第21話 死にたくないだけ

 マクシミリアン医師は、機嫌良さそうに患者の快癒を喜んだ。

「『セレブ』の兄ちゃんはかなり良くなったな。最初はこっちの方が重体かと思ったが、背中の傷の治りもいいみたいだ。」

 だが、刀麻は彼のように手放しには喜べない。患者が快方に向かうことはいい。傷の治りがよいことも。ただの病院の医師ならば刀麻も同様に喜ぶところだ。

「そろそろ起き上がれるようになるだろ。今に、俺達の許可を得ずに勝手に動き出すだろう。・・・下手をすれば、寝ている間に刺されるかもな。」

 物騒なことを口にして注意を促す同僚に、マックスが身震いをする。

「怖いこと言うなよ・・・なんで俺ら恩人なのに殺されなくちゃならないんだよ?」

「二人が治れば用済みだ。下手に生かしておいて、逃げられて余計なことを喋られては困るだろ?マックス、今夜からは交代で眠ろう。念のためだ。」

「なんだよ、マジかよトーマ。なんでお前そう落ち着いてられるんだよ。」

 顔色を変えた同僚に、刀麻は嘆息してから答える。

「・・・飯、必ずタァヘレフが持ってくるだろ。水もな。」

「あ?ああ、そうだな。やっぱ英語話せるの彼女だけだから・・・。」

「飯と水持ってくるのに、言語は関係ない、お前はアラビア語出来るんだし。・・・俺はね、彼女が俺らの世話を焼かなくなった時がヤバイと思う。」

 物資部屋で器具や薬の整理をしながら、刀麻は遠い目をして言った。

 数少ない術用の道具を一つ一つ点検するように見る。メスや鉗子等の道具は全て滅菌された真空パックに入ったままだった。何本か選んで、彼は白衣のポケットへ放りこむ。

「なんでだよ?」

「・・・医療の事はわからなくても、毒薬を飯に仕込むくらいのことは出来るだろうからさ。」

「トーマ、止めてくれよ、マジで怖いんだけど。」

「本当のテロリストってのはそう言うもんだろ。目的のためには手段は選ばねぇ。・・・他人の命なんざ、道端の石ころよりも軽い。」

「・・・お前、何者なんだよ?どうしてそんなことを・・・。」

 マックスは隣りで話していた同僚から僅かに身を引いた。 

 緊迫した事態を受け止めて冷静に対処を言葉にする刀麻を、どこか恐ろしいものでも見るかのように。

「お前と同じ外科医だっつの。死にたくないだけだよ、俺は。」

 呟いてから、何故か自嘲が洩れた。死にたくないなどという言葉が、まさか自分の口から簡単に滑り出てくるなんて。

 婚約者だった彼女が死んだあの日から、いつだって死は刀麻の身近にあった。医師なのだから当然だけれど、その日まではこの仕事に就きながらもどこか死は別のところにあるような気がしていた。

 だが、彼女が亡くなったあの日から急に人の生死が自分の近くに存在するように思えたのだ。そしてそれは今も変わらない。

 死にたいと言ったことも思ったこともない。けれど、死にたくないと思ったこともなかった。

 それなのにこんなに簡単に口から出てくるなんて思いもしなかったのだ。

 複数の足音が聞こえた。 

 刀麻が立ち上がって部屋の戸口へ足を運ぶと、マックスも顔を上げる。

 長い屋敷の廊下に、平たく長いテーブルが無造作に置かれ、そこに夕食と思われる料理が乗せられていた。傍らには水差しもある。

 持って来た人影は後姿が僅かに見えただけで、その衣装から察するに、作業服の衛兵達だったのだろう。

「見ろよマックス、おいでなすったじゃねぇか。」

 床の上に置かれた夕食のメニューを見て、刀麻は憎らしいほど冷静に呟く。彼は、同僚が生唾を飲み込む音を聞いた。

 勿論、その音がマックスの喉元から聞こえたのは、料理が美味そうに見えたからではない。


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