて美味しいお菓子である。白色と茶色しか見たことはないが、おそらくそれ以外もあるだろう。いや、ないかもしれない。

 よく勘違いされるが濡れせんべいとは全く違う。

 私は鳩サブレーを携えて、ルートルヴェニアのマンションの入り口に立った。オートロックかつ、監視カメラつき。金持ちは住んでいる場所が違うのだ。

 さすがである。

 ちなみに、アポは取っていない。というか取れるような相手ではない。

 私は目の前の壁に取り付けられている電卓のようなインターホンの番号を押した。

 何か音がした。

「もしもし、私、殺し屋協会のマネジメント部門におります。マヨナカというものですが」

「あ、あたしだよ。あたし」

 背筋が凍り付いた。

 声の主はステイシーであった。




 あたしのこと、憶えてる。

 ステイシーだよ。

 あたし、まだマヨナカのこと大好き。

 だから。

 あたしのことを殺したのは帳消しにしてあげる。

 大丈夫、あたしはマヨナカのことが大好きだから、絶対にマヨナカのことを許してあげられるよ。

 あたし、駄目な彼女だったかな。

 マヨナカにとってよくない彼女だったのかな。

 マヨナカに会うまでのあたしは、体重も百十二キロあってよく仕事ができてたなって感じだったよね。思い出すと自分でも笑っちゃいくらいデブだった。

 でも、マヨナカを一目見た瞬間からこの人に合う人間になろうって思ったの。隣を歩いていて全く邪魔にならないような人になろうって思ったの。

 ダイエットして、半分にまで落とした。結局、整形もたくさんして貯金もぜんぶなくなっちゃったけど。

 でも、愛してもらえるなら全然平気。

 本当に平気なの。

 で、マヨナカはルートルヴェニアって女に会いにここに来ているわけだよね。

 これは、浮気かな。

 いや、あたし、初めてのことだから分からないの。これが浮気なのかどうなのかって。

 あぁ、あたしが先回りしてたのが怖くなっちゃったのかな、ごめんね。

 あのね、なんでここにマヨナカが来ると思ったかっていうとね、ずっと遠くから見てたからなの。

 えへへ。

 でも、ルートルヴェニアがマヨナカに合う女の子か分からないから、テストしてあげたの。

 うん。

 結局、ベランダから突き落として殺しちゃったけど。

 ルートルヴェニアは真夜中に全然合ってないよ。ほら、ラヴもウザいでしょ。

 あの、ホモ野郎がマヨナカを困らせてるんでしょ。だから、殺してもらおうと思ってルートルヴェニアみたいな仲間を探してたんでしょ。

 それだってあたしに頼んでくれれば、ラヴなんて一瞬でぶっ殺してあげるのに。

 ねぇ。

 今から下に行くからさ。

 ご飯とか食べながら、どうやってラヴを殺すのか話そうよ。

 マヨナカが言った通りに殺すし、マヨナカがして欲しいことをしてあげるよ。そのために、あたしの体はちゃんとマヨナカが好きな形になっているんだから。抱きやすいし、愛しやすいし、一緒に連れて歩き回りやすい、あたしだよ。

 こんな女の子、他にはいないよ。

 じゃあ、下で待っててね。

 今、そこに行くからさ。




 フライドジャムガーリックス。

 シャウティゲボ。

 ロローロトゥローロロロ。

 すべてコンビの殺し屋たちのチーム名である。二つの名前を繋げただけではあるが。

 マヨナカルートルヴェニア。

 今後、私たちはそう呼ばれる可能性があるな、などと思ったりした。いや、私は厳密には殺し屋ではないので、そのところはどうなのだろうか。

 私はスポーツカーがこんなにも早く進むことを知らず、流れる景色に混乱するばかりだった。

 目の前からくる車を右に左に簡単に避けて見せる。

 ルートルヴェニアは明らかに苛立っていた。

 というか。

 反対側車線を走っているということか。

「何階から落ちたのですか」

「八階」

「よく死にませんでしたね」

「落ちながら下の階のベランダの手すりを何度も掴もうとしたから、それで減速できたのかもな。まぁ、運は良い方なんじゃねぇの」

 ルートルヴェニアは左手をハンドルから離して枯葉のように動かしてみせる。左手の小指はあらぬ方向に曲がっている。爪が剥がれている指の方が多いくらいだ。流れ出る血がハンドルを濡らしており、光を反射している。

