第40話 次の場所へ

 ドバイの先進医療チームへ戻って母子を引き合わせる。

 感動の対面に、刀麻も満足げだ。涙もろいマックスが鼻をすすっていた。

 母親の身体をぎこちなく抱きしめるプリンセスの両手を優しく握って、タァヘレフは何度も、「ありがとう」と言った。

 プリンセスの面倒を見ていたワイド医師や他の看護師達も二人を見守っている。

 まだ暫くプリンセスは病院から退院することは出来ない。さらに言うならば、退院しても完全に病院から自由になることはない。彼女は臨床実験の被検者だった。退院後も検査を受けて経過を報告し続けなくてはならなかった。裏を返せば、自由になれない代わりに、生活が保障される。

「トーマ。お母様を探してきてくれてありがとう。」

 プリンセスがしっかりした発音で話しかけてくる。また上手になったようだ。子供は吸収が早い。

「どういたしまして。・・・よかったなプリンセス。諦めなくて。」

 タァヘルフは保護者として彼女に付き添うことが認められている。暫くは親子で院内生活となるが、問題ないだろう。

 病院には小児用の院内学級もある。学校へ通えない子供用の教育機関を設けているので、プリンセスも普通に勉強できるのだ。これで母親がそばにいるのだから、文句のない幸せな環境と言っていい。

 刀麻は医療チームを辞めている。親子を引き合わせた後は、病院にいるわけには行かなかった。

 彼はアルジェリアから戻るなりすぐに次の行き先を決めていた。NPOの『国境なき医師団』へ参加する。NPOの医療団体はどこでも医師不足だ。医師免許を持ってさえいれば大概どこでも受け入れてくれる。ただし、先進医療チームのような恵まれた設備と環境の中での診療というわけにはいかなくなる。給料も高いとはいえない。

 だが、刀麻はどこにいても医者だった。たとえ設備のないような場所へ派遣されても、彼に出来ることをやるつもりだ。

 親子を引き合わせたことで、命を助けられたタァヘルフへの借りも返した。

「タァヘレフ、いいか?」

「はい。」

 プリンセスが病棟へ戻っていくのを見送ると、刀麻は彼女を院内の休憩室へ促す。

 自動販売機の紅茶を買って腰を下ろしている彼女に手渡すと、刀麻もその向側へ座った。休憩室には、他に何人かの医師や看護師の姿が見受けられたが、刀麻の顔を知っているものが多く、連れであるタァヘレフを気にするものはいなかった。

 気軽く挨拶を返した刀麻が、カップのコーヒーを片手に話を始める。まだ、タァヘレフには話していなかったのだ。 

「俺はあんたを探すために、ここを辞めたんだ。だから、別の場所へ行かなくちゃならない。」

「え・・・。」

 彼女が大きな黒い目を見開いた。やがて、悲しそうにその目を細めてうつむく。

 アバヤではなく、普通のスーツを着ている彼女は、見慣れないけれど充分に様になっていた。ドバイのオフィス街には彼女のようなアラビア系キャリアの女性がたくさん見受けられる。少しも珍しくはなかった。

「わたくしのせいで、お仕事を辞められてしまったのですか?」

「別にあんたのために辞めたんじゃない。俺が自分でそう決めたんだ。だからそれは気にするなよ。」

「でも・・・。」

 自分のせいで、刀麻のような優秀な外科医が職を失ってしまったとは。きっと病院側に取っても大きな痛手となっただろうに。

 病院を辞めたことを言えば彼女が自分を責めるだろう。それは予想していた。だが仕方がない事だった。隠し続けることも出来ないだろう。小さく嘆息して、彼はコーヒーを口に含んだ。自販機のコーヒーはそれほど美味いわけではないが、とりあえず喉を潤してはくれる。

「もう次の行き先は探してある。だから気にすんな。」

「どちらへ行かれることになるんですか?」

 心配そうに尋ねる彼女は、申し訳ないと顔に書いてあるような表情だった。

 派遣先を聞かれ、刀麻は今度こそ、苦笑いする。

「西サハラ・・・モーリタニアだ。」

「まぁ・・・。」

 どういうわけか、砂漠から逃れられないらしい。

 こういうのもめぐりあわせというのだろう。あるいは、運命というものだろうか。

「NPOが派遣するところは、どうしても極貧地域か紛争地域が多くなる。俺、アラビア語は話せないって職務経歴書に書いたんだけどな。」

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