第9話 彼女の目的

 かつての恋人と恋仲になったその頃、刀麻は医師になるために欧州の大学へ入学することが決まっていた。

「最初から、遠距離恋愛だった。最初は日本とイギリス、次にドイツ、アメリカ・・・気まぐれに欧州を訪れる時に会えるくらいで、中々会えなかった。」

 刀麻が立派な外科医となって日本に戻ってきても、彼女は相変わらず上司に振り回され、刀麻は仕事に忙殺される日々。

 すれ違うことの多い二人の交際は、忍耐強い彼女の性格と、とにかく彼女の虜だった刀麻の努力の賜物で順調に進んでいた。

 忙しくても、めったに会えなくても。だからこそ、会えた時間を大切にしていた。

 刀麻は彼女に会えた日は徹底的に彼女に尽くし、甘やかし、可愛がって。彼女もそんな彼に素直に答えて。

「・・・羨ましいですわ。その方はとても幸せだったのですね、ドクターのような優しい方に大事にしてもらえて。」

 タァヘレフが囁くように言った。

「そうだろうか。」

「・・・そうですとも。お話をうかがっているだけでドクターがどんなにその方をお好きだったか、大切にしていらしたのか、わかりますわ。それがお相手に伝わらないわけがありませんわ。きっとその方は幸せだったのです。」

「もう知りようもないけどな・・・。」

「その方が本当に羨ましい。女ですもの、大切にされれば必ずわかります。」

 本気でそう思って言っているのか、あるいはお世辞のつもりで持ち上げて言っているのかは刀麻にはわからなかった。

 泣き顔まで晒したついでに、ずっと誰にも言えなかった思いを彼女の前で吐き出してしまったのは、関係を持った気安さだからなのか。あるいは、全く日本とは関係のない人だからなのか、それも刀麻自身、わからなかった。

 夜風が吹いて、窓のカーテンが揺れ、夜空に月が昇ったのが見える。

 その夜風が冷たくて、思わず身震いした刀麻にタァヘレフがそっと毛布をかけた。おもむろに立ち上がり、窓を閉めて風が入らないようにする。それから、出入り口のドアの方へゆっくりと向かうので、

「もう、行くのか・・・?」

 どこか寂しそうな声で刀麻が聞いた。

「ドクターのお身体を休ませて差し上げないと・・・。」

 彼女は慎ましげにそう答える。

「ここでは英語が通じるのはあんただけだろう。明日も、来てくれるのか?」

「お召し、とあれば。・・・外を見張っている兵士にわたくしの名前をお伝え下さいまし。きっと参りますので。」

「わかった。・・・お休み、タァヘレフ。」

「お休みなさいませ。」

 静かに出て行った彼女の方を暫く見つめていたが、やがて億劫そうに立ち上がり、ベッドへ上がる。

 彼女の体臭と服に仕込まれていた媚薬のような香りが寝具に残っていて、なんとなく気恥ずかしい。でも、嫌ではないと思った。



 翌朝寝坊して起きてきたマクシミリアンは、屋敷の中庭で日曜大工が行われていることに気が付き金色の目を丸くした。

 しかも、それをしているのは同僚の刀麻と例の女性、そして10歳前後の子供たちなのだ。

「こんなもん作るの、小学校の図工以来だぜ。・・・おい、そっちのボーヤ、工具取って来い。」

 ぶつくさと溢しながらも、刀麻は頭に布を巻いて直射日光を避けながらトンテンカン、やっている。周囲には、部族の中でももっとも下に該当するような身分の低い子供達だった。

「オーイ、刀麻、おはよう。」

 廊下側から見える中庭は結構広いので、作業場としては申し分ないだろう。そこへ寝癖のついた頭を掻きながらマックスが声をかけた。

「おはよう、マックス、起きたのか。」

「お前朝から何やってんだよ?」

「・・・停電してんだよ。だから、人力発電機つけてバッテリーつないでる。」

 傍らで座っていた女性、タァヘレフがもう一人に医師であるマックスにも軽く会釈をした。

「タァヘレフ、自転車はあるか?ボロいんでもかまわないから。」

「自転車ですか?・・・まあ、あるとは思いますが。」

「子供達に頼んで使えそうな奴をここに持ってくるように言ってくれ。全く・・・仮にも医療させようって現場なら自家発電か予備電源くらい用意しとけっつーの。」

「フムフム。・・・まぁ、確かにね。その通りだ。」

 同僚の言葉に同意してから、マックスは中庭の子供たちの中に一人だけ少女が混じっていることに気が付いた。10歳前後と思われる彼らのほとんどは少年ばかりなのに、ぽつんと一人女の子が少し離れた場所から作業を立って見つめている。民族衣装の長いドレープが少女の体つきを隠していたが、マックスにはなんとなくわかった。

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