「マジでたまったもんじゃねぇよ」

「でも、助かりました。ありがとうございます」

「てめぇ、マジでバカなんじゃねぇの」

「え」

「助かってねぇよ」

 後ろからクラクションが聞こえた。

 振り向く。

 十トントラックが車を吹き飛ばしながら、こちらに近づいてきている。

 殺し損ねたルートルヴェニアの息の根を止めるために、そして、私を捕まえるために、ここまでするだろうか。普通。

「畜生、あのクソ女、やりやがった」

「どうしましたか」

「あたしのトラック持ち出してきやがった」

 あんたのか。

「あたしの改造十トントラックをあんな雑に扱いやがって、マジでぶっ殺してやる」

 その瞬間。

 ルートルヴェニアの携帯電話が鳴った。

「おい、あたしのポケットから取り出して対応しろ。てめぇは運転もしねぇんだからそれくらい役に立てよ」

「はい」

「使えねぇやつって、なんでこう返事だけは良いんだろうな」

「つべこべ言わずに運転だけやっていてください」

「次、なめた口聞いたらマジでぶっ殺すぞ」

 私は拳を握りしめると、ルートルヴェニアの頬に叩きこんだ。歯と血が飛び散る。

「うるさいぞ。クソ女」

「マジでてめぇのこと助けなきゃよかったぜ」

「謙虚な姿勢で自分の役目を果たしましょう」

 謙虚に携帯電話に出る。

「もしもし」

「プラッパーです。どもども」

「プラッパーさん、只今、ルートルヴェニアさんは運転中ですので、私が対応をします」

「あぁ、あの改造トラックですか」

「えぇと、違いますが、そうですね。直ぐ近くにはいますね」

「へぇ。なんか分かんないけど、まぁ、いいです。このことだけ伝えてください」

「はい、承知しました。なんでしょう」

「ルートルヴェニア先輩とあたしで宝くじを買ったんですけど、それが当たってました」

「ほう、幾らほど」

「四億五千万です。山分けしましょうという電話でした。おしまいです。じゃあ、よろしくお願いしますね」

「はい」

 私は電話を切った。

「誰だ」

「プラッパーさんです」

「で、なんて」

「宝くじに当たったと」

「あぁ、一緒に買ったなあ。で、そのこと」

「はい、四億五千万だそうです」

「え」

 一瞬、ハンドルの切れが悪くなる。一度ガードレールにぶつかり、次に歩道にいたサラリーマンを二人轢き、標識にぶつかってスピンしながら道路へと戻った。

 スポーツカーはほぼほぼ大破しかけているものの、全く速度は落ちていない。

「お前、今、なんて言った」

「四億五千万です」

「おいっ、マジかっ、四億五千万かよっ、二千万のお釣りがくるぜっ」

「何がですか」

「あたし、四億三千万の借金があるんだよ。いやぁ、マジであたしついてるぜ」

「どうやったらその単位の借金を抱えられるんですか」

「でかめの会社やって、へまやらかしたら一瞬だぜ。よく覚えておきな」

「よく失敗したことを自慢げに話せますね」

「ナルシストになる以外に手っ取り早く幸せになる道はねぇってことだ。しっかし、やったぜ。マジで最高の気分だっ。上等なシロップをやったってこんなところにまでいかねぇよ。くかかっ、けけっ」

