第10話 人間以外に、貨幣を使う種族はいない
俺が教えられたとおりの場所に行くと、小さな黒い影を見つけた。
農場で人が来ないためか、アデルがフードを外している。
相変わらず真っ黒い顔で、目鼻の位置すら判然としないほど黒い。
「アデル」
「おや? カロンかい。戻ったんだね。魔王領はどうだった?」
「どうも何も、街に来るときに通っただろう。あのままだ」
「まあ。そりゃそうか。ああ……ケンを離さないでおくれよ。フランソワが怖がるからね」
アデルは言うと、地面にかがみこんで小さな生物を手のひらに乗せた。
手のひらが黒いので、その生物は浮き上がって見える。
「……トカゲか?」
「そうさ。この子も、この世界に来たばかりなんだ」
アデルは、手のひらにトカゲを置いて、その背を撫でた。
トカゲは気持ちよさそうに目を閉ざす。
「カロン……あのトカゲ、俺が殺しかけたんだ」
「そりゃ仕方ないな。その時は多分、ただのトカゲだったんだろう。死にかけたから、俺たちの世界の誰かの魂が入ったんだろうな」
「……そういうこともあるんだろう。でも……俺には、あのトカゲが話したことが理解できないんだ」
ケンは、俺の腕に抱かれたまま、前足を舐めた。
たまたま、トカゲに入った魂が無口な奴だった、ということはありうるだろう。
「アデル、フランソワとは話したのか?」
「ああ。さっきから話しているだろう。『眠いから、ちょっと休む』ってさ」
言いながら、アデルも座り込み、うたた寝をし始めた。アデルの手の中で、トカゲが寝ている。
「ケン……死にかけていたこのトカゲを、アデルが回復させたんだな?」
「ああ。魔法を使っていたよ」
「このトカゲと話しをしたのは、アデルだけか?」
「キサラも、話したことはないはずだ」
「どうしてアデルは、このトカゲが転生者だって判断したんだ?」
「話したからだろう? 転生者でなければ、小動物が話せるはずがない……だよな?」
ケンが言うことはもっともだ。それがケンの認識であることは間違いない。
「俺は、ほとんどの動物と話せる」
「はっ?」
「だが、アデルはそうじゃないはずだ。転生者としか話せない。だが……元々、アデルの肉体と脳は悪魔族のものだ。トカゲの言葉をもともと話せてもおかしくない。今のアデルが、そのことを知らなくても仕方がない」
「……今までは話せなかったのに?」
「俺の仲間に、昔はララというネコがいた。そのネコが仲間からはずれたのは……この世界のネコの体が、異世界のスキルやステータスを侵食して、戦うことができなくなったからだ」
その後、魔王であるダニの住処となり、魔王として君臨したことは、俺は言わなかった。
「……アデルもそうだって言うのか?」
「わからない。アデルはテイマーだし……トカゲをペットにしたいなら、それもいいだろう。フランソワって名前をつけるのも自由だ。俺が口出しすることじゃない。アデルの気の済むようにさせるしかないな」
「……難しいな」
「キサラの子どもたちのことを相談したかったけど、これじゃ無理か……」
俺は、ケンを地面に下ろした。さすがに、アデルの手のひらにいるトカゲを狙ったりはしないし、アデルのペットを捕まえようとはしないだろう。
「キサラの子ども? ネズミたちのことか? 何か気になるのか?」
「自分以外の生物に言うことを聞かせるというのが、ただの親子関係からくるものか、魔法やスキルといったものなのか、わからない。それ次第で、どの程度使えるかわかるだろうと思っただけだ」
「俺も、子どもを産めば従えられるのか?」
「ケン……お前は雄だ」
「なに? あっ……本当だ」
ケンがなにを見て納得したのかは、俺は追求しなかった。
※
夜になり、キサラが農作業を終えると、俺たちは作業小屋として与えられていた部屋に集まった。
農園の一画を任せられたが、他の農夫たちと一緒の生活は出来ず、結果として、藁を積み上げた農作業小屋を自由に使っていいものとして与えられたとのことだ。
