第9話 ネズミの成長は早いですから
俺が農場を訪れると、長い尻尾を真っ直ぐに上に立て、ゆっくりと左右に揺らしながら圃場を周遊する茶色いネコがいた。
「……ケンか?」
俺が、ネコの横に並んですわりこみ、話しかけた。
「おっと……カロンか。脅かすなよ」
「悪い。脅かしたつもりはなかったが、すっかり農場の主だな」
俺は、ゆっくりと圃場を歩くケンの姿を褒め称えた。
だが、ケンは嬉しそうではなかった。
「嫌味にしか聞こえないぜ。俺は、農場じゃあ役立たずだ。圃場を荒らすモグラやネズミを狩るぐらいしかできない」
「猟師だろう? 立派な仕事じゃないか」
「ただのネコができるのと同じことをしたところで、誰が俺に金を払ってくれる? 倉庫のネズミ捕りだって……あのソフィリアって姉ちゃんが、カロンを傭兵として雇うための口実で、俺に仕事を与えたんだろう?」
「そうなのか?」
「ソフィリア本人が、アデルに言ったんだ。その時、俺はアデルに抱かれていた」
「ケンに人間の言葉が理解できるとか……考えるはずもないか」
俺は、ソフィリアを思い出す。商会代表の嫡子で、商会を切り盛りする手腕もある。ネコに捉えさせたネズミの革を売っていた俺を、傭兵として見込んだだけの目利きもできるらしい。
「じゃあ……今は何をしているんだ?」
「俺はネコだ。モグラやネズミを狩るのに、猟師である必要はないってことさ。今の俺は農夫だ。農夫なんて格好悪いと思ったが……それも、ネコじゃ役立たずだ。俺も、キサラみたいにネズミに生まれればよかった」
「キサラは……そういえばどこにいるんだ?」
俺はケンに触ろうとしたが、馴れ合うのが嫌なのか、ケンは俺の手を避けた。
「向こうで、野菜の手入れをしているよ。こんな肉球より、よっぽど器用なんだ」
ケンが前足を持ち上げた。
俺は、ネズミの前足をしっかりと見たことはない。小さな体の割には、器用になんでもできるのは知っていた。
「でも、ネズミだろ。ネコの方が力は強いし……」
「農夫に力って、意味ない気がするよ。人間みたいに道具を使えるなら別だけど……」
ケンが元気がないのは、キサラが有能だったからだろうか。
「キサラは、農夫としてしっかりやっているってことか?」
「ああ……元々、経営を勉強して実家の農家を助けたいって思っていたらしいから、異世界で農業やるのは楽しいんだろう。いいよな、天職って……」
俺は、ケンが指した方向にいってみることにした。
ケンがこれほど落ち込むほど、キサラは成功しているのだろうか。
「おっと、カロン、それ以上近づかない方がいい。踏み潰しちまうぜ」
低い山が作られた畝に、青々とした野菜が植えられている。
元の世界のケールという植物に似ている。青汁の原料としても有名だが、丸く育つとキャベツと呼ばれる万能野菜だ。
「踏み潰す? そこまでは小さくないだろう」
俺が足を止めた目の前で、育ちつつある青菜の影から、飛び上がったものがいた。
空中でひらひらと舞う蝶に似た昆虫を捉え、前足で掴んだまま地面に押し付け、噛み付いて殺した。
簡単に言うと、ネズミが蝶を捕まえたのだ。
「よくやったわね。偉いわ」
言ったのは、虫を捕まえたネズミではない。野菜から、別のネズミが出てきて、蝶を口にしたネズミの頭を撫でた。
振り向き、びくりと全身を震わせた。
「ネコ?」
「キサラ、俺だよ」
「ああ……ケンね。驚かさないでよ。突然近くにネコがいるなんて、悪夢そのものだわ。もしケンじゃなければ、私もこの子も食い殺されていたところよ」
「わかったよ。それより、話していたカロンが戻った。最初に会っただけだから、会いたがっていただろう?」
「えっ? どこ?」
キサラはきょろきょろと周囲を見回した。
ケンが俺の足を叩く。俺が腰を追ってネズミの顔を覗き込むと、キサラは悲鳴をあげてひっくり返った。
ネズミにとっては、人間は視界に入らないほど巨大であるらしい。
※
俺は、キサラが仲間になった直後、正確にはキサラが失神した直後に魔王領捜索隊に参加した。
