第32話 指切りの約束
タァヘレフが刀麻のシャツの上に顔を乗せて息を整えていると、ノックの音が聞こえた。途端に二人は身構えるように身を起こし、音も無く立ち上がる。
彼女は人差し指をそっと刀麻の唇に触れさせ、声を立てずに部屋の奥へ促した。キッチンらしい小さな空間の向こうに、バスルームが見える。そこへ、入っていてくれと、身振りだけで合図すると、彼女はすぐに出入り口の方へ戻って行った。
アラビア語で会話する男と彼女の声が聞こえてくる。刀麻には相変わらず理解出来ない。片言程度ならばプリンセスに習ったが彼らの会話を理解するまでには至らなかった。ほどなくドアの閉まる音とロックのかかる音が聞こえて、彼女の小さな溜め息までもが聞こえた。
やがて、彼女がキッチンへ戻ってくる。泣きそうに思いつめた表情だった。
「今の男は。」
低く尋ねた刀麻に、タァヘレフは硬い表情で首を振る。
「答えられないような相手なのか?」
「・・・妬いて下さるのですか。」
「ああ、そうだ。気になるよ。」
真顔で答えた彼に、思わず笑いが込み上げた。
くすくすと上品に笑う彼女の笑顔が眩しい。久しぶりに見るその笑顔と声が、たまらなく嬉しかった。その笑顔を見て、刀麻も表情を和らげる。
「・・・プリンセスは。」
躊躇いつつも尋ねずにいられないその質問を、タァヘレフは投げかけた。図々しいとはわかっていても、聞かずにはいられなかった。ずっと会っていない娘の事が、気にならないわけが無いのだ。離したくて離したわけじゃない、捨てたくて捨て置いていたわけじゃない。娘と離れたのは、娘のためだったのだから。
あの時のタァヘレフの選択が、娘のためになったのかどうかを確認せずにはいられなかった。
その思いつめた疑問に、刀麻は明るく笑って答える。
「培養した両腕をほんの数日前に繋げたよ。・・・今リハビリの真っ最中だ。俺が病院を出るとき、指きりをしてくれた。」
ぱあっと輝くような笑顔になったタァヘレフが、薄く涙を目に浮かべる。
「指きり、ですか?」
「日本では約束するときに小指を絡ませて約束をするんだ。それをプリンセスに教えたら、まだろくに動かないのにどうしてもって・・・こう、するんだよ。」
彼女の右手を取って自分の小指と絡ませた。
「指きりげんまん、嘘ついたらハリセンボン、のーまーす。・・・歌いながら、約束するんだ。絶対に破らないって言う誓いだ。童謡のようなものだがな。」
「ユビキリゲンマン・・・ノーマース・・・。」
笑いながら、片言の日本語を歌ってくれる。愛らしい声だ。
「・・・ありがとうトーマ。ありがとう。なんて感謝したらいいか、言葉が見つかりません。本当にありがとう。」
「あんただって、俺達を救うために危ない橋を渡っただろう。よく無事でいてくれた。」
「わたくしはただプリンセスのためにしただけですわ。トーマ達に死なれては子供達が助かりませんもの。」
「じゃあそう言うことにしておいてやる。あんたは俺に貸しが出来たな。」
「はい。」
絡ませた小指を丁寧にはずして、彼女は手を離した。
細い指だ。刀麻はそれほど大きい手を持っているわけではないが、それでも彼女の指が細く見えた。
「少し、話せるか?」
「・・・どうぞ、何か飲み物をご用意します。こちらへ。」
彼女はキッチンからリビングと思われる部屋の方へ案内し、刀麻を椅子に座らせる。
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