ただの小屋に住み着くことになったのも、この中に人間がいないこともあるだろう。
小屋の半分は藁が積み上げられ、壁際に鍬や鋤が立てかけてある。
アデルがフランソワと呼んでいたトカゲは、転生者ではなくアデルと話ができるトカゲだと判明した。
「そう言われてみれば……言葉が妙に片言だと思っていたんだ」
アデルが、手の上のトカゲを見つめる。
「言葉はどこで覚えた?」
「……さあ」
俺が問うと、フランソワは首を傾げた。
「人間と話したことはあるかい?」
「あんたが初めてだよ」
「アデルとは話しただろう?」
「……その人……人間なのかい?」
「いや……違うな」
フランソワの言葉に、俺は頷いた。
「アデルは、トカゲ族の血が混ざっているのか?」
「知らないよ。カマキリから一度死んだところで、元悪魔族の記憶の大部分は消し飛んでいるんだ。あたしから見たら、トカゲと普通に話しているカロンの方が異常だと思うけどね」
「俺からは、アデルもカロンも同じに見えるよ」
傍で見ていたケンが言った。
「そうですとも」
ほぼ同じくらいの体格の子どもたちの食事の世話を焼いていたキサラも、ケンに同意する。
「……アデル、フランソワをどうする?」
「フランソワが一緒にいたいなら、構わないさ」
「だそうだが?」
「いいよ」
言うと、トカゲのフランソワはアデルの体を登り、棘だらけと思われるアデルの髪を器用に掻き分け、頭の上に収まった。
「フランソワとアデルのことはいいさ。問題は、キサラだ」
「えっ? 私?」
ネズミが名前を呼ばれて、まん丸い目を俺に向ける。ネズミの目が丸いのは、構造上の問題なので仕方がない。
「農場で、農夫としてやっていけそうか?」
「……人手も増えたし、全く無力ではないと思うけど……」
「ネズミたちだけで大丈夫か?」
「あの……なにを言っているの? ネズミの体で、雑草を一本抜くのにどれだけかかると思うの? 細かな作業は得意だけど、トマトみたいな野菜を収穫しようとして、地面に落として割った時の悲しみが理解できる?」
キサラが前足を動かしながら言った。実際にさまざまな農作業に挑戦したのだろう。思い出して、体が動いてしまっているのだ。
「無理をさせるつもりはないんだ。自立できるなら、それに越したことはない。でも……できないなら、フォローが必要だ。農場は雑草も生えていないし、綺麗になっていたようだが……」
「あたしが草むしりして、キサラに言われて耕していたからね」
アデルが口を挟んだ。
「……つまり、アデル抜きでは無理だろう。キサラのために俺やアデルが農夫になるなら、魔物を狩った金で人を雇う方が早い」
「キサラはケンの同族に駆除されるってことになるね」
「ケン、落ち込む必要はなさそうだぞ」
「うん。そう思っていたところだ」
「なによ」
キサラが舌を出した。俺がいない間になにがあったのかはわからないが、ケンとキサラの仲はあまりよくないらしい。
「借りている農場の仕事は当面続けるとしても、ケンとキサラでどんな仕事ができるか、考えなくちゃならないな」
「後……試していないのは、鍛治士と商人だな」
ケンが言った。俺は、ネコの額を撫でた。
「例の経営シミュレーションに縛られる必要はないさ。人間から敵視されていて、どうやって商売をする? その手で、なにを持つ?」
「相手が、人間がなきゃいいのかしら?」
キサラがつぶやいた。アデルが首をふる。
「人間以外に、貨幣を使う種族はいないよ。でも……金を稼ぐのが商売だっていうなら、毎日草をむしる以外に、方法がありそうだね」
「草をいくらむしっても、誰も金はくれないしね」
ケンが口を出し、アデルに睨まれる。
ケンは、ごろりと丸くなって背を向けた。
まじめに話をするには、ネコの体には負担が大きいらしい。
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