キサラは俺のことを覚えていなかったが、カロンという名は聞いていたらしい。
俺がカロンだと知ると、ネズミの体でよくもと思えるほど、真っ直ぐに立って小さな前足で敬礼した。
ケンが羨むように、確かにキサラの手は小さいが、器用そうに見える。手全体のサイズに比べて、指が長いのだ。
単に、ネコであるケンが短すぎるというのはあるだろうが、物を掴むこともできそうだ。だから、垂直の壁も走って登ることができるのだろう。
「敬礼するなんて大げさだな。俺は、何もできないよ」
「世界を救ったのでしょう? 敬意を評するのは当然です。さあ、貴方達も出てきなさい」
キサラが敬礼をしたまま、誰かに呼びかける。ケンが面白くなさそうに背中を向けた。
すると、畑に植えられた野菜の影から、わらわらとネズミたちが集まってきた。
その数は10匹ほどだ。
「これは……」
「私の子どもたちです」
「えっ?」
キサラの報告に、俺は耳を疑った。
「子どもたちです」
声が小さくて聞こえなかったと思ったのか、キサラが言い直した。
「……キサラが産んだのか?」
「はい」
「この世界に転生した時、器だったネズミが、すでに身ごもっていたのか?」
「いいえ」
「ああ……オスのネズミと交尾して……」
「つくりました」
キサラがまん丸い目で報告する。
「早すぎないか?」
「ネズミの成長は早いですから」
キサラの産んだという子どもたちは、すでにほぼキサラと同じだけのサイズになっている。
「そりゃ……三ヶ月もあれば妊娠から出産して、成長して……それにしても、早すぎないか?」
俺も、ネズミの生態には詳しくない。この世界のネズミは、成長が早いのだと言われれば、何も言えない。
だが、俺が驚いたのは、ネズミの成長の早さより、この世界に順応するキサラの適応力の高さだ。
「でも、私は体が小さいので、労働力として100匹が目標なのですけど」
「いや、そんなに産んで……ネズミの体なら産めるのかもしれないが、産まれたネズミはごく普通のネズミだろう? 言うことを聞かせられるのか?」
「ほかのネズミは無理でした。でも、私の子どもたちであれば、言うことを聞いてくれますよ。大切な野菜をかじる時も、出荷用の綺麗な野菜は食べずに、傷ついたくず野菜だけを食べるように言ってあります」
「その命令に従うし……害虫も退治するよ」
ケンが面白くなさそうにだが、キサラを擁護する。キサラが続けた。
「それに、雑草は抜きますし、タネは埋めますし、収穫もできます」
「……ああ……うん。そうなんだろう。キサラ……ケンは役に立っているか?」
俺がケンのことを口にした時、ケンが振り向いた。明らかに、衝撃を受けている。
「はい。モグラを狩ったり、蛇と戦ったり、私の子どもたち以外の邪悪なネズミたちを捉えたり、とても助けられています」
「そうか。よかった……」
「俺の方が、先輩なのに……」
ケンのつぶやきが聞こえた。ケンの気持ちはわかる。
キサラは、この世界へあまりにも早く順応し、しかも農場主として成功しようとしている。
どうしても自分と比べてしまうのだろう。
「ところで……アデルはどこだ?」
「ああ……お姉さんは、向こうで新しい仲間の特訓をしています」
「……新しい仲間?」
「フランソワというそうですよ」
「……どこの国から来た転生者だ?」
「さあ」
キサラが首を傾げる。
「邪魔をして悪かった。仕事を続けてくれ。ケン、アデルのところまで案内してくれ」
「俺はしばらく、あそこには近づくなといわれているんだ」
「なら……これならいいだろう」
俺は、ケンを抱き上げた。新しい仲間が何者は別にして、ケンより大型の動物ではないのだろうと想像できる。だから、ケンに近づくなと言ったのだ。あるいは、ケンを食べようとするような魔獣を飼いならしたのかもしれない。
アデルならあり得ることだ。俺はケンの茶色い毛並みを久しぶりに堪能しながら、アデルを探した。
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