 笑い方が非常に気持ち悪い。

 もう一発殴った方が良いだろうか。

「まずは、プラッパーのことをぶっ殺して、山分けじゃなくて独占にしねぇとな。いや、本当に持つべきものは後輩だぜ、なぁ、そう思うだろ」

「一千万でそのプラッパーさんに黙っておきますよ」

「なんだ、てめえ」

「いいではありませんか。一千万を私に渡すだけで、四億四千万が自分のものになる訳ですから、冷静に考えて簡単なことでしょう」

「まぁ、細かいことはいいや。今は、てめぇと一緒にここを抜け出して、まずはあのステイシーとか言うクソ女を殺す。次に、お前、最後にプラッパー。完璧だぜ」

 その瞬間、ルートルヴェニアの首が後ろへと折れ、手がハンドルから離れた。

 額から血が流れていた。

 車の速度が落ちる。殺される。

 私はルートルヴェニアの死体を蹴り飛ばして横にずらすとハンドルを握った。

 その時、ルートルヴェニアの携帯電話が鳴った。

 返すのを忘れていて持ったままであったので運転をしたまま出る。

「プラッパーでーす。ルートルヴェニア先輩に伝言をお願いします」

「いや、彼女はもう」

「あたし、信じてたのに」

 電話が切れる。

 次の瞬間、真横から乗用車が突っ込んできた。

 衝撃はあるものの痛みはない。

 痛みはないが。

 重力が消える。




 ツバキノ。

 という名前の殺し屋がいる。

 性別は男である。

 好きな食べ物は麦チョコ。

 好きな飲み物はブラックコーヒー。

 好きな紙は一万円札。

 嫌いなライトはブルーライト。

 嫌いなアパートは風呂トレイ共同。

 嫌いな犬の種類は負け犬。

 殺し屋ではあるが、花屋を営んでいる。

 だから、ツバキという名前がついたのだそうだ。何故、その後にノという文字がついているのかはよく分からない。

 殺し方は変わっている。

 マグカップで殴打して殺すのである。

 私はそんなツバキノを思い出すたびにある問題が頭に浮かび上がってくる。

 ツバキノは。

 私のことが嫌いなのだろうか。

 いや。

 嫌われるようなことは一切していない。断言できる。

 基本的には悩まない私である。

 だが、ツバキノだけは別だ。

 私はツバキノのことが好きだ。

 耳を舐めたい、いや、しゃぶりつきたい。

 私が私の中の真夜中を歩くには、赤い椿の道しるべが必要なのである。

 点々と落ちた。

 赤い生首が必要なのである。




 昔、ツバキノは、ある男と付き合っていた。

 それはツバキノが殺し屋を名乗る前にホストとして働いていた期間のことである。相手は、その店のナンバーワンであり、ツバキノはナンバースリーであったそうだ。

 同性愛者というのは少数である。

 しかし。

 もしくは、それ故なのか、同じ感覚を持っている相手を見つける嗅覚は非常に鋭いのである。

 ツバキノはそこでホストとして女性を楽しませながら、その裏で愛を育んでいた。

 ある日のことである。

 店の中でツバキノの客が暴れたのだそうだ。

 太い客というのはどこにでもいて、常に危ういものである。

 余りにも唐突であった。

 客はマグカップを投げたのだ。

 ツバキノに向けて、ではない。

 そのナンバーワンのホスト、つまりはツバキノのパートナーに向けて投げたのである。

 しかも、それは見事に顔面に当たり、一生消えることのない傷を残した。

 客の不始末は当然ながらその担当ホストのものになる。

 ツバキノは店を追い出された。

 だから、マグカップはツバキノにとって自分の甘さの象徴なのだそうだ。

 自分の中にあった、こんなことまではしないだろうと他人を舐めた代償なのだそうだ。

 生きている限りは、それが自分の視界の中に、手中に、納まっていることが安心させるのだそうだ。

 自分は忘れていない。このことから学ぼうとしている。

 ツバキノは、そうやってこの血生臭い業界に移って来た。

 私はツバキノの人生に途中から登場しただけだ。

 結果として。

 ツバキノをレイプすることにも繋がったのだ。

 レイプすれば思い出になるだろう。

 記憶にはならない。

 思い出になるはずなのだ。

 良い悪いは問題ではない。忘れられないということが重要なのだ。

 私は少しでも、ツバキノの世界に住んでいたい。それはツバキノが私のことを嫌うようなことがあったとしても、足跡などというそんな粗末なものではなく、火傷のような傷でありたいという欲望である。

 だから、少しばかり思うのは。

 ツバキノは、カルマの清算を行おうとしているのではないだろうか。

 そして。

 選ばれたのが私だった。

 私にレイプされることが結果として禊になっている。

 そう考えることができてしまう。

 本当に利用されているのは、ツバキノではなく私なのではないか。

 今、ツバキノは自分の生き方をまともにするために、自分の体を痛めつけている。

 なんでもいいが、その中の一つが。

 レイプなのだろう。

 私とツバキノの関係に愛はないのだろう。

 当たり前かと思うかもしれないが。

 私はツバキノの心の内を全く推し量ることなく、レイプし続けている。だが、いつか振り向いてくれるのではないかという思いを捨てきれずにいる。先に進めるとばかり思って、それでも申し訳ないと思いながら性欲をぶつけている。

 やはり、相手を自分の性欲を解消してくれる肉の塊であると認識するようになると、自分の思いを投影するようになる。

 いつしか私は、ツバキノを鏡に見立てて、自分がこう思っているのだからツバキノもこう思っているだろうと都合の良い解釈をするようになった。

 私は何かツバキノのためになることをしただろうか。

 いや。

 していない。

 これを十度、二十度、三十度、四十度、五十度、百度。

 繰り返して、繰り返して、繰り返して。

 気が付けばツバキノをレイプしていない時間があると苛立ちまで湧き上がるようになってきた。

 何故、今、私はツバキノを犯していないのか。

 何故、今、私が触れられるところにツバキノはいないのか。

 何故、今、私とツバキノは一緒ではないのか。

 一つではないのか。

 ありふれた愛の形すらまともに作ることができないのか。

 レイプをしたい。

 滅茶苦茶にしてやりたい。

 この感情は歪んでいない。

 他のどの感情よりも鋭く、洗練されている。

 ツバキノに感謝している。

 私はツバキノに依存している。

 だが。

 ツバキノは私に依存していないのである。

 これは一人相撲である。

 ツバキノは非力な力士ではなく、ここでは土俵として登場する。

 私は激しく動き回って、土俵は汚されていく。

 しかし。

 本当は土俵こそが最も高い位置にいるのである。

 力士は土俵を去ればただの人であり、その影は明らかにしぼんでいく。

 盛者必衰ではない。

 何故なら。

 私は盛者にすらなれていないからだ。

 これは、ただの必衰である。

 凡夫必衰。

 これに尽きる。

 私はツバキノの肩甲骨の真ん中あたりに指を置く、そして、そこから尻にむけてゆっくりと動かしていく。

 ツバキノの体が僅かに跳ねて震える。

 息遣いも特徴的なものになる。

 ああ。

 犯さなければならない。犯して刻み付けなければならない。

 そうして、今夜九度目が行われる。

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