第23話 願い

 マックスが静かに彼女の前に進み出て、尋ねた。

「それを俺達に言ってどうするんだ。俺達に何が出来るっていうんだ?」

 タァヘレフは少しだけ苦笑して、一度目を伏せ、それからまた目を上げて、二人の医師を見つめた。

「ドクター達がここから無事に逃げおおせたときに、この子達のことを思い出してほしいのです。万が一、アルジェリア正規軍や国連軍に攻められたらあの子達を殺さないで。このオアシスを落とそうとする軍の司令部が拉致されていたドクター達にこの場所について尋ねるでしょう。その時に、どうかこのテントの事を・・・思い出して。」

 彼女が言う事はわかる。

 紛争の犠牲となって天涯孤独となったこの子供達の事を、救って欲しいと言うのだろう。

 しかし、一介の医師に過ぎない彼らに何が出来るというのだろう。まして今や捕らわれの身なのだ。

 仮に運よくここを抜け出し、どこかの軍事基地に逃げ込めたとしても、司令部のようなおえらい連中が彼らの意見など求めるなんてありえない話だ。さらに万が一の可能性でそれがあったとして、この場所が厳密にどのあたりであるかもよくわかっていない二人に、一体なにが出来るというのだろう。

 しかし、彼女の目は本気だ。

 こちらを見る黒い瞳は、強い思いに揺れている。

「・・・わたくしが、先ほどの場所までお送りいたしますわ。見張りや衛兵にばれない道をプリンセスから教えてもらっていますから。」

 別棟の患者がいる建物まで戻って来ると、マックスがまるで気を利かせるように先に中へ入った。ごゆっくりどうぞ、と小さな声で刀麻に耳打ちして。

 猫の爪のような三日月が浮かぶ夜空の下で、タァヘレフはもう一度軽く頭を下げて言った。

「先ほど申し上げたこと、忘れないでくださいね、ドクター。」

 まるで最後の希望にすがるような言葉だった。

 そのくらい彼女は本気で言っているのだ。どうせ無理だろうから、などという軽い返答など冗談にさえならない深刻さだった。

 彼女のその強い視線に何か気にかかるものを感じたが、刀麻はそれとは別の話をした。

「今日の夕食、あんたじゃない人が持って来た。」

「はい。わたくしは今日首長からドクター達の世話をやめるよう命じられました。皆病気を恐れてあそこに近付きたがらないのでずっとわたくしに一任されていたのですが・・・。」

「そうか、やっぱりな。・・・もう、あんたもここ近付かないほうがいいぞ。プリンセスも、寄せちゃ駄目だ。」

「何故ですか?」

「とばっちりを食ったらしゃれにならねぇ。多分、あんた達の首長さんは患者が治ってきたのでそろそろ俺達が邪魔になったんだろう。いつ、殺されそうになってもおかしくはない。今夜の食事も、下手をすれば毒でも入っているかと心配で口にしなかった。いいか、わかったな?近付くなよ?」

 東洋人医師の忠告に、タァヘレフは青くなった。

「そんな・・・ドクターを殺すなんて、そんな馬鹿な。こんな立派な方々を・・・いくら首長でもそんな馬鹿なことは・・・。」

「俺達の杞憂ならそれでいいんだがな。まあ、すぐにはっきりするさ。そんなにいつまでも食事を抜けるわけじゃないから、いずれわかる。」

「ドクター・トーマ・・・。」

 自分より僅かに背の高いアラブ女性の首に手を伸ばして、軽く下へ傾けさせる。

 やわらかくキスをして、すぐに放してやった。

「トーマ」

「おやすみタァヘレフ。もう、ここへ来ちゃ駄目だぜ。じゃあな。」

 そう囁くと、彼はドレッドが随分と抜けてしまったしまりのない髪をかきあげながら部屋の中へ入って行った。


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