第34話 うるせぇよ。

 自嘲するかのような笑いが彼女の唇に浮かんだ。

「いいえ。シアーズはわたくしの事などもう相手にしませんわ。こんなトウのたったおばさんなんか対象外ですもの。」

「じゃあ、奴の狙いはプリンセスか?」

 タァヘレフが驚愕の余り身を震わせて握られた手をとっさに引こうとした。

 だが、刀麻は強く握って離さなかった。

 視線をそらせて逃げようとする彼女の手を引き寄せて、強い視線で見上げる。

「あんたが少女だった頃、こいつはきっと人身売買のいいお得意さんだった。あんたもこいつに買われた。・・・だが、あんたの母親はそれが許せなかったんだ。あんたを取り戻そうとしたあんたの母親は当時の首長にとっつかまって、それで首長に飼われなくてはならなくなった。このシアーズって男、結構な変態だってきいてる。年端も行かない少女ばかりを相手にしたがるそうだな。15を過ぎて娘を産んだあんたは、一度こいつに捨てられたんじゃないのか。」

 彼女は蒼白になって何も答えなかった。前歯が赤い唇を噛みしめているのがわかる。

 刀麻の言っていることは半分は調査上で知り得た事実と、残り半分は事実から推測できる想像だった。だが、それほど間違ってもいまい。タァへレフの動揺を見ればわかる。

「再び売られるくらいならとシアーズの元を逃げてきたあんたを、部族の首長は何人目かの妻にしたんだ。あんたはシアーズの元で英語をはじめとして砂漠では受けられない教育を受けていた。例えば、・・・通信機器の使い方や、メディアの利用の仕方、組織の内部。あんたはシアーズがどんな地位にいて、どんな人間であるかも知っていた。その気になれば、その昔シアーズがあんたを買った事だって強請りの種になる。何故なら、生きた証拠がいるからだ。」

「・・・トーマ、止めてください。」

「俺の言うことは事実だからやめてもらいたいのか。」

「違います。」

 否定するのも苦しそうだった。

「じゃあ、本当の事を言ってくれ。」

「あ、貴方は何しにこんなところへ来たのです!そもそも、立派なお医者さまである貴方がどうしてこんなところへ・・・!」

 問いの答えとは違う反応を見せる。ごまかそうとしているのが見えた。

 刀麻が立ち上がった拍子に、椅子が後ろへ倒れる。それにもかまわず、彼は逃げようとするタァヘレフを抱きしめた。

 少し、彼よりも背が高い。大柄な身体は、それでも刀麻の手に余ることなどなかった。

「あんたが欲しいからこんなとこまで来たに決まってるだろ!二度と、好きな女が知らない場所で死ぬことが無いように、あんたを探して、探して・・・!」

 血を吐くように低く強く叫ぶ。

 オアシスを去る国連軍の特殊車両の中で、悔しさに気が遠くなりそうだった。

 病院に戻っても、どこかで生きていないかと、その可能性をひたすらに考えて考えて。たとえどんなに小さな確率でもいい、それに縋ってタァヘレフが生きているという可能性を求めて調査を頼んで。徹夜明けでも資料に目を通し、何度も旧友を頼り。

 調書を元に自分の足でも調べまわった。元来は病院から殆ど出ないような職種なのに、こんなに自身の足を使ったのは久しぶりの事だ。

 好きでなかったら、とっくに諦めていた。こんなにもこの女性の事を知ることになるなんて、思いもしなかった。

「トーマ・・・」

「やっと見つけたんだ!もう、離さねぇぞ!」

「どうして、わたくしの事なんか・・・。わたくしは情婦だったのですよ?あなたよりもずっと年上で、その上子持ちで、シアーズのような男に見張られているのです。見捨ててくれなくては困ります。」

 自分を押さえつけるように、彼女は言い募った。

 タァヘレフはとても刀麻のような男に相応しい人生を送ってきていない。

 プリンセスを救ってもらった。子供達を助けてくれた。それだけで充分だった。それだけでも、刀麻には命を捨てて感謝したいくらいなのだ。

 優しくしてくれたことは一生忘れない。再び会えた幸運に、一生感謝して生きていけるだろう。

「うるせぇよ。俺は好きな女は絶対に諦めないんだ。少なくても生きているのなら、絶対に自分のものにすることを諦めないからな。」

 かつての婚約者だって根気良く長い時間をかけて口説いた。絶対に諦めなかった。その根気に負けて彼女は刀麻に最後にはなびいたのだ。実績のある自分に刀麻は自信がある。

「駄目です。いけません。」

 抵抗の意思を見せるタァヘレフに、刀麻はとっておきの切り札を切った。 

「お前はプリンセスの母親だろう。」

 急に娘の話題を出され、うろたえるタァヘレフ。

「・・・?そ、そうです。」

「じゃあ、俺のものにならなくちゃ駄目だ。」

 勝ち誇ったように笑い声で言う。

「な、なんでですか。」

「養女にするって約束しちまった。俺一人であんな生意気な娘を育てるのは無理だ。絶対に母親が必要だ。」

 震えて、どうしても抱き返せなかった彼女の手がゆっくりと刀麻の背中に回った。

 泣き笑いのような表情が、愛嬌のある笑顔に変わる。

「わたくしのような女なんか、貴方の邪魔になるのに・・・。」

「うるせぇよ。」

 照れ隠しなのか、怒ったような口調で横柄に言い放つ青年医師。

 随分と横暴な口を聞く人だったんだな、と思って、くすりと笑った。



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