第41話 童顔に見えるだけ
タァヘレフが、受け取った紅茶を口に運んだ。ドバイに来てから何度か飲んだことのあるその嗜好品を、彼女は気に入ったらしい。
「まあ、そういうわけだから。親子で仲良くやってくれ。検体の生活は必ず保障されるから、そこは医療チームを信用していいぞ。」
「お、お一人で行かれるおつもりなのですか?」
「ついてくるか?タァヘルフ。・・・だが、せっかく母子水入らずで暮らせるんだぞ。あんたをどうこうする奴もいない。閉ざされてはいるが、ある意味自由だし安全だ。これからは戦火に巻き込まれることもなくなるだろう。プリンセスをここに一人で置いて行くのか?」
泣きそうな表情に変わった彼女が、小さく呟いた。
「わたくしを欲しいと、そうおっしゃったじゃないですか。・・・それなのに、お一人で行ってしまわれると?」
「好きな女が、知らない場所で死ぬのは嫌だった。好きな女が家族と幸福に暮らせるのなら俺はそれで充分だよ。」
「プリンセスを養女にとおっしゃったのは・・・。」
「あんたが見つからなかったら、そうするつもりだった。」
それ以上言い縋ることも出来ず、彼女は口を閉じた。どう彼を止めていいのかわからなかった。
初対面の時から、刀麻は医師だった。若いのに立派な人だと、そう思っていた。そう感じた彼が自分で決めたことに文句は言えない。刀麻は医者でない自分は自分ではないと思っているように見える。だったら、タァヘレフには止める権利など微塵もない。どんなに寂しいと思っていても。
「いつ頃、出発されるのですか?」
「明後日。何せ人手不足らしいんでね。すぐにでも来て欲しいそうだから。」
向かいの席に座った刀麻は、もう医師の顔に戻ってしまっていた。
あれほど情熱的にタァヘレフを求めてくれた青年ではなくなってしまったのだろうか。
「一つだけ、あんたに確かめたいことがあったんだ。」
涙がでそうになるのを堪えていた彼女は、慌てて目元を押さえて顔を上げる。
刀麻の口調はなんだか奇妙な程真面目だ。一体何だろうかと気になって彼の眼鏡の奥の瞳を凝視する。
「プリンセスは12歳。・・・あんたは確か15でプリンセスを産んだって言ってたな?」
「は、はい。・・・それが、何か?」
「・・・俺よりも10は年上って、どういうことなんだ。」
彼の表情が段々と剣呑になっていくような気がするのは、気のせいだろうか。
「はい?だって、わたくしはもうすぐ28になります。貴方よりもずっと年上でしょう?」
「待て。あんた、俺をいくつだと思ってる?」
「18歳くらいではないかと・・・。」
「俺は26だっ!!いくら日本人は童顔に見えるからって、有り得ないだろ!飛び級してたって、ドバイには18歳で現役の医者なんていやしねぇぞ!」
「ええ?ええええ?そ、そうなんですか?わたくし、外国の事情に疎いものですから・・・。」
「どうなってんだあんたの知識。いいか、医者になるにはそれなりの学歴と実績が必要なんだ。10代で現役の外科医になるなんて神童でも無い限り有り得ない。」
「そうなんですか?アフリカでは、医者と呼ばれる方には特に資格も何も必要ないままということがあるので・・・。」
「あんたもプリンセスと一緒に院内学級で少し世界の常識を勉強して来い!」
10代だと思われていたことが余程悔しかったのだろう。刀麻はそのまま立ち上がり、休憩室を出て行ってしまった。
「トーマ・・・。」
そう言われて見れば、18の少年とはとても思えないふしはいくつもあった。
小柄で童顔ではあっても、いつも落ち着いた余裕のある態度であったし、自分に自信のある男性であることは、彼の言動を思い返してもわかる。
何より、アルジェに泊まった夜の刀麻は少年とは思えなかった。最中に他人に部屋へ侵入されても動じることのなかった彼。子供までいるタァヘレフはうろたえて刀麻の言う通りにするしかなかった。あんなことが出来るのが少年のわけがないのだ。
ただ初対面の時、随分若いな、と感じたままの印象がいつまでも抜けなくて、そのまま自分の中で定着してしまっていたのである。
それに、彼の年齢など真剣に考えるようなこともなかった。そんな余裕などなかったのだ。初めて会った時はプリンセスのためにどうにか彼に気に入られたくて必死だった。誘惑してでも彼を篭絡しなくてはと思いつめていた。
優しかった刀麻。子供達と発電機を組み立てている姿が可愛らしくて同じ子供のように思えた。身の危険を感じ取って、彼女を巻き込まないよう忠告してくれて。ただ一度関係しただけの間柄なのに、彼は職を捨ててタァヘルフを探してくれたのだ。
あれほど情熱的に『欲しい』と言われて、胸が痛かった。そんな風に求められたこともない。
自分の幸福を、望んでもらったことなど、一度もなかった。
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