第29話 時間がない
刀麻は私室へ戻ると、自分宛のメール便を全て確認する。
専用の小箱に入っているたくさんの航空便を整理して、その中から探していた封書を見つけ出した。
消印はイギリスのロンドンである。
旧友に頼んで、イギリスの軍籍関係を調べてもらっている。
刀麻の旧友は、英国屈指の財閥の身内だ。現在も大きな権力のある貴族でもあるために、多くのコネを持っていた。
プリンセスの父親は、ナトー軍の英国人将校だったと聞いている。確かに10年以上前にナトー軍がアルジェリアで活動していたことがあるのは当時の報道記事を見ればわかることだった。その頃は国連ではなく、ナトー軍が紛争鎮圧のために乗り出していたことがあったのだ。当時、現在よりも北アフリカ諸国と欧州は密接な関係があり、欧州共同体から経済援助や軍事援助が堂々となされていた。やがて政治的ないざこざやアラブ諸国の台頭によってアルジェリアは欧州からの軍の撤退を望むようになり、近年は自国軍のみで紛争の対応へ追われていた。
プリンセスの年齢を逆算して、彼女の母親が妊娠したと思われる年代に、アルジェリアにいたナトー軍の将校を洗いざらい調べている。
タァヘレフがあれほど美しい英語を話していたと言う事は、教えた英国人もかなりの特権階級と踏んでいいだろう。たたき上げの軍人ではなく、おそらくは士官学校でのエリートに違いない。もしかしたら、貴族出身のお坊ちゃまというのも充分に考えられる。
その男に、
「仏心で貴方の娘が無事に成長してここにいますよ」
などと、教えてやるつもりなどは勿論ない。そんなことではなく、刀麻とマックスが無事にあのオアシスから救出されたとき、もしもあの砦の場所を密告したのがタァヘレフであったならば、彼女が頼れるのはこの英国人将校なのではないかと考えたからだ。
彼女はプリンセスの父親については覚えていない、と言っていたが、それはあくまでその場だけの嘘で。あるいは、閨を共にした刀麻への気遣いからそう言っただけで。本当は、彼女はプリンセスの父親の事を調べ上げていたのではないだろうか。
あれほど娘の事を考えていた彼女だ。見ず知らずの東洋人にさえ縋ろうとしたのだから、父親に当たる英国人を頼ろうと考えるのは当然である。
そして、国連軍を動かすほどの密告が出来たというのが、余りにもおかしい。その密告に、内容を保障する後ろ盾があったからではないだろうか。
刀麻の推測は。
タァヘレフはプリンセスの父親に当たる男が何処で何をしている男なのか本当は把握していた。そして、何かあれば頼ることが出来るような手段を持っていたのだ。
その男は、当時はナトー軍だったかもしれないが、現在は国連軍に所属する軍人となっているかもしれない。元がエリートなのだから、かなりの地位についていると考えられる。彼女はその手段を利用し、あの日、国連軍にあの砦の場所を教えて、先進医療チームの医師二人の救出を依頼した。だからフランスの特務部隊までが動いたのだ。
今もその男の下に身を寄せているのならば、タァヘレフが生きている可能性は充分にある。
封書を開け、僅かな言葉が書かれた手紙と、それに添付された小さなメディアを見つけて机の上の端末にセットする。
英国からナトー軍へ、そこから国連平和維持軍へ動いた人間のリストが長々と送られて来ていた。平和維持軍の司令部で元ナトー軍だった人間はそれほど少なくない。だが、英国籍で、プリンセスが生まれる一年程前にアルジェリアにいた人間となると限られてくる。
リストには勿論顔写真も掲載されている。パラパラと長し見ていたが、その視線が止まる。写真を見ただけでわかった。
国連平和維持活動軍事参謀委員の一人である、エセルバート・シアーズ。英国籍で、元ナトー軍陸軍大佐。
プリンセスに似ていると思った。顔立ちも多少似ているが、何よりもこの青い目が似ている。解像度の高い写真だから、信用できるだろう。
「・・・結構なジジイじゃねぇか。」
見た目、その地位から察しても40は超えているはずだ。いや、もっと行っていてもおかしくは無い。60代でも有り得る。
国連軍はアルジェ近郊に駐屯して基地を置いている。そこに、この男はいるはずだった。
・・・問題はどうやってこの男に会うか、だな。
サハラ砂漠での別れからもう3ヶ月が経っていた。
特殊部隊に頼んでオアシスの砦制圧後も彼女の姿を探してくれるように頼んだが、妙齢の女性どころか、ラクダ一匹戻ってくる様子も無いそうだ。彼女の部族は別の拠点へ完全に移ってしまったのだろう。だが、あの砦が落ちたことでかなりの兵力を失っている。もはや抵抗勢力たる力はないに等しい。タマランセットでの紛争は間もなく完全鎮圧へ向かうだろう。
そうなればこの男も国連本部か元のナトー軍、もしくは英国軍へ戻ってしまうかもしれない。余り時間の猶予は無かった。
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