第36話 命がけの懇願
手を握り、優しく髪を撫でながら口付けを繰り返す青年に、夢中になってしまっていた。
「・・・なんていい女なんだ、あんた。」
刀麻はうわ言みたいにそんな言葉を投げかけては、彼女の肌をその手で撫でた。優しい手付きもぬくもりも、たまらなく心地いい。
時折ぶつかる眼鏡の硬い感触が陶酔しそうになる彼女の理性をかろうじて現実へ引き戻す。
「駄目です・・・!シアーズが、あの男が、来てしまう。やめてトーマ・・・!」
フランネルのシャツを引っ張るようにして青年を押し返そうとするが出来ない。出来ないはずはないのに。タァヘレフの方が背が高いし大柄なのだから。
なのに、刀麻が触れる場所がまるで痺れるように力を失わせていくではないか。
いくら気持ちを振り絞っても、脱力していってしまう。溺れて、夢中になって、他の事が考えられない。
「あっ・・・!駄目、駄目で・・・。あの男が、来てしまうのにこんなこと・・・。」
「見せ付けてやろうか。ガキなんかよりずっとあんたの方がイイってこと知って宗旨替えするかもな。」
「トーマ、トーマ・・・!お願いですから、お願いだから、やめて・・・!」
説得力の無い抗議。意味をなさない抵抗。
あんな変態男と話をするよりも、刀麻と睦みあうほうがどんなにか幸せか。比較するまでも無い。
だが、こんなことがあの男にばれたら。刀麻の存在を知られてしまったら。シアーズは刀麻をどうするだろう。彼と関わりのある人間までもが全て知られてしまうし、彼自身もただでは済まなくなるのではないか。
見張りの兵士には彼の来訪を知られていない。タァヘレフは、本当はシアーズの愛人ではない。ただ、シアーズのことを知りすぎているがゆえに軟禁され、娘の安否を知るまでは手放してもらえないのだ。
どれほどシアーズに問い詰められてもタァヘレフはプリンセスの行方は喋らなかった。喋れなかったのだ。知らないのだから、喋りようが無い。保護されたことだけを把握しているだけで、保護された後にどこへ連れて行かれたのかは、タァヘレフにはわからなかった。メディアの発表では、保護された子供達のことは報道されても、行き先や個人名までは公表されないからだ。
それでも、砂漠にいるよりはずっと希望がある。子供達が施設で教育を受けられる事を知った彼女は、二人の青年医師に感謝した。それだけでも彼らの未来は大きく違う。幼い頃に教育を受けた事は、その後の未来を変える。タァヘレフ自身がそれを痛感しているのだ。
シアーズに買われて幼い情婦となった彼女に、言葉の不便を感じてか彼は英語を教えてくれた。英語を理解し読み書きが出来るようになったことで、巷で普通に利用されているが砂漠ではまだまだ見かけないような機材などの扱いも出来るようになった。その気になれば、タァヘレフは刀麻が携帯している機器や端末も操れるのだ。それらのことは、砂漠にいたのではとても知り得なかった。
やがて成長したタァヘレフに飽きたのか、売られそうになっていることがわかった彼女は基地を逃げ出した。それが出来るくらいに、成長していたのだ。
部族の首長のみが所持している衛星通信が可能なコンピューターを利用することが出来たのも、彼女ゆえだ。そこから、タァヘレフはシアーズに連絡を取った。首長の私物をいじった以上は部族にいるわけにいかない。罰せられるのが目に見えていたけれど、無事にプリンセス達が国連軍に保護されることを確認するまでは、彼女はオアシスに留まっていた。
ところが国連軍の動きがあまりに速かったために、首長達は難民やタァヘレフなどにかまっている余裕も無く逃げ出してしまった。制圧されたオアシスで自分を捕らえたのは、数年ぶりに会ったシアーズだ。連絡したときから捉まることは覚悟していた。首長に罰せられるか、シアーズに捕まるか、どちらかであることはタァヘレフもわかっていたのだ。
「お前がわざわざ私に接触した来た目的はなんだ。部族を裏切ってまで密告してきた理由は?」
軍としては攻められる絶交の機会を与えられるわけだから利害としては問題ない。彼女の情報が本当であるならば利用しない手は無かった。だが密告者の真意をつかむために、当然生まれる疑問だ。自分に利の無い行動をする者を、簡単には信用できない。
高圧的に問いつめるシアーズに、タァヘレフが答えた言葉は、子供達の保護、だった。
その子供達の中にプリンセス、つまりシアーズの娘も混じっていることを知った彼は、保護された子供達を調べ上げたが、プリンセスの行方だけがわからなかった。
そのはずだ。彼女は両腕をつけるために先進医療チームへ預けられている。医療チームの患者の事は、守秘義務のために滅多なことでは外部へ洩れることは無い。
シアーズは娘の行方が知れるまでは、タァヘレフを飼い殺しにしなくてはならないのだ。
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