第19話 あきらめない
「・・・あんた、首長の情婦か何人目かの奥さんって奴だったんだな。」
ぽつりと、医師が言う。
「一応、妻と言う形ですが、情婦と同じです。」
答えたくないけれど、答えないわけにも行かないタァへレフは、少し躊躇った後に答えた。彼の言う自分の身の上を、知られたくなかったと思ってしまったから。
「ごめんな。・・・痛かっただろ?俺と一晩一緒にいたから殴られたんだな?裏切り者って、そう言う意味なんだろ?」
タァヘレフは驚いたように身を震わせた。
何故、刀麻が謝るのかわからなかった。彼は何も悪くなど無い。申し訳なさそうに眉を寄せている東洋人の医師は、軽く頭を下げた。
「覚悟していましたから・・・それに、わたくしから望んだことですもの。」
「んー、ヤっちまってから言うんじゃ説得力無いんだけどさ、いくら娘のためとは言っても、もっと自分を労わってくれよ、タァヘレフ。俺、殴られたあんたを見て、凄く後悔しちまった。先に引っ張り込まれた小娘を一晩中部屋に座らせておくほうがよっぽどよかったよ。・・・悪かったな。」
本当にすまない、今一度言って、刀麻は軽く目を伏せてから再び彼女を見た。
彼女は慌てたように反論する。彼が言った後悔という言葉に胸が痛んだから。
「謝らないで下さい。・・・わたくしは、望んでトーマのもとへ参りました。今も少しも後悔などしていません。・・・わたくしは、嬉しかったのです。」
「なんで?」
「貴方がとても立派な方であると知りました。そういう方のお相手が出来たことはこの身に余る栄誉です。それに、貴方はとても優しかったではありませんか。」
余りに持ち上げられ、刀麻は少し照れてしまったから軽く冗談のように呟いた。
「ははっ。・・・惚れたか?」
月が雲で時々陰る。
タァヘレフの美貌が闇に隠れ、また現れる。はっとするような美しい顔に血の色を昇らせていた。
少しだけ、この年上のアラブ女性が可愛らしい、と思えてしまう。だから、冗談で言ったんだと言っていいものかどうか迷った。
そして、困らせたくないとも思うから、刀麻は明るく笑う。
「冗談だよ、タァヘレフ。気にするな。もう、ここまででいいぞ、後はわかるから。明日の朝になったらまた誰かに呼んでもらうな。お休み。」
「・・・トーマ。・・・おやすみなさい。」
いつの間にか着替えていたのか、白衣の裾を翻して彼は別棟へ歩き去って行った。
彼女は、立ち尽くし、その小柄な後ろ姿が消えるまで眺めていた。
自分よりもはるかに若い東洋人の医師。きっとさぞかし優秀な人なのだろう。病院では、将来を約束されているようなエリートなのかもしれない。
けれども、優しくていつも労わってくれて、それでいて厳しいこともきっぱりと言うその男は、ここにいる間自分以外の女性とは一切意思疎通が出来ないのだ。彼はアラビア語もフランス語も喋れない。通じるのは自分が話せる英語のみだ。その事がこんなに嬉しいなんて。
英語を教えてくれたプリンセスの父親は酷い男だったけれど、教育をしてくれたことにだけは感謝したい。
彼が英語を教えてくれていたから今、刀麻とこうして話が出来る。彼と出会うことが出来たのだ。
刀麻は医師の限界だ、と言っていた。
どんなにがんばっても、薬や医療機器や技師の揃わない場所では最新の医療が望めない。だから、今、ここではプリンセスには何もしてやれない、と。
それは、裏を返せば、それらの揃う場所なら、望めるということだ。
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